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傳燈

【 Facebook傳統他】Facebookの管理人は、釋 大仁、当山住職です。

YITC140年の歩み

2022-04-17
YITC140年の歩み

 1859年(安政6年)、横浜が開港しました。その17年後の1876年(明治9年)、横浜の山手居留地のなかに外国人によってつくられた、日本初の洋式公園(後の山手公園です)となるブラフパブリックガーデンで、日本で初めてのローンテニスが行われました。2年後の1878年(明治11年)その場所にLLT&CC(レデーズロ-ンテニスクロッケー・クラブ)の名称で創立されたテニスクラブがYITCの出発点になります。日本のテニス発祥の地です。
当時のメンバーはイギリスの女性の方々で、馬車に乗り、バスケットに紅茶とお菓子を入れてテニスクラブに集まり、芝生のコート上で白球を打ち合い、エネルギーを発散させ、クラブライフを満喫しました。


1923年
9月、関東大震災によって、コートに亀裂が入り、壊滅的打撃を受け、復興まで2年の歳月を費やします。
1941年
12月8日、太平洋戦争が開戦となり、政府から使用許可を取り上げられ、1947年 まで、クラブの記録が途絶えました。
1952年
当時の平沼横浜市長とコート敷地の賃貸借契約書を更新しました。
1956年
日本人女性が初めて会員として認められ、日本人男性は翌年の1957年から入会が開始されます。
1964年
横浜インターナショナル・テニス・クラブ(YITC)へ名称を変更しました。
1982年
社団法人となり、横浜インターナショナル・テニス・コミュニティと改名し、現行のテニスの普及と国際交流、周辺地域に対する貢献等の公益活動を目的として国際化を推進するとともに、一般市民にも門戸を開いたテニス・コミュニティーとなります。
1987年
神奈川県及び横浜市が後援し、YITCが主催する国際ダブルストーナメント(IDT)が開催され、今日でも毎年1回熱戦が繰り広げられています。
2003年
Centenary Tennis Club Associationが設立され、YITCは創立100年以上の世界47テニスクラブのセンティナリー・テニスクラブ協会の一員に認められ、現在アジアで唯一の会員となっています。
2008年
YITCは創立130周年を迎えました。
2013年
公益社団法人に認定され、新たな歴史を刻み始めました。
2018年
YITC創立140周年。

御大典ということ

2022-04-16

Facebook 北原 照久さん曰く


明治から大正になった頃に作られた、「大正記念」と書かれている箱おもちゃです。
厳かな様子が、紙製の組み立て立体おもちゃで表現されていますね。平らな箱に入れられているものを組み上げた時の立体感と、まるでジオラマのようなパノラマ感、鮮やかな色、細かな作りには、驚かされます。子供達は、組み立てることによって、宮中儀式の様子を知ることができ、知育玩具としても、用いられたのでしょう。それにしても、良く出来ているし、この状態で残っていることに感動します。

稲取金目鯛の腹合わせ 稲取の郷土料理なんです。

2022-04-08

Facebook 鈴木 弘康さん曰く


稲取金目鯛の腹合わせ
稲取の郷土料理なんです。
地元稲取では、お祝い事の際、腹合わせにし、
二匹の金目鯛を大皿に盛り込み、祝い料理に
華を添える風習があります。

これには知人同士が腹を割って仲良くつき合う。
夫婦が腹を合わせて生涯仲良く暮らす様にとの
意味合いがあり、その思いが二匹を腹合わせ
にして甘辛く煮付けた金目鯛に籠められて
地元のお祝いの宴席にはかならずといって
良いほど、 定番のメイン料理として不動の
地位を築いています。

「不退の行法」絶えず 春呼ぶ東大寺お水取り 

2022-03-07
Facebook 中外日報
2022年3月7日 09時20分
古都に春を呼ぶ東大寺修二会(お水取り)が1日、奈良市の華厳宗大本山東大寺の二月堂で始まり、
橋村公英執事長(次期別当)ら練行衆11人を導く「お松明」が南都の空を焦がした=写真。
戦乱や災害の中でも一度も中断していない「不退の行法」は、
コロナ下でも万全の対策を講じ1271回目を迎えた。

悠仁さま筑附高進学で“素朴な疑問”…なぜ皇族は学習院に進学してきたの?

2022-03-01
池上 彰 - 5 時間前

Q なぜ学習院は「宮様の学校」なの?

