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飛行機

飛行機の世界

中島キー87

2022-01-17
Facebook 森 一理  さん曰く

中島キ-87試作高々度戦闘機
ハードルが高すぎたキ87(1945年2月)
機首右側面に大型排気タービンを備えて高々度の性能向上を目指す。
被弾した時の燃料漏れによる火災を防ぐためだったが、テスト時には排気タービンの過熱問題により、ただでさえ不調だったエンジンに悪影響を与える。
このため増加試作機では、他の多くの機種同様機体下面に排気タービンを設置する形にすることも検討されていたという。
排気タービンの位置,与圧等幾多の技術不足はともかく、四式戦のデザインを踏襲した日本的なデザインは好感。
エンジン:中島 ハ44-12ル 空冷複列星型18気筒 離昇出力 2,450 hp × 1
最大速度:689 km/h
巡航速度:470 km/h
実用上昇限度:12,855 m
航続時間:2時間(行動半径800 km + 空戦0.5時間 + 余裕1時間)
武装
30mm機関砲 × 2
20mm機関砲 × 2
250kg爆弾 × 1
ふろむWikipediaから

鍾馗

2020-11-23
陸軍です。
二式戦闘機「鍾馗」。連合軍のコードネームは"Tojo"。キ番号(試作名称)はキ44。開発は中島飛行機。大馬力エンジンに小さい主翼など、一撃離脱戦法に特化した設計がなされています。速力、上昇力を最優先にした設計で、航続距離や着陸性能は犠牲にされました。特に、離着陸に長い滑走路を必要とすることから、前線の狭い飛行場が使えず、航続力の不足もあって、広い太平洋戦域で地上部隊を援護する役目は果たせませんでした。戦中実用化された陸海両軍機のなかでも、アメリカ軍からは「迎撃戦なら最適の戦闘機」という評価を得ました。
 1937年、帝國陸軍は新たな戦闘機の開発に着手しました。日本軍にとって従来の運動性に優れた設計の軽戦闘機と、欧州で出現し始めている重戦闘機(ドイツのメッサーシュミットBf109やイギリスのスピットファイア等)を参考した全く新しい戦闘機を造り上げようとしました。前者が後の一式戦闘機に、後者が二式単座戦闘機となりました。当初重戦闘機の研究開発は難航し、同一の経緯で実用化された軽戦である一式戦闘機に対して制式採用年式で一年の遅れを見ています。日本軍は古くから、格闘性能を重視する軽戦闘機至上主義の気風があったため、運用経験のなかった重戦の基本仕様をまとめることすらままなりませんでした。軽戦主導者からの不要論がありましたが、同時期のノモンハン事件(後期ノモンハン航空戦)においてソ連赤色空軍戦闘機が一撃離脱戦法を駆使していた戦訓、つまりI-16などの高速機に対して一撃離脱攻撃や追撃の行える新鋭戦闘機の必要性が認められ、停滞していた開発を活発化しました。
 開戦時は正式採用前とはいえ、増加試作機によって部隊が編制されており南方戦線へ進出していますが、二式戦闘機一型自体は元々少ない数に加え元々対ソ連を念頭にしていたので、南方作戦で使うには航続距離が短い故に、一式戦闘機ほど出番は無かったですが、機会があれば米英機相手に優位に戦っています。懸念であった格闘戦闘も米英機相手に優越していました。その後、主要な量産機となった二型は中国大陸、ビルマ、タイ、フィリピンに進出しましたが、陸軍初の重武装高速機体は着陸が難しいとしてベテランパイロットに嫌われました。整備に難がある三式戦闘機を装備している部隊から、一式か二式を寄越せと要請がある事もありましたが、基本的には二式戦のハ109エンジンは整備員からの評価も芳しくありませんでした。また二型も航続距離がやや増したものの短い為、出番に恵まれずくすぶる毎日を送りました。主に本土防空戦闘機として運用され、敵地攻撃にはあまり用いられませんでした。 
 二式戦闘機がもっとも輝いたのは、戦争末期の本土防空戦でした。本土の空を守るため東南アジアから呼び戻され、対B-29の迎撃に充てられました。二型乙の40mm機関砲を装備した特別仕様の機体はまさにB-29戦の切り札でした。数発命中すればB-29ですら撃墜が可能で、多くの敵爆撃機を撃墜しました。しかし、元々エンジンは高高度性能に劣っており、40mm機関砲も極めて癖のある機関砲であり楽な戦いではありませんでした。そして硫黄島が失陥し、護衛にP-51が付随してくると、もう手柄を挙げる事は出来なくなりました。それでも残存する機体は終戦まで使用され、本土の空を守り続けました。
 二式戦の生産自体は1944年末に終了し、総生産機数は各型合計1,225機でした。

海軍です。

2020-10-22
局地戦は、海軍で!
B29の真下に潜lり込めればですが・・・。
中島 J1N 月光 (昭和14年 - 昭和20年) ---
- 全長 : 12.13 m
- 全高 : 4.56 m
- 全幅 : 17 m
- 空虚重量 : 4 480 kg
- 最大離陸重量 : 8 184 kg
- 最大速度 : 507.4 km/h

海軍爆撃機"銀河"多機銃搭載 烈作戦用多銃搭載型

2022-01-23

Facebook 森 一理さん曰く


海軍爆撃機"銀河"多機銃搭載
烈作戦用多銃搭載型
B29サイパン、グアム基地を襲撃する烈作戦のため、胴体下に16〜20挺の20粍機銃を2列で下斜めに取り付けた銀河の特殊改造型。多数の銃身が突き出ているその異様な姿から「ムカデ」と呼ばれていた。写真の機には銃本体は無いが、爆弾倉扉に銃身と干渉しないよう切り欠きがあるのが見える。
銀河30機から成る烈作戦部隊は、松島基地を拠点として。
装備機の半数を多銃装備型とし、残り半数はクラスター爆弾の一種である21号爆弾(子弾36個内蔵)12発で爆装、各型5機ずつの混成編隊3組で敵基地を制圧して剣作戦部隊の突入を援護する構想であった。海軍航空本部で7月中旬以降に新装備の実験が行われ、うち21号爆弾は不発が多かったため25日に対策会議が開かれている。
最終時の編制は、多銃装備機・爆装機各36機に増強されていた。
幸か不幸か作戦を迎える前に終戦。
なお。烈作戦部隊の銀河30機は、銃爆撃任務の遂行後、トラック諸島の海軍飛行場に着陸する予定であったといわれている。

一〇〇式重爆撃機

2022-01-18
Facebook 森 一理  さん曰く

一〇〇式重爆撃機(第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の重爆撃機。キ番号(試作名称)はキ49。愛称は呑龍(どんりゅう)
開発思想 
九七式重爆撃機の後継にあたる本機は、戦闘機の護衛を必要としない高速性能と重武装を併せ持った重爆撃機として設計された。対ソ戦において、敵飛行場を攻撃する航空撃滅戦に用いる構想であった。しかし、結果として同時期に出現した敵戦闘機に比較して高速と言える程の性能を持つには至らず、実戦においては常に味方戦闘機の護衛を必要とした。
尚友人の祖父が呑竜乗務員だった事もあり、当時物資不足の為タヌキの毛皮着て上空を飛んだと聞いた事有る、関係無いが唯一模型製作で窓枠の多さで断念した機体
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