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ちょい話【et cetera】

ちょっといい話

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初々しさ

2020-12-19
武原はんさんのことば
Facebook杉原米和さんの投稿
《 震える弱いアンテナ 》日々是好日
教育実習には、最後に研究授業がある。指導教員だけでなく、学校の管理職などが見に来る。ある学生が研究授業の前に、身体が震えるほど緊張しますと話していた。でも、そんな時こそ、子ども達が協力してくれる。実習生のために、一座建立ではないが積極的に授業参加してくれる。子ども心は、いじらしい。もちろん、三週間の間に、そんな関係性が作られたからであろう。
 授業がうまくいかなくて涙。教育実習が終わって、また涙。よく泣く学生もいる。
 でも、ベテランの教師になっても震えるような感覚や初々しい心は大事だと思う。
 茨木のり子さんは、俳優・山本安英さんの「初々しさ」を「汲む」という詩で表現した。その一節には、こうある。
「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……」
 慣れないで、いつも新鮮な気持ちで対象と向き合うこと。素人性。この「初々しさ」と研究心があるから、山本さんは「夕鶴」を長く続けてこられたのであろう。「初々しさ」は、花でいえば、みずみずしさか。
 地唄舞の「武原はん」さんも、舞台の前に袖で震えていたという。
 お二人のように、「震える弱いアンテナ」を心に持っていたい。
わくわくしながら、どぎまぎしながら、人と出逢う。
 授業は、出会いの場であるから。

成長するいうこと

2020-12-18
「失敗はイヤというほどしたほうがいい。

そうするとバカでないかぎり、骨身に沁みる。

判断力、分別ができてくる。
これが成長の正体だ。」


寒村での生活、吃音、逮捕、長男の死など、実は苦労と挫折の人生だった角栄とあって、その言葉には官僚や世襲議員が決して語り得ない説得力があった。そして、角栄は他人の「失敗」に本質的には寛容であり、またそれを克服しようとする姿を好む、人間味と懐の深さがあった。

自分を知るということ

2020-12-18

「人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず

自分がすべて正しいとする考え方は国の中でも外でも通用しない。」

1982年、いわゆる「教科書問題」が起き、中国・韓国と日本の間で外交トラブルに発展した事件があった。そのとき、角栄は「教育に政治を持ち込み混同させていることが間違いだ。一定の思想を混同させ、教育を混乱に追い込んでいる。政治から教育を切り離すことが急務だ」と語った。歴史記述をめぐって議論が交わされる今、私たちは角栄の言葉に何を思うだろう。

他者を動かすということ

2020-12-18
『田中角栄 100の言葉』より https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000252.000005069.html
「できることはやる。できないことはやらない。
しかし、すべての責任はこのワシが負う。以上!」

 
1962年、蔵相に就任した角栄が、大蔵官僚を前に就任演説で語った伝説の言葉。エリート官僚たちは、肌合いの違う新大臣の言葉に興味を持ち、いつか心酔するようになった。
大切なこと

必ず返事は出せ。たとえ結果が相手の思い通りでなかったとしても

 『聞いてくれたんだ』となる。これは大切なことなんだ。」

悪評を恐れ、何も返事をしないことが最悪の対応であり、それはどんな仕事の場面でも当てはまる。返事は人間関係の基本。小さな信頼の積み重ねが大きな人脈となり、自分を助けてくれる。それが角栄の日常だった。時代がわっても、どんな場面でも、変わらず大切な心がけだ。

グレーゾーンということ

2020-12-18
真理は常に『中間』にある。

「世の中は白と黒ばかりではない。
敵と味方ばかりでもない。

その間にある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。
真理は常に『中間』にある。」


 角栄は自分と対立する人間の考えをよく聞き、ときにはそうした人間に理解と協力を求めることがあった。物事は単純な「賛成」「反対」の二元論で片付けられない。ひいては、人の心も相反する2つの気持ちが混在している。角栄は、トップに立つ人間だからこそ常に一番広い「白と黒の中間地帯」に思いをめぐらせることが必要だと説いていた。
情熱について

「農林省の役人はコメ問題の権威かもしれない。

しかし、情熱がない。
田んぼのなかに入ったこともないような者が、
コメのことを分かるわけがない。」


人間は体験したことを信じるとあって、地元のあぜ道に入り、農作業中に集まった支援者の前で辻説法を行った角栄。それは20代で初当選してから30年以上も続けられた。今、TPPを論じる為政者の何人が田んぼに入ったことがあるだろうか。
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