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逸品の世界

ちょっと気になる逸品の世界

◎白鳳文化

2021-05-31
Facebook佐々木信雄さん曰く
【7th Century Chronicle 681-700年】-2
◎白鳳文化
*681.3.17/ 「帝紀」と「上古諸事」の記録編纂が命じられる。
*690.-.-/ この頃、高松塚古墳がつくられる。
*698.10.4/ 薬師寺がほぼ完成する。
 「白鳳文化」は、645年の大化の改新から710年の平城京遷都まで、飛鳥時代の飛鳥文化と奈良時代の天平文化との中間に位置し、天武・持統の時代に最盛期を迎える。天武天皇の飛鳥浄御原から、持統天皇による条坊制をしいた本格的な都 藤原京を中心に華開き、初唐文化を積極的に受け入れた大らかな文化であった。
 政治的には、飛鳥浄御原令や大宝律令が制定され、本格的な律令国家が胎動しだした頃でもあり、天武・持統の安定的な政権のもと、百済からの渡来人などから、唐や西域など多くの大陸仏教文化が融合して取り入れられた。
 飛鳥浄御原令や大宝律令という、我が国初の本格的律令が明文化され、それを体現する藤原京が造営された。藤原京の内裏や京内の大官大寺・本薬師寺・山田寺などは現存せず、移設された一部や発掘される遺物や遺跡からうかがえるのみである。現存する「薬師寺東塔」は、白鳳様式で奈良時代初期に再建された。
 「薬師寺薬師三尊像」は、白鳳彫刻の代表とされる(天平時代説もある)。また、山田寺講堂本尊の頭部といわれる「興福寺仏頭」は、その柔和な尊顔で白鳳時代をしのばせる。
 「法隆寺金堂壁画」は、遠く中国西域やインドの影響が見られる貴重な壁画だったが、1949年の火災で焼失した。一方で、飛鳥「高松塚古墳」では、1972年に極彩色の壁画が発見され、当時の衣装などがリアルに再現されている。
 白村江の戦いののち、百済から多くの文人が亡命してきたため、「漢詩文」が隆盛をみて、奈良時代後期の「懐風藻」に収録された大友皇子や大津皇子の優れた漢詩が残されている。また、天武朝から漢字を用いて日本語表記(万葉仮名)することが始まり、奈良時代後期に成立した「万葉集」には、額田王や柿本人麻呂など天武・持統朝の代表歌人の「和歌」が収録されている。
(この時期の出来事)
*699.5.24/ 修験道を開始し、妖術を駆使したとされる役小角(えんのおづぬ)が、伊豆に流される。
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