時機相応
時機相応について 時代の中で、この人は、どう生きたか?
生涯現役
スターだ、サインもらわなくっちゃ!
サインをねだる女学生に囲まれる三船さん。
七人の侍〜宮本武蔵などの映画で
国民的俳優の地位を築きつつあった時代の一枚。
『陰影礼賛』
一、
[まず、谷崎は、日本の伝統的な生活様式に西洋文明の利器が侵入してくること(近代化)によって生ずる、美的な不調和を嘆きます。それらは実用として便利で退けるわけにはいかず、苦心して折衷しようとしますが、どうも上手くいきません。特に厠(トイレ)のしつらえが問題で、日本の厠と西洋式のトイレについての比較的考察に入ります。]
二、
日本の厠は母屋から離れた廊下の先の庭の蔭にあり、それは薄暗く静寂な空間で、精神的に落ち着き、瞑想にふけるに最適の場所です。
小窓から見える庭の景色や、木の葉から落ちる水滴の音、鳥や虫の声などが聴こえ、四季の情緒をしみじみと感じることができます。
何でも詩化してしまう昔の日本人は、最も不潔であるはずの厠を詩的な場所に変えてしまいます。
[今の人にはさっぱり分からないかもしれませんが、まだ古い静かな寺院にはこういう厠が残っている場所もありますので、探してみると良いかもしれません。]
西洋便所の白く明るい便器やタイルに、ギラギラ光る金属の取っ手や配管は、便利ではあっても、そういう日本の詩的な空間を壊してしまいます。
文明の利器を導入することに異存はないにしても、なぜそのまま取って付けるだけで、日本の習慣や趣味に合わせてそれに改良を加えないのかといぶかります。
三、
西洋式のガラスの覆いを紙に変えた、行燈(あんどん)式の電灯(ライト)が売れるのは、そういう改良(和洋の調和)の良い例ですが、他はあまりありません。
便利であれば、風流などは二の次であり、手っ取り早く既製品で済まそうとするのが人間というものでしょう。
もし、日本が文化を丸ごと西洋から輸入(西洋近代化)せずに、独自の科学的発達を推進していたなら、私たちを取り巻く環境は、日本の国民性に調和したものとなっていたでしょう。
四、
もちろんそれは不可能な願いからくる、空想と愚痴です。
けれど、とにかく日本人が西洋人よりどれだけ損をしているかということは、考えてみてもよいでしょう。
西洋人は自分たちの都合に合わせて機械を発達させてきたので、それが調和的であるのは当然です。
彼らの映画や音楽に接しても、見事にその作品の中に彼らの国民性の個性が発露しています。
しかし、ただそれをそのまま単純に迎合するだけでは、日本の文化や芸術をいたずらに歪めることになります。
例えば、日本人の話術は、声が小さく、言葉が少なく、何よりも間によって表現されるものであるのですが、それをラジオのような機械にかけると、死んでしまいます。
五、
同じ白い紙と言っても、西洋の紙は光線を冷たく跳ね返し曲げると音を立て、反対に和紙や唐紙はふんわりした雪のように光線や音を吸収し、心落ち着ける白さと肌触り、曲げても音を立てない柔らかさが特徴です。
西洋の食器はピカピカ光るよう磨き上げられますが、日本人はむしろ鋭利な輝きを嫌い、時代が付き、さびが乗るのを好みます。
軽薄な輝きの銀色より、深みある沈んだいぶし銀に雅味を感じるのです。
東洋でも早くからガラス製造の技術は知られていた訳ですが、それが西洋のように発達しなかったのは、日本人が浅い光よりも沈んだ陰りを好んだことが一因として考えられます。
西洋人は手垢や汚れを根こそぎにしようとしますが、日本人は手垢や汚れをそのままにし、それを愛し、美化します。
長い年月が生み出した汚れた色合いの家屋にいると、心が和らぎ落ち着きます。
病院や歯医者などに行くと、落ちつがず緊張するのは、白衣や白壁、ガラスや金属や機械などのピカピカするものが、あまりにも多すぎることです。
だから、田舎などにある、古い日本家屋に治療室を設けた時代遅れの病院などへ行くと、不思議と落ち着くのです。
六、
電灯ではなく古風な燭台を使う和食料理屋に行って感じたのは、日本の漆器の深みや美しさというものは、弱い明かりの中ではじめて発揮されるのではないかということです。
昨今は膳と汁椀以外はほとんど陶器で、漆器を野暮で雅味のないものとして退けるのは、近代の採光や照明がもたらした「明るさ」のせいではないでしょうか。
幾重もの闇が堆積したように塗り重ねられた漆器の深みは、周囲を囲む暗さから生じたように思えます。
