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ちょい話【et cetera】

ちょっといい話

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萩本欣一さんの話

2020-04-17
京都祇園祭 は疫病除け 疫病退散を祈願するお祭り です。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2838017422946833&set=a.161666390581963&type=3&theater


https://static.blog-video.jp/output/hq/Yb6ElYLvUZC98behB152tqQI.mp4

天平期の我が国

2020-04-17
737年、都に天然痘の大流行

737年、都に天然痘の大流行が起こり、藤原四兄弟が全員病死してしまい、藤原氏勢力は一気に減衰する。臣籍降下した「橘諸兄」が右大臣として政務を担い、遣唐使留学から帰朝した僧玄昉や吉備真備を登用して窮地をしのぐが、人材払底は避けようもなく朝政は不安定化した。

天平年間は災害や疫病が多発、聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年に「国分寺建立の詔」を、743年には東大寺「盧舎那仏像の造立」の詔を出している。これは5年にわたる彷徨の最中に発せられた詔勅で、仏教によって国家を治め、律令国家の根幹を支えようとしたものと考えられる。

「聖武天皇」(首皇子)は、文武天皇の第一皇子として生まれたが、7歳で父と死別、母の宮子(不比等の娘)も心的障害に陥るなど、両親との接点は薄かった。文武天皇の母である「元明天皇」(天智天皇皇女)が中継ぎの天皇として即位し、その治世下で平城京遷都が行われる。
749年、聖武は仏道に専念するとして出家
743年には東大寺「盧舎那仏像の造立」の詔
都に天然痘の大流行が起こり、藤原四兄弟が全員病死
◎聖武天皇彷徨

『字のないはがき』

2020-04-17
脚本家、エッセイスト、直木賞作家である 故・向田邦子の作品の中でもとりわけ愛され続ける 名作「字のない葉書」(『眠る盃』所収、1979年講談社)が原作。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09726848
戦争時代、ちいさな妹が疎開するとき、 お父さんはちいさな妹に、 「元気なときは大きな○を書くように」と、 たくさんのはがきを渡しました。
しかし、大きな○がついたはがきは、 すぐに小さな○になり、やがて×になり・・・。

ことば

2020-04-16
分を知るということ
志村けんさんです。
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