 宮内庁は2月16日、秋篠宮家の長男・悠仁さまが筑波大附属高校の入学試験に合格したと発表しました。4月に同校へ進学する見込みで、皇室に生まれた皇族が学習院以外の高校へ進学するのは戦後初めてだと報じられています。

 たしかに、皇族の方が進学する先といえば「学習院」というイメージがありますが、地方で生まれ育った私には、そもそもなぜ学習院がそこまで皇室と関わりが深いのかピンとこないのも事実です。学習院とは、一体どのような学校なのでしょうか。また、なぜその学習院に“進まない”という選択が生まれつつあるのでしょうか。(20代・男性・自営業)

© 文春オンライン 新年祝賀の儀に際しての悠仁さま(2022年1月1日)©共同通信社

A 「一般の人たち」が学習院に入れるようになったのは戦後なんです。

 なるほど、学習院が普通の学校だと思っている人が増えたので、こういう質問が出るようになったのですね。そもそも学習院は、皇族と華族のための学校として設立されたのです。

 江戸時代には京都に天皇がいたので、京都に皇族、公家のための学習施設として設立されました。明治になって東京に居を移し、江戸時代の公家や殿様たちが華族になったので、皇族と華族のための学校になりました。明治の中頃には宮内省の管轄の官立学校になっていました。庶民には縁のない特別な学校だったのです。

 それが、第二次世界大戦後、私立学校に改組され、一般の人たちにも門戸を開放したのです。

 この歴史があるわけですから、皇族は学習院に進むものとみなされてきました。学習院の側も、その誇りを持っていたのです。

 ところが、秋篠宮殿下は、特殊な教育環境ではなく、普通の環境で子どもたちに教育を受けさせたいと考えたのでしょうね。これは私の個人的な推測ですが。

(池上 彰)

傳燈に関する動画

十二代目市川團十郎

2023-05-31
【歌舞伎】口上 パリ オペラ座公演 2007
十二代目市川團十郎
歌舞伎俳優、十二代目市川團十郎。「勧進帳」や「助六」など市川宗家の芸・荒事を受け継いできた。国内ばかりでなく、数多くの海外公演を通じ、日本文化を世界に発信した。しかし50代後半からは白血病との闘いだった。それでも執念の復帰を果たし、パリのオペラ座では、息子海老蔵と競演。パリっ子の喝采を浴び、フランス芸術文化勲章を受賞した。多くの困難を乗り越え江戸文化の粋を伝え残したその生涯が語られる。
助六市川團十郎・中村勘三郎)

市川團十郎襲名

2023-05-31
【啖呵・名台詞】昭和37年 十一代目市川團十郎襲名大興行 助六由縁江戸桜
【勧進帳・昭和40年】【十一代目 市川團十郎・二代目 尾上松緑・三代目 實川延若】
市川團十郎伝説(9/9)再編集版 十代目~十一代目(海老様・後半)~十二代目

菅丞相片岡仁左衛門 ~義太夫狂言の演技~

2023-05-28
「松浦の太鼓」 十七代中村勘三郎 十三代片岡仁左衛門
松嶋屋三代 新春勢揃い
1994年

国賓待遇・・・・

2023-07-02
訪問録なぜ陛下は写真を?天皇陛下の珍しい“囲み取材”皇后さまの”衣装合わせ”を完全収録…両陛下初の国賓待遇インドネシア【皇室ちょっと
天皇皇后両陛下が初めて国賓待遇で外国を訪問された。
2023年6月17日から23日までのインドネシアの全日程を詳細にお伝えする訪問録。
愛子さまはなぜお見送りにいらっしゃらなかった?
日本の戦後賠償で建てられたホテルはいまも世界中のVIPに愛されている、その実力は。サプライズの連続!インドネシア流おもてなし。
皇后さまの絵画制作・絵付け体験をどこよりも詳しくお伝えする。
経済が勃興する国で日本の経済支援の現場は?
なぜ陛下はサンダルを履かれた?  
帰国後両陛下は、「2人そろっての初めての東南アジアの国への公式訪問でもあり、私たち2人にとってとても思い出深いものとなった」と振り返る感想を公表された。
「この訪問を契機として、両国国民の相互理解がさらに深まり、日本とインドネシアの友好親善と協力関係が一層進展することを心から願う」とされた。 
新見多一(皇室担当デスク)×水原恵理(BSテレ東『皇室の窓スペシャル』担当)
 00:00 初の国賓待遇で外国へ…愛子さまはなぜ?
 02:28 インドネシアは戦後賠償でホテルを建設 
05:39 サプライズの連続 
14:55 皇后さまのとびきりの笑顔 
27:18 インドネシアでも定着「砂防(SABO)」
 29:23 なぜ陛下がサンダルを? 
0:33 スジャータの乳白色が仏陀を癒やし… 
34:41 異例の天皇陛下の囲みインタビュー 
43:03 事前会見

『野村万作から萬斎、裕基へ』(20分短縮版)

2023-11-03
『野村万作から萬斎、裕基へ』(20分短縮版)「ポーラ伝統文化記録映画」
伝統文化記録映画『野村万作から萬斎、裕基へ』(20分短縮版)
 2022年製作/監督:土井康一 
「野村万作から萬斎、裕基へ」 人はなぜ喜び、歌い、そして泣くのか。なぜ生きていくのか。 狂言はそれら全てを笑いと共に、私たちに問いかけます。 重要無形文化財各個指定保持者 (人間国宝)野村万作。 若かりし頃、苦悩し、導き出した狂言師としての人生、そして挑み続ける精神力。 万作から、萬斎、裕基へ。 狂言の魂は、時を超え、世代を超えても色あせず伝えられていきます。 親子三代にわたる狂言の真髄をお届けいたします
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