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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

地下鉄サリン事件から3月20日で27年がたつ。

2022-03-20

Facebook 時事通信社さん曰く


地下鉄サリン事件から3月20日で27年がたつ。日本の首都・東京の地下鉄で、月曜日朝の通勤時間帯に化学兵器のサリンが同時多発的にまかれ、乗客や駅員13人が死亡、約6300人が重軽症を負った未曽有の事件は、世界中に衝撃を与えた。今でこそ、事件は「テロ組織」と呼称するにふさわしいオウム真理教による事件であることは誰もが知るところだが、そもそも日本の行政当局が宗教法人として認証した宗教団体が、なぜそのような事件を引き起こしたのか。それが日本征服を目的とした全体計画の「前哨戦」にすぎなかったことを、現在どれだけの日本人が理解しているだろうか。(作家・ジャーナリスト 青沼陽一郎)

自由に出入りできる海がほしい・・・。

2022-03-03
【図解】ボスポラス、ダーダネルス海峡
Facebook 時事通信社さん曰く、ロシア軍艦の一部通航認めず トルコ外相、説明を修正  2022年03月02日20時46分

【イスタンブール時事】トルコのチャブシオール外相は1日夜、テレビ番組にオンライン出演し、ボスポラス、ダーダネルス海峡を通って地中海から黒海に向かおうとしたロシア軍艦4隻のうち、3隻について両海峡の通航を認めなかったと明らかにした。

黒海への軍艦航行を制限 海峡沿岸のトルコ

 アナトリア通信によると、チャブシオール氏は2月28日、戦時中の航行制限を認める国際条約に基づき、両海峡に軍艦を通航させないよう各国に警告。その際「(軍艦の)通航要請はこれまでのところない」と説明していたが、これを修正した形だ。

良心は痛まないだろうか・・・、大統領閣下・・・。

2022-03-01
2022.03.01、『読売新聞』朝刊

秋篠宮家の長男・悠仁さま(15)が4月から筑波大学附属高校(筑附)に進学することになった。

2022-03-01
© NEWSポストセブン 提供 筑波大学附属高校に進学が決まった悠仁さま(時事通信フォト)
悠仁さま、筑附入学早々に待ち受ける「蓼科合宿」は高校生活を左右する一大行事

現在通学するお茶の水大学附属中学と筑附の間で設けられた「提携校進学制度」を利用しての進学だと宮内庁が発表しており、皇位継承者が学習院以外の高校に入学するのは戦後初のこと。

 筑附といえば偏差値70を超え、毎年東大に20~30人合格者を輩出する男女共学の進学校だが、自由を重んじる校風で、「制服もなく、ガリ勉学校という雰囲気はない。部活に委員会にと、のびのびと過ごす生徒が多いです」(OB)。

 そんな筑附で、悠仁さまを待ち受ける最大のイベントが入学早々にやってくるという。

「1年生の7月に行なわれる『蓼科生活』です。長野県北佐久郡の蓼科高原で3泊4日の合宿をするのですが、これは筑附生の間で“その後の学校生活を左右する”と言われる天王山。合宿はクラスごとに行なわれ、登山に飯盒炊爨、餅つき、キャンプファイヤーと、いわゆる林間学校的なイベントです。高校入学組が中学からの内部進学組に溶け込むための親睦会的な意味合いが強く、この合宿で距離を縮めないと、その後も浮いちゃうんです。筑附は3年間クラス替えがないので」(同前)

 蓼科といえば、元皇族の東伏見宮家の別荘を改装した「ホテルハイジ」をはじめ、皇室御用達の施設が多数ある。今年の開催は新型コロナの収束状況次第だが、悠仁さまにとっては“ホーム”ともいえる地だ。

「クライマックスは夜の肝だめしです。男女ペアになり、真っ暗な山道を提灯ひとつで歩いて行く。引率のOBや宿の管理人が道中でお化けに扮して脅かしてくるのですが、これが怖いのなんの。ペアはくじ引きで決まり、その後カップルになるケースも珍しくない。“蓼科マジック”と呼ばれています」(別のOB)

 悠仁さまも肝だめしで大切な人を見つけるかもしれない──のだが、ひとつネックが。宮内庁担当記者が語る。

「当然ですが、悠仁さまには複数の警護が付きます。合宿中も例外ではありません。肝だめしの最中も、おそらくは遠巻きに見守るのでしょう」

 いささかムードに欠けるものの、悠仁さまには存分に青春を謳歌してほしい。

※週刊ポスト2022年3月11日号

日系人強制収容「二度とないように」 恥ずべき出来事と米大統領

2022-02-20

Facebook 時事通信社さん曰く


日系人強制収容「二度とないように」 恥ずべき出来事と米大統領
第2次大戦中に米国で起きた日系人強制収容の根拠となった大統領令署名から、19日で80年を迎えました。

 第2次大戦中に米国で起きた日系人強制収容の根拠となった大統領令署名から、19日で80年を迎えた。これに先立ちバイデン米大統領は18日、「わが国の歴史で最も恥ずべき出来事の一つだ」とする声明を出し、「日系人への連邦政府の公式謝罪を改めて確認する」と表明。日本語で「Nidoto Nai Yoni(二度とないように)」と過ちを繰り返さない決意を示した。

戦争の記憶~米・日系人強制収容所

 真珠湾攻撃翌年の1942年2月、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名。日系人約12万人が正当な理由なく「敵性外国人」として収容所に送られ、過酷な生活を強いられた。
 バイデン氏は声明で、日系人が自宅や職、財産だけでなく「全ての米国人に等しくある基本的自由すら失った」と指摘。強制収容の歴史が「人種差別、恐怖、外国人排斥を許せば、悲劇的な結末を招くことを現代のわれわれに気付かせてくれる」と記した。
 その上で「日系米国人だけでなく、世界に意味を持つ米国人の物語だ」と語る元収容者の言葉を紹介。「今後、こうした『米国ならざる行為』に一切関与しない」と誓った。

収容当時の図とマンザナール収容所跡に建立されている慰霊碑
マンザナー日系人強制収容所の光景が、アメリカ合衆国史の「闇」を映し出す
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