蒔絵(金銀の豪華な絵模様)を施された漆の台も棚も、普通に見てしまえばケバケバしく悪趣味に見えますが、燭台の暗がりで見ると、闇から浮かび上がる底光りするような黄金色や、燈火をちらちら反映する具合が、非常に美しく見えます。
豪華な蒔絵の大半は闇に隠れており、言い知れない餘情があります。
昔の工芸家は、当然、電灯などない薄暗い部屋に置かれることを計算して作っているはずであり、それらは意図的な工夫であるように思えます。
七、
[和菓子、味噌汁、醤油、白飯などについて語られます。主旨は六と同じです。]
八、
西洋のゴシック様式の寺院は、天にも届くような高く尖った屋根が特徴ですが、日本の伽藍は大きな広い屋根とその庇(ひさし)が特徴です。
庇は深く広い陰を生み、日中でも軒から下は洞窟のような闇になります。
建物よりも屋根の方が重く広く、大きな傘を広げてその陰の中に家を作っている様です。
それに対し西洋のそれは鳥打帽のように、ツバを可能な限り小さくし採光をえようとします。
勿論、それは日本の気候風土や建材などの都合で生じたものであるにしても、その余儀なく住まわざるをえない暗い部屋を詩化し、陰影の中に美を見出し、今度はその美に沿うように陰影を使用するようになります。
日本座敷の美は、まったくその陰影の濃淡に依るのであり、庭からの反射(間接)光と障子を透かしたほのかな光線による繊細な濃淡の調子がその主役となります。
床の間は、陰影を作るための空間であり、花や掛け軸を飾るのは、むしろその陰影に深みを与えるためのものになっています。
九、
日本座敷は一枚の墨絵のようで、障子は墨色の最も明るい部分であり、床の間は最も濃い部分です。
数寄屋建築の座敷を見ると、日本人がいかに陰影の秘密を理解し、光と陰を巧みに使いこなしたかがよく分かります。
そこに生じる静寂の闇は、西洋人が「東洋の神秘」と言うものに通じ、それは結局、陰影の魔法であって、強い光によって陰を取り去れば、ただの虚しい空白に帰するのです。
日本人は、虚無の空間を意図的に遮蔽することにより、そこに陰影の世界を生み出す魔法をかけるのです。
十、
そういう建物の奥の暗がりにある、金屏風や金の襖(ふすま)や仏像は、夕暮れの地平線のような沈痛な美しい黄金色を投げかけています。
私の動きに従って、それは夢のようにゆらゆらと静かに照り返し、時にぱっと燃え上がり輝きます。
暗い家に住んでいた昔の日本人にとってその黄金は、暗い部屋を補うための反射板(レフ板)としての実用性と、その美しい色の詩的価値を同時に実現していたものだったのでしょう(美と実用の統合、八を参照)。
また、能楽の美しさは、その暗さの中にぽうっと内部から明かりが射したように浮かぶ、日本人の肌色のなめらかな色つやにあり、近代的な照明の明るさは、その色の調和を散らしてしまいます。
十一、
近代の歌舞伎において、昔のような女らしい女形が現れないと言われるのは、俳優の問題と言うより、近代的な明るい照明によるものとも思えます。
今と違い、昔の蝋燭やカンテラによって照らされた女形は、適度な暗さで男性的な強い線を覆い隠されていたはずだからです。
文楽の人形浄瑠璃は、明治になっても長らくランプを使っていたわけですが、それにより、人形特有の固い線や質感は柔らかくぼかされ、その女の実感は、むしろ今の女形よりも優っていたのではないかと想像します。
十二、
文楽の人形は、顔と手の先しかなく、あとは長い衣装に隠れています。
実のところ、昔の女というものも、襟から上と袖口から先だけで、残りは闇に隠れていたのだと思います。
中流階級以上の女は、めったに外出せず、昼も夜も家の奥の闇に五体を埋め、顔と手だけで存在を示していました。
当時の女の地味な衣装は、闇と顔をつなぐ闇の一部にすぎず、もしかしたらお歯黒というものは、口の中まで闇を詰めて、顔以外のすべてを闇に沈めようとしたものではないでしょうか。
極端に言って彼女たちには肉体がなかったとも言えます。
着物を着せるためだけの人形の棒状の胴体のように、凹凸のない平べったい身体が特徴であり、そういう人が今でも古いしきたりが残る家の老夫人や芸者などの中に時々います。
近代(西洋)は明朗で凹凸のはっきりした女性の肉体美を謳歌し、そういう幽鬼じみた女性の美しさを理解することはできないでしょう。
明朗にそれ自体として見れば、確かに彼女たちの身体は西洋的な身体に比べ醜いのかもしれません。
