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新幹線

ここから、始まりました。

◎新幹線スタート

2021-03-31
Facebook佐々木信雄さん曰く
 1964(s39)年10月1日、東京オリンピックの開催を10日後にひかえて、東海道新幹線が開業した。
【20th Century Chronicle 1964年(s39)】
◎新幹線スタート
*1964.10.1/ 東京-大阪を、4時間で結ぶ東海道新幹線が開業する。
 1964(s39)年10月1日、東京オリンピックの開催を10日後にひかえて、東海道新幹線が開業した。開業当初の営業最高速度は200km/h(東京~新大阪間 「ひかり」4時間・「こだま」5時間)で、路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同区間「ひかり」3時間10分・「こだま」4時間)を開始した。
 日本の二大都市である東京~大阪間は、1958(s33)年から在来線特急「こだま」が6時間50分で結び、かろうじて日帰り可能になったが、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、ビジネスやレジャーなど生活スタイルに著しい変化を及ぼすようになった。
 1958(s33)年に新幹線は建設計画が承認され、翌1959(s34)年4月に起工式が行われた。奇しくも1ヵ月後のIOC総会において、1964(s39)年東京オリンピックの開催が決定された。当然、東京では、五輪開催に向けて首都高速など工事の嵐となるが、すでに起工されていた新幹線は、その開催に合わせて開通させることが、至上命令となった。
 日本の在来線鉄道線路は、明治以来「狭軌」という幅の狭い軌道が導入されていた。しかしその線路幅ではスピードが出せない、しかも従来の東海道線は山などを避けて曲がりくねっている。そこで、「広軌」という線路幅の広い規格を採用し、しかも直線性の強いまったく新しい新幹線を敷設することになった。
 これは考えただけでも大変な事業で、用地の買収から、直進するために、トンネルや高架をほぼ全線にわたって採用することになる。これだけの国家的大事業を実現するために、予算の獲得から技術的問題のクリアまで、当時の国鉄総裁で「新幹線の父」と呼ばれる十河信二の努力は、多大なものであったと想像される。
 当時の国鉄が総力を挙げて取り組み、多数の技術者らの尽力により、この日1964(s39)年10月1日、午前6時前、東京および新大阪駅を、それぞれから、下り ひかり1号・上り ひかり2号が出発した。起工から5年半の奇跡的な開業であった。
 計画当時、アメリカの鉄道事業の衰退などから、鉄道は斜陽産業とみなされていた。しかし日本における東海道新幹線の成功から、その後の全国への新幹線伸長は、世界中に高速鉄道を復活させる契機となったのである。
(この年の出来事)
*1964.8.2/ 北ベトナム軍がトンキン湾で米軍間を攻撃、米空軍が報復爆撃に出動、ベトナム戦争が急拡大する。(トンキン湾事件)
*1964.1014/ ソ連最高会議とソ連共産党中央委員会が、フルシチョフ首相兼党第1書記を解任する。
*1964.1016/ 中国が、初の原爆実験に成功する。
*1964.11.12/ 米原子力潜水艦の佐世保入港し、13日反対デモが警官隊と衝突。

· <新幹線発祥の地鴨宮> まさに世界の鉄道の聖地と言ってもいいと思う。

2022-06-09
Facebook 武田 成弥さん曰く、 まさに世界の鉄道の聖地と言ってもいいと思う。

100系 ひかり

2022-02-01

Facebook 山梨賀之さん曰く

意外に短命だった気がする100系 ひかり。
当時はTEC100なんて呼ばれていたけどTECってどーゆー意味なんだろう?
東京にて

実車の製作に携わりましたが、
JR東海向けはTEC100、JR西日本向けは100Nと呼称しており、
細かな仕様が異なっていました

国鉄社員の間の公式的符丁のように思われます。
内部で配布したネクタイピン
1985年10月1日 国鉄社員用
0系新幹線 業記念 TEC100 ネクタイピン

◎新幹線スタート *1964.10.1/ 東京-大阪を、4時間で結ぶ東海道新幹線が開業する。

2022-05-23

Facebook 佐々木 信雄さん曰く

【20th Century Chronicle 1964(s39)年】-5
◎新幹線スタート
*1964.10.1/ 東京-大阪を、4時間で結ぶ東海道新幹線が開業する。
 1964(s39)年10月1日、東京オリンピックの開催を10日後にひかえて、東海道新幹線が開業した。開業当初の営業最高速度は200km/h(東京~新大阪間 「ひかり」4時間・「こだま」5時間)で、路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同区間「ひかり」3時間10分・「こだま」4時間)を開始した。
 日本の二大都市である東京~大阪間は、1958(s33)年から在来線特急「こだま」が6時間50分で結び、かろうじて日帰り可能になったが、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、ビジネスやレジャーなど生活スタイルに著しい変化を及ぼすようになった。
 1958(s33)年に新幹線は建設計画が承認され、翌1959(s34)年4月に起工式が行われた。奇しくも1ヵ月後のIOC総会において、1964(s39)年東京オリンピックの開催が決定された。当然、東京では、五輪開催に向けて首都高速など工事の嵐となるが、すでに起工されていた新幹線は、その開催に合わせて開通させることが、至上命令となった。
 日本の在来線鉄道線路は、明治以来「狭軌」という幅の狭い軌道が導入されていた。しかしその線路幅ではスピードが出せない、しかも従来の東海道線は山などを避けて曲がりくねっている。そこで、「広軌」という線路幅の広い規格を採用し、しかも直線性の強いまったく新しい新幹線を敷設することになった。
 これは考えただけでも大変な事業で、用地の買収から、直進するために、トンネルや高架をほぼ全線にわたって採用することになる。これだけの国家的大事業を実現するために、予算の獲得から技術的問題のクリアまで、当時の国鉄総裁で「新幹線の父」と呼ばれる十河信二の努力は、多大なものであったと想像される。
 当時の国鉄が総力を挙げて取り組み、多数の技術者らの尽力により、この日1964(s39)年10月1日、午前6時前、東京および新大阪駅を、それぞれから、下り ひかり1号・上り ひかり2号が出発した。起工から5年半の奇跡的な開業であった。
 計画当時、アメリカの鉄道事業の衰退などから、鉄道は斜陽産業とみなされていた。しかし日本における東海道新幹線の成功から、その後の全国への新幹線伸長は、世界中に高速鉄道を復活させる契機となったのである。

さよなら、E4系Max! “日テレ秘蔵”のお宝映像から“ラストラン直前”に上空からの実況も

2021-12-26
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