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鉄の友

Facebook 乗り物のページ一/管理i人は当山住職、除くスーツ 交通 / Suit Train

【アーカイブス編】思い出の鉄路

1967年 3月 15日 東北本線 一戸機関区で。

2023-03-01
facebook石川進さん曰く、 そろそろシーズンオフか? 単線用ラッセル車 キ178 がぽつんと留置されていました。

阿蘇観光、消えゆく「昭和」

2022-11-19
facebook西日本新聞meさん曰く、〈思い出のある方、多いのでは…〉
仙酔峡ロープウエーの2駅舎解体
阿蘇山の火口見学が約1年ぶりに再開され活況を取り戻す陰で、かつて火山観光の一翼を担った施設の遺構が静かに姿を消しました。
 旧仙酔峡ロープウエーの「仙酔峡」と「火口東」の二つの駅舎。ロープウエー開通は1964年。両駅間(約1・5キロ)を9分で結び、当時は「東洋一のロープウエー」と呼ばれました。
facebook西日本新聞meさん曰く

鉄道開通の日

2022-10-07

鉄道博物館さん曰く


現在当館2階・スペシャルギャラリーでは、
鉄道開業に関する資料を約30点集めた
「珠玉の秘蔵資料特別公開」を開催しています。

 写真は1872(明治5)年10月14日(旧暦9月12日)の新橋~横浜間の鉄道開業式当日に新橋駅頭に掲げられた約3.6メートルもある大きな幟(のぼり)「祝汽鑵車全通(しゅくきかんしゃぜんつう)」です。

 作者は明治政府の高官であり、書家としても知られ、明治の三筆の一人と称された巖谷一六(いわやいちろく)です。
「一六」は書家としての号で、本名は「修(しゅう)」と言いました。

 鉄道開業式当日、明治天皇をはじめ政府高官らが乗車した特別列車が新橋~横浜間を往復しました。この時機関車にけん引された客車は第1車から第9車まで全部で9両あり、各車両に乗車した人物の肩書と氏名を記した席次表「列立次第((れつりつしだい)」が残されています。
 それを見ると、第3車に明治天皇や井上勝らが、第4車に大隈重信や西郷隆盛らが、そして第6車には「巖谷少内史」の記載があり、巖谷も乗車していたことがわかります。

 巖谷が書いたこの幟は、その後福井県永平寺に所蔵されていたのを神田区(現東京都千代田区)の篤志家が入手し、1940(昭和15)年に鉄道大臣・小川郷太郎を通じて万世橋の鉄道博物館(初代)に寄贈されました。やがて戦後の交通博物館を経て当館へ移管されました。

 この幟をはじめ鉄道開業に関する資料を集めた「珠玉の秘蔵資料特別公開」を開催しています。鉄道開業150年のこの機会にぜひご覧ください。

※「鉄道開業」をテーマとした展示は10月17日(月)まで

鉄道開業150年

2022-10-06

ことしは日本に鉄道が開業して150年。今回は鉄道の歴史を徹底調査!向かったのは東京・高輪で見つかった日本初の鉄道の遺構。現れたのは城の石垣のような石積み。海の上に鉄道を走らせるため作られた堤だという。なぜ海の上を走らせる必要があったのか?そこには明治日本を豊かな国にしようと奮闘した男たちのドラマがあった。

鮮魚専用の「鮮魚列車」の運行を終了。

2022-10-02

facebook 畠山 紘さん曰く


近鉄鮮魚列車・・・伊勢志摩の新鮮な魚介類を鶴橋市場に運んでいました。
早朝に宇治山田駅を出発して、およそ2時間半をかけて大阪へと向かい、夕方は大阪から松阪駅まで向かっていた。なお、朝は鮮魚列車より早い時間に運行される始発列車を乗り継いで伊勢地方から大阪へ向かう会員もいた
近畿日本鉄道は2020年3月13日(金)をもって、50年以上にわたって運行してきた鮮魚専用の「鮮魚列車」の運行を終了
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