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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

わが師ということ 本多弘之(親鸞仏教センター所長)

2020-07-17
「願に生きる」ということ(1)
 
   今年、2020年は、曽我量深先生の五十回忌に当たる。今から49年前の昭和46年(1971)に、学園紛争という大きな事件があった。機動隊による大学への介入という非常手段によって、やっと各大学の学生による封鎖が解かれた。大谷大学も全国の主流の大学にはいささか遅れたものの、学生による封鎖が解かれて、教員が大学に戻れる状態になったばかりの時点であった。96歳になられた師が、6月20日に命終されたのである。

  師の生涯は、明治8年(1875)に新潟県の味方村に生誕し、京都市の東山今熊野のご自宅で命終されるまでの、筆舌に尽くせない難渋な状況の連続する一生であった。日本も明治維新前後から、近代化(西欧列強との角逐)に国を挙げて走り出し、英米等を相手にした世界戦争をくぐり、昭和20年(1945)、敗戦国になるまでの国難の時代だったことも大きな要因だったのであろう。

  江戸時代の封建体制にあぐらをかいてきた仏教諸宗も、この時代の難関に少なからず動揺したことであった。真宗大谷派もこの近代の宗教や思想文化の著しい変換による難関に宗門を挙げて対面したのだが、なんと言っても清沢満之(1863~1903)という人を措いては、この宗門における近代を語ることはできない。曽我量深師は、若くしてこの清沢師に値遇して浄土真宗を生き抜く眼を開かれた人であった。

   日本仏教にとっての近代とは、インドに発して中国を経て伝えられた大乗仏教に対して、ヨーロッパ経由の文献学的な仏伝や古代インドの仏教思想の研究によって、根本的に仏教であることが疑われるところから始まった。この根幹を揺るがされる大問題が存在するにもかかわらず、おおかたの漢文による仏教学に情熱をかたむけてきた宗学の学者たちの眼には、封建時代の閉鎖的な問題関心を超える問いなど見えてこなかったのであろう。これに対して、近代に流入してきた西欧の学問や科学的知識を、若くして学んだ清沢師は、仏教の本質への鋭い観察と親鸞聖人の信念への直入(じきにゅう)によって、世界への発信力をもつ仏教思想の可能性を信じ、その仏教的信念の思想的表現の構築を志していたのである。

   この清沢師との値遇は、その直後に清沢師が肺結核により41歳の若さで命終するということになった。しかしその後の生涯を、この清沢師の志願を果たすべく、曽我量深師は尽瘁(じんすい)されたのであった。

   昭和36年(1961)4月、親鸞聖人七百回御遠忌の記念講演に三人(金子大榮・曽我量深・鈴木大拙)の老大家の一人として登壇した曽我量深師は、「信に死し願に生きよ」のテーマの下に、親鸞聖人の残された『愚禿鈔』の「本願を信受するは、前念命終なり」という言葉の意味を考察されたのであった。(続く)
 

人間は何のために生きるのか?

2020-08-02
Facebook 田畑 正久さんより
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第380回
(令和2年5月18日掲載)医療文化と仏教文化(206)
臨床の現場では進行癌のため回復が望めなくなり、種々の苦痛に対して緩和ケアを受けている患者さんがいます。その人達から発せられた「私は死ぬために生きているのですか」「良い生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」というような、いわゆる魂の苦悩が「スピリチュアルな痛み」と表現されています。このスピリチュアリティ(spirituality)に相当する適切な日本語がないために、そのまま外来語として使われています。
人間として生れて、病苦の中で生きていく意味を見いだせず、死によって自分の生きてきた過去が無になってしまう虚しさを感じての表白でしょう。
将来の希望に燃えている時には問題にならなくても、現代の医学が準拠する科学的合理思考では、治癒不可能な病状に直面した人が生きる意味を見出すことは困でしょう。腎臓ガンのために49歳で亡くなった従兄弟の「明るい未来が見えない、ということは居たたまれないんだ」という言葉が耳に残っています
唐の時代に中国浄土教を確立した善導大師は、「自らの業識(ごっしき:生まれたいという自分の意志)を内因として、父母の精血を外縁として、因縁(内因と外縁が)和合して私は人間に生まれた」と言っています。自らの愚かさに目覚める者はそれまでの迷いの連鎖を知らされ、その迷いを超えるために人間に生まれ仏教に出遇って、迷いから解脱するために、この世に生を受けたと頷けるのです。それなら、生きる意味というのは迷いを超えて動物的な「ヒト」から人間になり、迷いを超えた仏に成るという意味として受け取れるようになるでしょう。
しかし科学的合理思考では「私の人生は一回だけなので死んだら終わり。だから、生きているうちに、楽しいこと、心地よいことをするしかない。私が幸せになることが、人生の目的である」というように、虚無主義と快楽主義と個人主義が複雑に絡みあった人生観になります。そして「私たちの世界はすべて物質に還元可能で、生命を構成する物質が集積したときに「生」があり、それが分散したときに「死」がある。
ただそれだけのことで、生きていることに意味はありません。生きていること自体に意味がないのに、その質(Q.O.L、quality of life)を問う必要はないという唯物論的な近代科学の見方が追い討ちをかけるのです。

