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寝台車

寝台車の時代

トワイライトエクスプレス。 (大阪駅)

2022-06-24
Facebook Kazuhiko Sugiharaさん曰く、 一度、乗りたかったけど、とうとう乗れなかった

山陽本線でも、電ハネは活躍しました

2022-07-02
Tadashi Hiranoさんのコメント

ブルートレインのすべて 20系紹介部分

2022-06-21
燃料が足りない?ならパンタグラフを生やそう!
-魔改造20系の電源車カニ22の物語 ブルトレ篇第二回
そうだ!荷物車を電源車にしよう!マニ50からマニ24へ魔改造- ブルトレ篇
0:30 / 3:05 [ほとんど同じ]24系14系ブルートレインは何が違うのか?ゆっくり解説 -名列車で行こうハイエンド篇-
ゆっくり解説 -名列車で行こうハイエンド篇-
-車両がない?じゃあ485系を24系に魔改造しよう!-ブルトレ篇
客車にパンタグラフを生やした化け物魔改造車両スハ25形300番台-ブルトレ篇第一回

【車内放送】国鉄末期の寝台特急「さくら」14系 東京車掌区

2022-06-18
・日食長崎 ハイケンス 東京発車後長~い放送、食堂案内、おやすみ放送

87年2月、国鉄末期の寝台特急「さくら」長崎・佐世保行の東京発車後の車内放送、食堂案内、おやすみ放送までを収録。 当時は東京車掌区の車掌長2名と専務車掌1名が長崎、佐世保まで乗務していました。食堂車も営業しており、長崎ちゃんぽんなどもありました。今では「トワイライト」「北斗星」と最後のチケット争奪戦を呈していますが、当時はのんびりとしていました。 車内放送は「鉄道サウンド広場」(本館)で多数公開中! http://homepage3.nifty.com/railway-so...
昭和55年【寝台特急 はやぶさ】 西鹿児島発 車内放送

1980.7  厚狭、糸崎に停車  主な通過駅 小倉、宇部、防府、徳山、下松、柳井、豊橋、浜松、沼津、熱海(廃止時は全部停車)

【車内放送】寝台特急はやぶさ(24系 ハイケンス 東京発車後、西鹿児島到着前)

97年5月、東京-西鹿児島間の寝台特急「はやぶさ」の車内放送を収録。国鉄時代から博多車掌区が乗務し続けました。「富士・はやぶさ」になってから本州は下関乗務員センターの担当となりました。 
【国鉄 車内放送】寝台特急「あさかぜ1号」東京駅発車 日本食堂ご案内

【車内放送】寝台特急「あさかぜ」(24系 旧式「ハイケンス」 横浜到着前おはよう放送~東京到着前)

1976年ブルートレインあさかぜ(東京駅から博多駅まで)

初めての列車寝台は急行天草(京都発)、今から60年位昔のことでした。

2022-06-20
オハネ17 2045
オハネ17 2045 です。 冷房化前の2等寝台客車

Facebook 石川進さん曰く

オハネ17 2045 です。
冷房化前の2等寝台客車、意外に撮っていなかったのでした。
クーラー無し, TR23 台車 の寝台車は 乗る事になったら “はずれ” 感がありましたかね。
電気暖房は重くなるので本来の TR47 から履き替えたそうですが。
1968. 5. 4  盛岡駅構内にて

昭和31年3月20日、京都ー熊本間臨時急行として運転開始。6月に「天草」と命名。
急行天草です。
京都発熊本行209レ急行“天草”は門司ー小倉ー戸畑ー八幡と停車した後、筑豊本線内は直方ー新飯塚ー飯塚に止まり、原田は通過して再び鹿児島本線に出て鳥栖へ止まる。豪華な11両編成でスハフ43ースロ54ーオロネ10ースハネ16…と続く。黒崎からの線路別複々線が方向別複々線に切替わる地点を通過中。“天草”はこの年の春冷水峠を訪れた際、情報不足で飯塚からD60の補機が付くのを知らずに、峠から筑前山家に引きあげる時、D60のテールサインを見送った苦い思い出がある。“天草”通過前に上り貨物が通過、その補機のD60が逆向きについていたのは「何故?」と思わなかったことが敗因であった。転車台のある原田からわざわざ補機を逆向きに付ける理由は何か、を考える余裕がなかった。貨物の逆向補機は停車駅の飯塚から冷水峠越えに“天草”の後部補機を鳥栖まで務めるD60の送り込みであった。 筑豊本線折尾〜中間 S47(1972)/8

※S31.3.20に京都-熊本間の臨時急行として誕生。
 (S31.6に天草と命名)
 3033レ、3034レ、ナハネ10を2両連結。
※毎日運転。

ナハネ10
スハネ16、ふっくらしたとっても大きな車体のイメージでした。
 スハネ16はスハ32系客車の台枠を使って10系寝台車の車体を載せてオハネ17として誕生、冷房装置の取付で重量が変わりスハネ16と形式変更された経緯がある。九州管内では竹下・鳥栖・長崎・早岐・大分に配置があった。スハネ1662〔門サキ〕は昭和36年7月の誕生で車齢21年、車体のたわみもなく、まだ元気な姿を見せてくれたはいたが、この時スハネ16の勢力は札幌ー13、秋田ー3、金沢ー9、名古屋ー3で、九州内では長崎に1輛が残るのみとなっていた。昭和59年2月改正で“ながさき”は廃止され10系寝台車は姿を消した。長崎を出て、大村線佐世保線を経由して再び長崎本線を走行、鹿児島本線を北上して門司港を目指すことを物語る「門司港(長与・大村線経由」のサボは旅情をそそられる。 スハネ1662〔門サキ〕 門司 S57(1982)/8/18

 B寝台車電光表示のある車端の出入扉は深く窪んだ位置に設置されている。屋根上に並んだ9個のAU14クーラーとTR47台車がスハネ16の象徴であろうか。配置区標記の下は「寝台数54」とレタリングされている。重厚な屋根のラインと裾を絞った丸味のある車体が魅力的。 
61年10月の急行「天草」の時刻
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