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鉄の友

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【アーカイブス編】思い出の鉄路

2024年度に引退する「国鉄型」最後の特急「やくも」

2023-09-15
文・写真=山﨑友也 取材協力=春燈社(小西眞由美)
日本で唯一残る国鉄型特急電車381系。現在は1編成が国鉄時代のカラーリングをまとい、人々の注目を集めている © JBpress 提供
「ゆったりやくも」色の「やくも」が伯備線を駆け抜ける © JBpress 提供
こちらは「スーパーやくも」色。緑のなかでピンクの塗装がよく映える © JBpress 提供
現役当時の「緑やくも」色。今年の11月からはこのカラーリングも復活する © JBpress 提供
歴代塗装4種が揃い踏み

鉄道ファンには人気が高い「国鉄型」

 かつて国鉄時代に造られた車両は「国鉄型」と呼ばれている。ところが気づけば国鉄からJRに移行して、早36年。当然国鉄型の車両もそれだけの年数を経ており、今では非常に数が減り活躍の場も限られている。稀少な車両のため鉄道ファンには人気が高く、国鉄時代を知らない若い世代にまでその熱は広がっている。そんななか国鉄型車両が、来年ひとつの節目を迎えようとしている。

 岡山県の岡山駅と島根県の出雲市駅を結んでいる特急「やくも」。車両はもちろん国鉄時代に造られた381系で、現在では唯一残る国鉄型の特急電車である。この381系が来春から順次新型の車両に置き換わり、2024年度中にはすべて引退してしまうのだ。これにより国鉄型特急電車は国内の定期運用から姿を消すことに。人気の名車も押し寄せる老朽化には勝てなかったというわけだ。では381系とはいったいどのような車両なのだろうか。

電車はどう「汚物」と向き合ってきたのか?

2023-08-28
『列車トイレの世界』(著:清水洽/丸善出版) © 婦人公論.jp

列車にトイレが設置されているのは、いまやあたりまえ。しかし開通当時からトイレ設備があったわけではなく、試行錯誤の時代を経て、ようやくいまの形となっています。そのような列車トイレの歴史について調べ、筆を執るのは、NPO法人21世紀水倶楽部の顧問を務める清水洽さん。清水さんいわく「国鉄が分割民営化される直前の時点で、全汚物発生量の75%が衛生的に処理できるようになった」そうで――。

「冷凍みかん」

2023-07-11
facebook 木村 昌仁さん曰く
大洋漁業(現・マルハ)と鉄道弘済会(現・キオスク)の共同開発で製造されました。
「冷凍みかん」は、元々夏場には暖かくなってしまうため、冬から春頃にしか販売されていなかった蜜柑を通年販売できる商品にしようという考えから発案され、大洋漁業(現・マルハ)と鉄道弘済会(現・キオスク)の共同開発で製造されました
収穫した蜜柑をそのまま夏まで冷凍することにし、昭和30年(1955)から小田原駅のキヨスクで販売するようになったのが始まりと言われています。昭和30年代から40年代が出荷のピーク(昭和39年当時は1000万個)となり、学校給食の人気デザートとしての立場を不動のものとしました。一方でアイスクリームなど他の食品との競合や、車両への冷房装置搭載が進んだこともあり、店舗での売り上げは減少していきました。

日本一古い列車愛称「さくら」の長~い歴史 2度の消滅から新幹線で復活 物議もごもっとも?

2023-06-25
安藤昌季(乗りものライター)

九州新幹線の「さくら」という愛称は、日本一古い列車愛称です。誕生は1929年。在来線特急として長く使われ、各時代とも当時を代表する列車でした。その歴史を振り返ってみましょう。

欧米で流行っていた列車愛称を日本に導入

 鉄道省(現在のJR)が列車に「愛称」を付けようと考えたのは、1929(昭和4)年のことです。当時は世界大恐慌の影響で日本経済も停滞しており、鉄道も利用者が伸び悩んでいました。そのような中、欧米で広まっていた列車愛称を日本も取り入れようと、鉄道省が特急列車の愛称を公募したのです。

 当時、特急列車はその名の通り、「特別な急行列車」でした。2023年現在のJRでは、定期の急行列車が消滅していますが、当時は急行列車ばかりで、特急列車は東京~下関間の1・2列車(1・2等車連結)と、3・4列車(3等車連結)の4本が運行されているだけでした。

臨時列車用に使用されたと思われる43系客車(安藤昌季撮影)。
九州新幹線「さくら」に使われるN700系電車7000・8000番台(安藤昌季撮影)。

夜行列車

2023-06-14
【14系白帯】夜行急行八甲田号【上野発青森行き】
夜行列車上野発(1993年)
【平成元年12/6収録!】日本縦断 夜行列車の旅
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