傳燈
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(8月27日~9月9日) 天皇ご一家 皇居に引っ越し
紙面では伝えきれない皇室の方々の動きや様子を紹介する「皇室の活動」。今回は天皇ご一家の皇居への引っ越しなど、8月27日~9月9日分です。引っ越しを受けての天皇、皇后両陛下の感想の全文も紹介します。【和田武士/社会部宮内庁担当】
天皇ご一家 皇居に引っ越し
天皇ご一家は6日、赤坂御用地(東京都港区)にある赤坂御所を離れ、皇居に引っ越されました。ご一家が皇居で生活するのは初めてですが、新しい御所への荷物搬入が終わる15日ごろまでは皇居内の宮殿に滞在しています。
皇居の御所は1993年に完成しました。上皇ご夫妻が26年あまり暮らし、昨年3月に仙洞(せんとう)仮御所(旧高輪皇族邸、東京都港区)に転居した後、約1年かけて改修工事が行われていました。
ご一家はこの日午後2時半すぎ、秋篠宮ご夫妻の見送りを受けて赤坂御所を出発。まもなく皇居に到着した天皇陛下は、皇位の証しとされる「三種の神器」のうち「剣」(けん)と「璽」(じ)(まが玉)を伴い皇后雅子さまと愛子さまとともに御所に入り、その後、宮殿に移動しました。
宮内庁は一時滞在先として那須御用邸(栃木県那須町)などを検討しましたが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言も出ている中、県境をまたぐ移動は国民への誤ったメッセージになりかねないなどとして両陛下が固辞。側近は「帰省や旅行を控えている国民に心を寄せられている」と説明しています。
宮殿は重要な儀式や行事を行う施設で、生活を想定しておらず、宿泊を伴う滞在は極めて異例です。今回の宮殿使用は陛下が選択肢として示したということで、宮内庁は寝具など最低限の生活用品を整えました。同庁編さんの「昭和天皇実録」によると、過去には昭和天皇と香淳皇后が1971年8月、欧州訪問を前に宿泊のリハーサルのため宮殿に1泊しています。
赤坂御所は引っ越し作業後、上皇ご夫妻の入居に向けたバリアフリー化などの工事が行われます。工事終了は2022年5~6月ごろになる見通しですが、工事の進み方次第では、終了を待たずにご夫妻が入居することも検討されています。
陛下は60年6月以降、英国留学期間(83~85年)を除いた59年近くを、赤坂御用地内で暮らしてきました。引っ越しを受け、両陛下は宮内庁を通じて感想を出しました。全文は次の通りです。
◇
多くの年月を過ごし、慣れ親しんできた赤坂御用地を本日離れることに、寂しさと深い感慨を覚えます。それとともに、歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致しますが、心を新たに日々の務めを果たしていきたいと思います。
上皇、上皇后両陛下には、私たちが赤坂で過ごしてきた日々を温かくお見守りいただいたことに心から御礼を申し上げます。また、長年にわたり赤坂御用地での生活と務めを支えていただいた多くの関係者や、今回の吹上の御所の改修など、皇居での新しい生活の基盤を整えていただいた関係者の皆さんに、深く感謝致します。
この機会に改めまして、現在の新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収束に向かい、人々が安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを心から願っております。
天皇ご一家 東京パラ選手たちの健闘たたえる
5日に閉幕した東京パラリンピック。宮内庁によると、大会名誉総裁を務めた天皇陛下は皇后雅子さま、長女愛子さまとともに、引っ越し準備の合間を縫ってテレビで競技を観戦するなどし、新型コロナの感染拡大という厳しい状況下でベストを尽くした選手たちの健闘をたたえていたそうです。
皇室と障害者スポーツの関わりは深く、64年東京パラリンピックの開催には皇太子ご夫妻時代の上皇ご夫妻の後押しがあったといいます。上皇さまは大会名誉総裁を務め、上皇后美智子さまは日本赤十字社とともに選手たちをサポートする「通訳奉仕団」の発足に尽力しました。
