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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」

2022-02-14
英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」part1 20211208
英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」part2 20211208

高木惣吉のことば

2022-02-07
『読売新聞』2022.02.07朝刊

いまから425年前の1597年の今日

2022-02-05

Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く


2月5日雪の朝~日本二十六聖人殉教記念日です
   The feast of St.Paul Miki and companions.
 小雪が舞い散る朝となりました。
 いまから425年前の1597年の今日、西坂の丘で二十六聖人は磔刑となり、殉教しました。

100分deパンデミック論

2022-02-05
MC #伊集院光 #安部みちこ
2020年世界を襲った新型コロナ禍は、私たちの暮らしや行動様式を一変させた。
それだけではない。
パンデミックは拡大と鎮静化を繰り返し長期にわたって社会や経済システムを圧迫し続けている。
私たちはこの状況にどう立ち向かっていけばよいのか? 
そしてパンデミック後の世界で、疲弊した社会や経済をどう復興し再生していけばよいのか? 
さまざまな分野の専門家が徹底討論しながら、難解な名著をやさしく読み解いていく。
ゲスト #斎藤幸平 #栗原康 #小川公代 #高橋源一郎

【戦後70年】71年前の旧日本海軍の缶詰、中身は「赤飯」だった

2022-02-04
2015/7/31 10:53 産経WEST できごと

香川県土庄町のアートギャラリー「MeiPAM」(磯田周佑代表)の施設から、木箱に入った旧日本海軍の缶詰計17個が見つかり、30日、同ギャラリーのスタッフが公表した。

 缶詰は直径8・5センチ、高さ11・5センチで415グラム。品名は「赤飯」。ラベルには昭和19年に広島県尾道市で製造されて神奈川県の横須賀海軍軍需部に納入したことなどが記されている。

 同施設は明治初期に建てられた倉庫で、平成22年に同ギャラリーが同町内の米穀店から購入し、アート作品の展示スペースとして利用。米穀店では飼料などの保管庫に使っていた。建築された当時はしょうゆ製造の施設だったという。

 同米穀店によると、缶詰は、太平洋戦争中、海軍の食糧などの調達部に所属していた店の親族が、海軍の様子を知ってもらおうと小豆島の家族に持ち帰った物資のひとつという。

 施設の改修中にタンスや日用品、ひな人形などにまざって発見された旧日本海軍の缶詰。同ギャラリーでは、太平洋戦争末期の軍の食糧物資はたいへん貴重だとして、8月1~31日に同施設で展示する予定。

缶詰は直径8・5センチ、高さ11・5センチで415グラム。品名は「赤飯」。ラベルには昭和19年に広島県尾道市で製造されて神奈川県の横須賀海軍軍需部に納入
大日本帝国海軍潜水艦勤務記録【白黒】 インド洋1

戦争初期・・日本軍の進攻範囲は太平洋に留まらず、インド洋にも侵攻を開始した!              その中、インド洋において、連合軍の船舶に対し、日本海軍潜水艦伊型による攻撃を行う潜水艦搭乗員の勤務記録である!  
インド洋2→sm16687566



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