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新幹線

ここから、始まりました。

次世代新幹線E956形「アルファX」

2021-07-03
次世代新幹線E956形「アルファX」10両編成が完成 東北新幹線で最高400km/h試験を実施

【1964年の映像】東海道新幹線0系 超特急「ひかり」の旅

2021-07-23
1964年10月1日

【車内放送】0系がまだ主力だった頃の新幹線「ひかり208号」(0系 ひかりチャイム 新大阪発車後)


生みの親 東海道新幹線


HD 記録映画 東海道新幹線

HD 記録映画 東海道新幹線


日本記録映像 東海道新幹線 1965年度(昭和40年度)作品

https://youtu.be/QWwMDfDL1w8


東海道新幹線デビュー!! 1964

https://youtu.be/AsT6ugvVZWc

東海道新幹線起工式に使用された鍬(くわ)

2022-04-20
建設工事中の新丹那トンネル熱海口

Facebook 鉄道博物館さん曰く


鉄道150年 あの日、あの時   東海道新幹線起工式
今から62年前の今日、
1959年4月20日
東海道新幹線の起工式が行われました
 東海道新幹線は、戦後、旅客・貨物輸送量が急増し、限界に達していた東海道本線の輸送力を増強するために、当時の国鉄の十河信二総裁による指揮のもと、島秀雄技師長らが中心となり、電車方式、交流電化、広軌(標準軌)別線による、まったく新しいシステムを導入した鉄道として計画されました。
 新幹線計画には、国鉄内部からは完成した箇所から使用可能な狭軌での線増をすすめるべきといった反対意見があり、外部からも近い将来輸送の主役が鉄道から自動車、航空機に代わるとする鉄道斜陽論による反対意見もありましたが、各方面への説得の末、1958年12月に東海道新幹線の早期着工が閣議で承認され、翌年3月に国会での建設予算承認、4月に運輸大臣によって建設工事が認可されるに至りました。
 そして、1959年4月20日、熱海~三島間の新丹那トンネル熱海口で起工式が行われました。
 東海道新幹線の工事では、戦前の新幹線計画(東京~下関間に広軌別線を建設し、機関車けん引による列車で同区間を9時間で結ぶことを目標とした)によって、一部建設が行われていたトンネルなどの施設や、既に買収していた用地を利用し、路線計画や建築基準なども戦前の計画が活用されています。新丹那トンネルも戦前の新幹線計画の一部として1941年8月に着工され、1944年に戦局の激化により工事が中止されていたものを、再び着手することになったトンネルです。
 車両ステーションの0系展示棟内には、起工式の際に、十河総裁の手で行われた鍬入式に使用された鍬の実物が展示されており、その柄の部分には、当日の日付と十河総裁の署名が記されています。この鍬が振り下ろされてから5年後に東海道新幹線が開業し、現在は北海道から九州まで約3,000km以上に及ぶ新幹線網が形成されています。この鍬は、その第一歩を物語る歴史的な資料といえるでしょう。
鍬の柄の部分には、起工式の日付(昭和34年4月20日)と、十河信二総裁の署名が記されている
車両ステーション1F 0系展示棟内で展示中

0系が ひかり 運用から撤退していた頃。 小田原にて

2022-06-13
Facebook 山梨賀之さん曰く、まだホームドアが設置される前。 駅員と車掌が挨拶を交わす何時もの光景。

1992年の今日(3/14) 東海道新幹線300系「のぞみ」が 運転を開始しました

2022-03-14

Facebook 鉄道博物館さん曰く


東海道新幹線「のぞみ」誕生30周年
今から30年前の1992年の今日(3/14)
東海道新幹線300系「のぞみ」が
運転を開始しました
 1980年代に入り、東海道・山陽新幹線は自動車や航空機など他の交通機関との競争が激しくなり、0系新幹線電車のモデルチェンジによる旅客サービスの改善や、列車速度の向上が必要とされました。
 このうち旅客サービスの改善の面では、2階建てグリーン車・食堂車をはじめ、客室内の居住性を向上させた100系が1985年に登場しましたが、列車速度の向上のためには高速走行に対応した車両の開発に加えて、地上設備、環境対策など様々な面で対策を施す必要があり、また、後に開業した新幹線が、曲線半径や車両中心間隔を拡げて、より高速運転に対応できる規格を採用していたのに対し、210km/h走行を前提に設計されていた東海道新幹線の速度向上は技術的に難しく、引き続き、長期間にわたる技術の研究・開発、試作、検討が行われました。
 こうした長年の研究・開発の結果、高速走行に対応した車両として300系が開発されました。同系は速度向上と騒音・振動の抑制などの環境性能を両立させるため、0系、100系とは全く異なる新しい車両システムが構築されました。車体は0系、100系の鋼製からアルミ合金製に変更し、徹底した軽量化がはかられ、軽量ボルスタレス台車やVVVF制御による交流モーターなども採用されました。先頭形状は空気抵抗と騒音が少ない新しい形状とし、走行性能の向上がはかられました。また、輸送力を確保するため、食堂車、ビュフェ、グリーン個室などを廃止し、その編成定員(1,323人)はのちに登場する東海道・山陽新幹線車両の基本となりました。
 並行して、270km/h運転のために地上設備も大幅な改良が加えられました。軌道設備は曲線部のカント(遠心力を低減させるための左右のレールの高低差)の修正、レールの整備や新たな保線用機械の導入など、高速化と安全性、乗り心地の良さを両立する改良が行われました。
電気設備では、高速走行時に架線が揺れることによるパンタグラフの離線の対策のため、架線の張力を増やすことや、架線の継ぎ目(セクション)の長さを伸ばし、継ぎ目でのパンタグラフへの衝撃を抑制するなどの改良が行われました。
 300系先行試作車による走行試験が1990年3月から約2年間にわたって行われ、試験によって得られたデータにより、270km/hでの営業運転に問題がないことが確認され、1992年3月14日、東京~新大阪間を2時間30分で結ぶ「のぞみ」の運転が始まりました。
 ひとくちに高速化といっても、車両の性能向上だけではなく、それに対応した軌道・電気設備、システムの構築など、多くの面での技術開発・改良が必要となります。300系「のぞみ」の登場は東海道新幹線の速度向上のきっかけとなりました。
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