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鉄の友

最新情報

そろそろお終いにいたします!!

2025-11-16
讀賣新聞 2025.11.16朝刊

【コラム】日本にチャンス到来、鉄道外交で中国つまずく-バスワニ

2025-11-07
Photographer: YASUYOSHI CHIBA/AFP

中国が描いた高速鉄道網でアジアを結ぶという壮大な構想は本来、国家が主導する近代化モデルの優位性を示すはずだった。

 しかし、遅延の長期化と債務の膨張により、この「鉄道外交」は行き詰まりを見せている。これにより、米国の同盟国である日本に、久しくなかった巻き返しの好機が訪れている。

 日中のこうした競争は鉄道だけの問題ではない。インド太平洋地域における将来的な経済勢力の在り方を左右する。域内の各国が新たな鉄道路線を導入するたびに、長期にわたる債務返済や保守契約、人材育成などを通じ、日本もしくは中国との結び付きが強まる。

 直近の事例が、インドネシアの高速鉄道「ウーシュ」だ。東南アジア初の高速鉄道路線として2023年に開業し、首都ジャカルタと国内第3の都市バンドンを結んでいる。

 総事業費は約72億ドル(約1兆1100億円)で、そのうち75%が中国からのファイナンスによって賄われた。当初は19年の完成を目指していたが、度重なる遅延により工期が大幅にずれ込み、最終的に10億ドル余りのコスト超過に見舞われた。

 当初、このプロジェクトは中国とインドネシアの関係強化の象徴とされた。しかし現在では、中国式モデルのリスクを示す典型例となっている。

 利用者数が想定を下回り運営コストがかさんだ結果、持ち分60%のインドネシア側コンソーシアムは昨年、数百万ドル相当の損失を計上した。インドネシア政府は現在、中国との間で債務再編交渉を進めている。

 これは、中国が関与するインフラ事業の落とし穴を示す警鐘だ。日本と中国は15年にこのプロジェクトの受注を巡って競ったが、インドネシアは中国案を採用。より低利の融資条件を提示した日本案は退けられた。

 それから10年を経て、ジャカルタでは今になって、あの選択は正しかったのかとの声が上がっている。 

オーストラリア、高速鉄道計画が前進 審査機関が承認
日本経済新聞 2025年11月6日 18:32 [会員限定記事]

【シドニー=今橋瑠璃華】

オーストラリアで初の高速鉄道を敷設する計画が前進した。

6日までに政府の独立した助言機関が建設の初期計画を承認した。

今後、具体的なコストが示されて政府が投資を決定すれば、日本の新幹線を売り込む機運が高まる。

助言機関インフラストラクチャー・オーストラリアはこのほど公表した審査報告書で「計画が開発段階に入ることを支持する」と記した。

線と電車

2025-10-22
読売新聞 2025.10.21朝刊

北海道新幹線の延伸時「鉄道貨物は維持

2025-09-12
函館本線を走る貨物列車。【画像:まこりげ/写真AC】

北海道新幹線の延伸による並行在来線の廃止で本州~北海道の鉄道貨物輸送が寸断される可能性がる問題について、国土交通省は9月3日、「北海道新幹線札幌延伸に伴う鉄道物流のあり方に関する有識者検討会議」の「中間とりまとめ」を公表した。新幹線の札幌延伸時点では鉄道貨物輸送を維持する必要があるとし、今後は事業方式の具体的な検討に移る。
北海道新幹線と並行在来線の位置。【画像:国土交通省】

京都を走って44年の「四角い顔」

2025-09-08
最終運行に出発する、京都市営地下鉄の開業当初から走っていた10系車両=2025年9月8日午後1時36分、京都市伏見区、新井義顕撮影 © 朝日新聞社
市営地下鉄の最古参車両が引退

