時機相応
時機相応について 時代の中で、この人は、どう生きたか?
【吉行淳之介的世界】
2021-01-04
Facebook佐々木信雄さんの投稿
吉行淳之介的世界】
永井荷風の『墨東綺譚』で有名な玉の井は、東京大空襲で街のほとんどが焼失した。戦後、焼け残った「玉の井」の一部地域と、1キロほど離れた「鳩の街」とに移転して、赤線指定地域として営業を続けた。
『寺島町奇譚』の滝田ゆうは玉の井で生まれ育ったため、旧玉の井の記憶をベースに描かれている。
吉行淳之介は『原色の街』で鳩の街を舞台にしたが、この時点での赤線などの登楼経験はまったくなかった。その後になってから、新玉の井や新宿二丁目など戦後の赤線地域を主な舞台とした作品を多く書くようになる。
吉行淳之介は、永井荷風や滝田ゆうのように「街の情緒」を描き出さない。ひたすら、男女の微妙な心の位相関係をのみ描こうとする。つまり、作家吉行淳之介にとって、娼婦の街は男女の愛を描く、真っ白なキャンバスだった。そのせいか、戦前の情緒あふれる遊郭よりも、戦後のガサツな赤線地域が気に入っていた模様である。
その赤線も、昭和33年4月1日に売春防止法が完全施行され、営業最終日の3月31日夜には「蛍の光」が流され、娼婦と登楼客の大合唱が夜空に響いた、などという出来すぎた話も伝えられた。
「線後(赤線廃止後)」になると、吉行は銀座クラブなどの酒場にベースを移した。描く対象も、そのような酒場の女性が多くなったが、基本的に玄人女性を相手にするという点では変化はなかった。
若くして入籍した女性との経緯などから、吉行には素人女性との恋愛を避けたいという傾向が強く刻印された。プロスティチュートを相手にすることで、「恋愛・結婚」などという厄介な関係を避けようとしたわけである。
にもかかわらず、吉行の作品には、そのような女性と恋愛関係に陥ってしまうというプロットが多く登場する。結婚だの家庭だのといった、いわば「ノイズ」を取り除いたところに、「恋愛の構造」というものが浮き上がってくるのではないか、そのような視点が吉行にはある。
もちろん、「純愛」だの「無私の愛」などというものを認めるわけもなく、「恋愛」の背後には必ずエゴイズムが絡んでいるのを吉行淳之介は凝視し続ける。にもかかわらず、そのようなエゴの絡み合いが、当事者には見えなくなる瞬間がある、それを「恋愛」と呼ぶのではないか。それが「恋は盲目」ということの意味である。
◎青函トンネル・本四連絡瀬戸大橋 開業
2021-01-02
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1988年(s63)】
◎青函トンネル・本四連絡瀬戸大橋 開業
*1988.3.13/ 世界最長の青函トンネル(53.85km)が開業する。
*1988.4.10/ 本州と四国を結ぶ瀬戸大橋(児島ー坂出ルート)が開通する。
青函トンネルは、津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたJR北海道の鉄道トンネルで、全長は53.85 km。交通機関用のトンネルとしては世界一の長さである。
1954(s29)年9月26日、台風第15号が襲うなかで青函連絡船 洞爺丸が沈没、1155人に及ぶ犠牲者を出し、日本海難史上最大の惨事となった。この事故を契機に、青函トンネル建設計画が本格的に浮上した。やがて、1961(s36)年に建設開始、1985(s60)年本坑全貫通、1987(s62)年(昭和62年)11月青函トンネル完成、そして1988(s63)年3月13日、鉄道の供用が開始され、それに伴い青函連絡船は廃止された。
また、瀬戸大橋は、瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称で、本州四国連絡橋のひとつ。1988(s63)年4月10日、三つある本四連絡橋のうちで、この児島・坂出ルートが、神戸・鳴門ルート、尾道・今治ルートよりも10年先行して開通した。瀬戸大橋は、鉄道道路併用橋としてJR線が通り、並行していた宇高連絡船はまもなく廃止された。
これらのトンネルや橋で、日本の四つの本島、本州・北海道・九州・四国は陸上交通でむすばれることになり、交通の利便性は格段に高まった。しかしながら、それが両側に同等の経済効果をもたらすわけではない。水が低きに流れるように、大都市圏の吸引力により、人や物が一方向に引き寄せられてゆくことが多い。つまり過疎な地区はより過疎になり、地方経済が大都市圏経済に吸収されてゆくという流れが加速する。交通を良くする場合、ローカルな方面にも大都会に匹敵する魅力を創り出す必要がある。
(この年の出来事)
*1988.2.6/ 衆議院予算委員会で、浜田幸一委員長が「共産党の宮本議長は殺人者」などと発言し議場が混乱、12日、浜田委員長は辞任する。
*1988.9.5/ プロ野球南海ホークスがダイエーへの球団譲渡を発表。10.19には、阪急ブレーブスもオリエント・リースへの身売りを発表する。
*1988.9.15/ 天皇が吐血、以後重体が続き、全国に自粛ムードが広まる。
*1988.12.7/ 本島長崎市長が、市議会で「天皇に戦争責任はある」と答弁する。