障害者スポーツがまだ一般的ではなかった時代。上皇さまは東京大会後に関係者をねぎらった際に「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と話し、それが契機となって翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現在の全国障害者スポーツ大会)が始まりました。
ご夫妻は毎年大会に出席し、その発展を見守ってきました。平成に入ると出席の公務は皇太子となった陛下に引き継がれ、陛下も毎年競技を熱心に観戦。同時に、さまざまな機会を通じて障害者スポーツに対する理解を深めてきました。
17年5月、天皇ご一家は「内閣総理大臣杯争奪第45回記念日本車椅子バスケットボール選手権大会」を観戦しました。優勝チームの選手らとの懇談もありましたが、その中には今回のパラリンピックに日本代表として出場した選手もおり、活躍を感慨深く思っている様子だったそうです。また、18年8月には陛下が三重県立子ども心身発達医療センター(津市)を訪問し、リハビリの一環で障害児らが取り組んでいた「ボッチャ」を見学。自身も投球を体験し、側近は「今回のパラでボッチャを観戦し、その時の体験や競技の難しさ、楽しさを思い出されたのではないか」と話しました。
最終日の5日にあった陸上女子マラソン(視覚障害T12)では道下美里選手が悲願の金メダルを獲得しました。陛下は18年6月、日ごろジョギングをしている赤坂御用地で道下選手の伴走をした経験があります。前年秋の園遊会で道下選手から「機会があれば」と伝えられたことがきっかけだったそうです。
陛下は19年2月の誕生日を前にした記者会見でこの時のことを「少し緊張しました」と振り返り、「伴走の方がどのように選手をリードされているのかということも分かって、いい経験になったと思います」と明かしています。
上皇さま 歴代最長寿に
上皇さま(87)は2日、誕生からの日数が3万2031日となり、史実がはっきりしている歴代天皇で最長寿だった昭和天皇(1901~89年)の生涯日数と並ばれました。上皇さまは1933年生まれで、今年12月23日には米寿(88歳)の誕生日を迎えます。
上皇さまは新型コロナの感染拡大を受けて外出などは極力控えつつ、上皇后美智子さま(86)と仙洞仮御所の庭を朝夕散策することを日課とするなど穏やかに過ごしています。一方、新型コロナに関する日々の報道に触れ、最近では自宅療養者が増えて亡くなる人も出ていることなどに心を痛めているそうです。
宮内庁によると、お祝いは行われませんでしたが、上皇ご夫妻の側近である高橋美佐男・上皇侍従次長は最長寿について「平成の30年間、大変なご苦労をされてきたので、(代替わり後は)年齢にふさわしい豊かな生活をしていただきたいと願ってきた。今は新型コロナの感染拡大で厳しい情勢が続いているが、お元気でいらっしゃってほしい」と話しました。
昭和天皇は1985年7月12日にそれまで最長寿だった江戸時代の後水尾天皇(1596~1680年)の生涯日数と並びました。「昭和天皇実録」によると、昭和天皇の意向でお祝いの行事は行われませんでしたが、翌13日の昼食は住まいの吹上御所で側近とともに好物だったうな重を食べたということです。
秋篠宮さま 東京パラリンピック閉会式に出席
秋篠宮さまは5日夜、東京パラリンピックの閉会式に、大会名誉総裁である天皇陛下の名代として出席されました。プレジデンシャル・ボックス(貴賓席)から、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドルー・パーソンズ会長らとともに式の様子を見守りました。
オリンピックと同様に国家元首もしくは国家元首の指名する者が出席することになっており、陛下が秋篠宮さまを指名しました。参加者が大幅に絞られたことを踏まえ、秋篠宮さま単独での出席となりました。
悠仁さま 15歳に
秋篠宮家の長男悠仁さまは6日、15歳の誕生日を迎えられました。現在はお茶の水女子大付属中の3年生。最終学年ということもあり、この夏休み中は学習に充てる時間が多く、学校からの課題に取り組んだり、合間には興味のある本を読んだりして過ごしたそうです。
来春には中学を卒業しますが、秋篠宮家を補佐する側近トップの加地隆治・皇嗣職大夫は進路について「具体的なことは承知していない」と話しています。