京都市中心部を走る市営地下鉄で、開業から44年にわたって市民や観光客らに親しまれてきた最古参の車両が9月8日、ラストランを迎えた。

最終運行に出発する、京都市営地下鉄の開業当初から走っていた10系車両=2025年9月8日午後1時31分、京都市伏見区、新井義顕撮影

 車両の前面に縁取りを施して「四角い顔」に見えるのが特徴。老朽化のため、市交通局は新型車両への更新を順次進めており、最後まで残った1編成がこの日で引退した。

Facebook 乗り物のページ一/管理i人は当山住職、除くスーツ 交通 / Suit Train

【アーカイブス編】思い出の鉄路

一等車からグリーン車へ

2022-08-28
Facebook Miyake Taiji  さん曰く

サヨナラ「一等車両」
昭和44年5月10日、
当時の国鉄が運賃の改定に伴い、
それまでの一等車両を廃止して代わってグリーン車両をスタートさせました。


正面衝突事故

2022-07-31

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1991(h3)年】-2
◎信楽高原鉄道事故
*1991.5.14/ 信楽高原鉄道で、列車同士の正面衝突事故が起こり42人が死亡する。
 1991(h3)年5月14日10時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現甲賀市信楽町)の「信楽高原鉄道」信楽線小野谷信号場 ~ 紫香楽宮跡駅間で、信楽発貴生川行きの上り普通列車(4両編成)と、京都発信楽行きのJR西日本の直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(3両編成)とが正面衝突した。
 両方の先頭車両は原形をとどめないぐらい押しつぶされ、JR西日本側乗客の30名、信楽高原鉄道側乗員乗客の12名、合わせて計42名が死亡し、双方の乗員乗客600名以上が重軽傷を負う大惨事となった。臨時快速列車は乗客で超満員の状態(定員の約2.8倍)であったため、人的被害が非常に大きくなった。
 信楽高原鉄道は、JR西日本草津線の貴生川駅から分岐し、 信楽駅に至る全長14.7kmの非電化単線路線で、もとはJR西の信楽線が転換され、第三セクター鉄道事業者の信楽高原鉄道(株)によって運営されていた。
 信楽町は滋賀県の南東(甲賀地方)に位置し、奈良時代には聖武天皇の「紫香楽宮」が存在したとされ、現在は狸の陶磁器などの「信楽焼」で有名である。普段は山間にあるひっそりとした町だが、当時は「世界陶芸祭しがらき'91」が4月20日から開催されており、信楽高原鉄道の輸送能力をはるかに超える来場者輸送に追われていた。
 「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」の開催にあたって、信楽高原鉄道の輸送力が不足するので、実行委員会は信楽高原鉄道とJR西日本に対し協力を要請し、信楽高原鉄道は行き違いのできる無人の「小野谷信号場」を設けるなど、大幅な増強工事を実施するとともに、JR特別列車が直接乗り入れることを可能なシステムを構築した。
 しかしそのために複雑な信号システムとなり、そこに信楽高原鉄道とJR西日本という運転システムが異なる慣れない乗務員が乗り入れることになり、十分な事前訓練もなされないまま、世界陶芸祭への臨時運行ダイヤが組まれた。
 改修した急造の信号システムはトラブル続きで、その都度信楽高原鉄道の社員が、非常時対応マニュアルも整備されないまま手動で対応することになった。その上、信楽高原鉄道・JR西はそれぞれ別個に、各自無許可で信号制御の改造をしており、両社の意思疎通も取られていなかった。
 このような状況で5月14日10時18分、JR西の京都駅発下り臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」は、2分遅れで貴生川駅を発車した。一方、信楽高原鉄道上り普通列車は、信楽駅の出発信号機が出発指示に変わらず待機していたが、10時24分手動信号に切り替え、10分遅れで列車を出発させた。
 「貴生川駅」から「信楽駅」を結ぶ信楽高原鉄道は全線単線区間で、交互入れ替えできるのは新規設置された「小野谷信号場」だけであった。したがって、小野谷信号場より下り区間(信楽駅側)及び、信号機より上り区間(貴生川駅側)のそれぞれの区間は信号機による閉塞方式として、決して両側からの列車が同時に入らない仕組みとされていた。
 出発信号が出ないため信号トラブルと考えた信楽高原鉄道側は、手動制御に切り替えるため小谷野信号場に車で社員を向かわせたが、渋滞で信号場に到着しない間に見切り発車させてしまった。これは明らかに運行手順違反であり、事故の第一の原因は信楽鉄道側にあるとされた。
 しかし信楽駅からの上り列車の誤出発が検知された場合、小野谷信号場の下り列車用の信号が赤になるはずであったが、小野谷信号場の信号は青になっており、唯一生き延びたJR特別列車の運転士は、信号を信用して信号場を通過した。
 信楽駅から信号場の区間には幾つかの小駅があるが、すべて単線通過駅であり、行き違い線は設けられていない。しかも信号場に最寄りの紫香楽宮跡駅を、信楽鉄道普通列車はすでに通過していた。そして10時35分、JR西快速501D列車と信楽鉄道534D列車とは正面衝突し、多数の犠牲者を出す大事故が発生した。
(この年の出来事)
*1991.4.26/ 自衛隊のペルシャ湾への掃海艇派遣部隊が出発する。
*1991.6.3/ 雲仙普賢岳の噴火で、大火砕流発生し死者・行方不明者43人を出す。
*1991.9.17/ 南北朝鮮が国連に同時加盟する。
*1991.1.5/ 宮沢喜一内閣が発足する。
タブレット交換
徳永 裕明さん曰く
一過性の催事対応なら、複雑な信号システムではなく、国鉄単線区間で用いられていた「タブレット交換」を導入していたら事故を防げたかもしれませんね。

元祖・湘南電車

2022-06-26
Facebook 矢島和明  さん曰く

1976年7月頃、浜松駅にて。
東海道本線に80系湘南電車が現役バリバリだった頃。
Facebook 高橋 真さん曰く 、 こちら1977年の米原駅です。

[美しい] この写真は北海道美瑛町の風景です。

2022-06-14
美瑛町の景観を初めて全国に知らしめたのは 昭和40年代の日本国有鉄道のカレンダーでした。

Facebook 長谷川一彦さん曰く


[美しい] この写真は北海道美瑛町の風景です。
美しいです。
ところで美瑛町の景観を初めて全国に知らしめたのは
昭和40年代の日本国有鉄道のカレンダーでした。
写真は友達からもらいました。

<修学旅行列車の思い出>

2022-05-11
Facebook 武田 成弥  さん曰く

<修学旅行列車の思い出>
自分の思い出の投稿の中に出てきた。
小学校5年の時だったか6年の時だったかは忘れたが、当時千葉県佐倉市に住んでいた自分は東京から「急行伊豆」に乗って、今井浜海岸まで父と二人で乗った。本当は母や妹二人も一緒の予定だったが、自分がその前に水疱瘡になってしまい、妹二人にうつり、母はその看病のため二人で行った。申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、この電車に乗れたのはとてもいい思い出だと思う。
急行伊豆はかなりの数走っていたし、特急あまぎは特別な車輌として鉄道マニアの間では有名だ。でもその急行伊豆が修学旅行用列車だった。今は急行の数はかなり減ってしまったし、今では修学旅行用列車なんて走っていない。だから、とても貴重な体験だったと思う。
荷物を置く棚と、写真ではわからないが座席の間にゲームをしたり弁当を食べたりできるテーブルがあるのが特徴だった。
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