「常楽我淨」ということ

2020-07-11

明日早朝の雨が宇佐市は大雨の予報です。自然現象は人知で管理支配できません。南無阿弥陀仏

大分合同新聞医療欄 「今を生きる」第379回
(令和2年5月4日掲載)医療文化と仏教文化(205)
死の現実をきれいごとで尊厳死、安らかな死などと言ってみても、一般的な思いからすると死は避けたい、先送りしたいマイナス要因です。ギリシャの哲学者が「人間は誰からも教えてもらって無いのに幸せを目指して生きていく」と言っています。しかし、いくら幸せのためのプラス要因を集めて幸福を目指しても、必ずやってくる老病死はどれも人生のマイナス要因です。これでは最後に「不幸の完成」で人生を終わることになります。仏教では、こういう生き方を「迷いの人生」というのです。
私の70年間の人生を振り返ってみると、その時々の課題に取り組み、その解決を目指して生きてきたと思います。それは、無意識に苦を厭(いと)い楽を指向してきたように思います。仏教は、人間は「常楽我浄」を目指していると言い当てます。「常」とは安定して変わらないこと、「楽」は苦や不安のない状態、「我」はしっかりした信念のある自分、「淨」は虚偽のない清い世界、理想の世界です。
私達はこの世に「常楽我浄」があり、それを求めて生きることが人間としての在り方だと思っています。仏教は私達の生きざま・思考を見通して、この世に「常楽我浄」はないと説きます。無いものを「有る」として追い求めるから、結果として「人生苦なり」の生き方をしていると見透かしているのです。
そして仏の智慧の世界には「常楽我淨」があると教えてくれます。仏の世界が私の世界を鏡に如く照らし出し、私が物事のあるがままを正しく見ていない、煩悩で脚色して自分に都合のいいように見ていると指摘するのです。
仏教は生死の迷い(迷いの人生)を超える道を教えています。私たちが理性、知性をはたらかせても、老病死を少し先送りすることしかできません。仏教は私の思考の無明性(真理に暗いこと)、正しく判断できるはずの理性に潜む煩悩性、知性的な分別(私は間違いないという)の執われのために全体像が見えないことが迷いの原因だと教え、それを超える道に導くのです。

横超という一語が真宗、選択本願というものを代表している言葉です。

2020-07-20

725
そこで超越という非常に大事な概念が出てくる。横超という一語が真宗、選択本願というものを代表している言葉です。それが無量寿経の下巻に出ているのです。易往無人という言葉も下巻に出ています。下巻というものは全体として本願成就を語っているのです。

自覚的超越です。

2020-07-19

724
ただ有限を捨てて無限に超越すれば、それは奇蹟でしょう。自覚的ではないでしょう。超越ということも意識ということに立つならば、超越ということが自覚なのです。自覚的超越なのです。奇蹟的超越ではない。こういうことをはっきりしなければならないのです。

726
もっと言えば横超ということは本願を語っているというよりも本願成就を語っているのです。本願成就の教えが横超の教えなのです。そこに即得という字がある。「願生彼国 即得往生 住不退転」と、ここに即得という字がある。この即という字が横超なのです。一歩一歩ではないということです。

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