しかし、先にも述べたように、東洋人は何もない所に、陰影をかけることにより、美を創造するのです。
東洋人にとって、美は物体(実体)としてあるのではなく、物と物との関係性が生み出す陰影のあや、明暗(トーン)によるのです。
もし、それを明朗な光によって照らせば、その魔法は解け、白日の下の夜光珠のように、宝石としての魅力を失います。
十三、
当然、西洋にも電気やガスのない時代があったわけですが、彼らは私たちのような陰への傾向をあまり持ちません。
西洋人は闇を嫌い、陰を払い除け、明るくしようとする進歩的な気質があるのに対し、東洋人は己のおかれた境遇に満足し、現状に甘んじようとし、それに不満を言わず、仕方ないと諦め、かえってその状況なりの美を発見しようとします。
昔の白人による有色人種の排斥(差別)は徹底しており、どれほど薄まった混血児の肌の曇りも見逃しませんでした。
彼らは何でもピカピカに研き、部屋の中も出来るだけ明るく陰を作らないようにし、天井やの壁も白く塗り、庭は平けた芝生を好みます。
色に対してのそれぞれ感覚が、自然と嗜好の差異を生んだのだとしか思えません。
十四、
私たちの先祖は、明るい大地に仕切りを作って陰影の世界を創造し、その闇の奥に女人を籠らせ、黄色い顔を世界で一番白い顔に仕立て上げました。
闇の中の燈火にゆれて浮かぶ、剃り落とした眉と螺鈿の青の口紅とお歯黒で微笑む白い顔は、どんな白人の女の白さよりも白く見えます。
それはありふれた白ではなく、実在ではない白、光と闇の戯れが生じさせるその場限りのイリュージョンです。
十五、
[今を生きる私たちは、電灯に麻痺して、明るさの過剰が生み出す不便に対して無関心になっている様が語られます。]
十六、
私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐のきを深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。(谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』最終項より)
まとめ
タイトルにあるように、本書は陰の美しさを讃えることが目的です。
ここで言う陰とは、谷崎の考える日本の美の本質を指しています。
西洋の美意識を日と光、東洋(日本)の美意識を陰と闇と定義付けた上で、西洋近代化によって失われていく日本(陰)の美に対し、自覚的であろうと訴えるのです。
ニーチェの、太陽の神アポロン(理性、合理、明晰さの化身)的芸術と、酩酊の神ディオニソス(激情、不合理、混沌、陶酔)的芸術の対立に似ていますが、異なります(ちなみにディオニソスは西アジアから西欧に入った神です)。
谷崎の打ち出す対立軸は、だいたいこうなります。
「西洋」
明るさと明晰さを好み、努力によって汚れや闇を徹底的に排除しようとする進歩的な価値観を持ちます。
その明るさに照らされた、それぞれの存在は明確な輪郭と自立した価値を持ち、美も即物的になります。
「東洋(日本)」
陰と曖昧さを好み、環境をあるがままに受け入れる諦めの姿勢が特徴的で、汚れや闇はそのままに美的なものとして受容します。
暗く境界のはっきりしない曖昧さは存在の輪郭をぼかし、周囲との関係性の中にその価値を見出します。
勿論、これは近代化によって日本に侵入してきた「西洋」であり、谷崎がここで言う西洋とは、ギリシャ的な明るく合理的な美に限定されています。
例えば、ドイツのような陰鬱で魔術的な美(例、ゲーテのファウスト)などについては、まったく言及されません。
また、このステレオタイプ化された西洋と対決させるために持ち上げられる日本も、仏教的な暗く禅味ある渋いものに限定されており、明るさの中にある日本の美(例えば晴天に映える神社の極彩色の美)については無視されます。
三島由紀夫は世界で一番美しいものとして、神輿の下から見上げる空の青を挙げますが、そういう、明るく、ど派手で、躍動的な日本の美しさもあるはずなのですが(明るさの中にも美的陶酔はある)、西洋との対決姿勢と自分の芸術的立場を明確にするために、そういう可能性は排除されます。
おわり
<読書案内>
著作権が切れているので、青空文庫やamazonのkindleなどで無料で読めます(kindleは旧字にふり仮名がついていないので、やや読みにくいです)。
電子書籍が苦手な方は、中公文庫の『陰翳礼讃』をお読みください。