西村長官「陛下、オリパラ滞りなく終了うれしく」
宮内庁の西村泰彦長官は9日の定例記者会見で、東京オリンピック・パラリンピックが閉幕したことについて、「陛下は滞りなく終了したことをうれしく思い、組織委員会やボランティアの方をはじめ、関係の皆様方のご尽力を深く多としているとうかがっている」と述べました。
西村長官は6月の会見で「陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変心配している」と前置きした上で、「国民の間に不安の声がある中、陛下は開催が(新型コロナの)感染拡大につながらないか懸念、心配されていると拝察している」と述べ、議論を呼んでいました。
立皇嗣宣明の儀 寿詞
天皇陛下には、本日ここに立皇嗣宣明の儀を挙行され、文仁親王殿下が皇嗣であることを内外に宣明されました。
一同心からお祝い申し上げます。
皇嗣殿下は、妃殿下とともに、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下をお支えになられ、被災地御訪問や国際親善をはじめ、皇室の御活動に真摯に取り組まれてこられました。
国民は、こうした御活動を通じて、両殿下が人々に親しく接せられるお姿に敬愛の念を抱いており、こうして立皇嗣の礼が挙行されますことは、こぞって喜びとするところであります。
ここに改めて皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます。
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エリザベス2世の国葬、葬列から埋葬式まで
朝9時にエリザベス女王を起こしたバグパイプ奏者。
エリザベス女王の国葬でバグパイプを演奏したポール・バーンズさん(2022年9月19日)
エリザベス女王を目覚めさせるために、毎朝バグパイプを演奏していた奏者が最後に奏でたのは、女王の安らかな眠りを願う曲だった。
「君主のバグパイプ奏者(Piper to the Sovereign)」であるロイヤル・スコットランド連隊のポール・バーンズさんは、エリザベス女王を目覚めさせるために、毎朝9時に女王の部屋の窓の下で15分バグパイプを演奏してきた。
これは君主のバグパイプ奏者の務めであり、10人以上の奏者が長きにわたり「専属目覚まし時計」として君主を起こす役割を担ってきた。
エリザベス女王の人生最後の日の朝も、バグパイプを演奏したバーンズさん。9月19日の国葬でもバグパイプを奏でたが、その役割とはこれまでとは異なるものだった。
聖ジョージ礼拝堂の王室納棺堂に女王の棺が下ろされる間、バーンズさんは伝統曲「Sleep, Dearie, Sleep(おやすみ、大切なあなた、おやすみなさい)」を演奏し、エリザベス女王の安らかな眠りを願った。
家族を優先してと伝えた、女王の優しさ
君主のバグパイプ奏者が生まれたのは、1843年。当時の君主ヴィクトリア女王が、夫のアルバート公とスコットランド高地を旅した時に、バグパイプに魅了されたのがきっかけだった。それ以来、17人がこの君主専属のバグパイプ奏者を務めてきた。
第15代君主のバグパイプ奏者として2015~19年に女王のために働いたスコット・メスベンさんは、「女王が立って演奏を見ているのは喜びだった」とBBCに回顧している。「彼女はバグパイプ演奏を楽しんでいましたが、一人の人間として接してくれました」
メスベンさんは、女王の優しさを感じたエピソードも語っている。君主のバグパイプ奏者時代、メスベンさんは8カ月の間に両親と妻を立て続けに亡くしたことがあった。
その時の女王の言葉を次のように振り返った。
「一緒に立っていた時に、女王は私に『もしあなたが朝おらず、バグパイプが聞こえない時には、不在だと考えます。誰かに許可を取るために待つ必要はありません。家族があなたを必要としているのなら、家に帰りなさい。家族が最優先ですから』と言いました」
さらにエリザベス女王は、メスベンさんのは腕をつかんで、こう伝えたという。「誰かこのことを問題にするようであれば、私が帰っていいと言ったと言いなさい」
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。