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ヨキヒトの仰せ

ヨキヒトの仰せ【文字データ編】

わが師の文章との出遇い

2023-12-16
細川 行信(ほそかわ ぎょうしん、1926年2月18日 - 2007年10月24日)は、浄土真宗の仏教学者。
facebook 土田龍樹さん曰く
今年もあと半月。あっという間の一年でした。
今年はゼミの恩師細川行信師の十七回忌でした。
ふと思いおこしてみると、小生が卒業してまもなく、住職となり、寺報を発行すべく、先生にお願いして原稿を書いていただいたのを思い出しました。もう35年も前のことです。
今読み返してみると師恩を沁みじみ感じます。
お育てに感謝です。ナンマンダブ
その原稿を十七回忌のご勝縁にあたり、ご紹介させていただきます。
この原稿は、昨年六月に大谷大学教授細川行信先生が当紙のために書きおろして下さったものです。
『すみません』
大谷大学教授 細川行信
『一杯のかけそば』を読んで
三月に卒業式をおえて多くの学友が、それそれの国許へ帰られました。私は今学年も留年、このまま二年後に停年を迎えそうです。
と言っても明日をもしれぬ命ではありますが。
さて四月に入り、入学式のあと多忙な日々からようやく月末の連休を迎え、ゆっくり新聞の文化欄を見ていると、大反響を呼んだ『一杯のかけそば』の本が詳しく紹介されていました。
その内容に強く心をうたれましたので、さっそく書店に行きましたが、どの書店も品切れ。残念に思っていましたところ、ちょうど民放のテレビで本の朗読と口演を聴いて、聞くたびにとどめなく涙がでました。
そのうち特に『一杯のかけそば」の深い共感から、この本を書かれた栗良平さん自らの口演を承って、私なりに悲喜の涙が尽きなかったのです。一体何が頑固な私の心に身にしみるのでしょうか。
実は晩春の今、家の小庭に咲く花一杯の密柑、その甘酸ぱい香りを胸一杯に吸って、書庫で朝のひとときをお念仏の御聖教に親しんでおります。
こうした中で、お念仏の香光が感じられます。すなわちそれは聖人のご和讃に念仏の元祖法然上人を偲んでの一首、「浄土和讃』のおわりに「染香人のその身には、香気あるがごとくなりこれをすなわちなづけてぞ香光荘厳ともうすなり」が念頭にうかびます。
従って『一杯のかけそば』もまた香光荘厳としてお念仏せずにはおれません。
『一杯のかけそば』の始まりは、十五年前の大晦日の夜、二人の男の子を連れて北海亭の戸を開いて「すみません、あのーかけそば一人前、よろしいでしょうか」との母親、それに応じて一・五人分のそばをだしてとてもおいしく一人前を三人が互いに譲りあっていただき、その親子がそば屋さんに「ありがとうございました。どうかよいお年を」の声。
それを弟の淳ちゃんが作文に「一杯のかけそば』として綴り、それが北海道の代表に選ばれたこと。
その親と子が額をあわせて語る会話に読むもの聞くもの共に泣かずにはおれません。
私もその情景を想像しながら、かっての『おしん』の苦労をこえて心あたたまるもの、人間が忘れかけていた真実をしらせていただきました。それこそ私は「すみません」「ありがとう」の言葉に違いないと、ふと私の口よりお念仏が出てまいります。
お念仏、すなわちみ仏の名号を、親鸞聖人は「円融至徳の嘉号」といわれ、それは「悪を転じて徳を成す正智」と申されました。その仏の御名は濁世に生きる「極重悪人」の私が身にかけられ、わが心を貫徹するもので、濁悪をすま(清澄)して「すみません」と申す外ございません。
これを仏教では懺悔(さんげ)といい、仏法聴聞の大地であります。
かって特攻隊の一員として大海原に散った若人が、いわゆる辞世の句に「すくわれぬ身にしみわたるみ名の声」と詠んだ手帖を前に、母も妻も、そして四十五年たった今も涙しながら、お念仏申さずにはおれません。
何よりも「すくわれぬ」と自身を省かれる深さこそ、その底の底から一人ももらさず救う大悲の願心に感応いたします。そして「身にしむ」というしみとおるお念仏の香光、その染香人のご和讃を重ねて味あわせていただくのです。
このところ、今年は『奥の細道』の三百年ということで、元禄二年(一六八九)三月二十七日今の陽暦に当てると五月の十六日、前途三千里の旅に出発した。奥州路を白河より平泉へと進み、高館での「夏草や兵どもが夢のあと」は、かつての古戦場をしのんでの感懐。それは「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」として詠まれた一句。ついで尿前(しとまえ)の関を越えて出羽の国へ入り、山形領の立石寺という山寺を訪れた。そこでの「閑さや岩にしみ入る蝉の声」に、私は岩のごとき身にしみとおる仏のお呼び声を聞く思いで、ふとお念仏がこぼれました。ところで、この蝉の声について私は先年、一夏のあいだ木々の多い病院で療養中、蟬しぐれを耳にして曇鸞大師の『浄土論註』にある「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず」の言葉を想起しました。その蟪蛄はつくづくぼうし。かって「岩にしみいる蝉の声」について、斉藤茂吉と小宮豊隆との間に論争があったといいます。
しかし私は曇鸞大師の『論註』より、閑かな浄土を夢みて、わが煩悩の身に染み入るのは、つくつくぼうしの一心不乱の声かといます。
そして六十三回の春秋を重ねた私は、「閑さや」の俳聖芭蕪の句より、さらに近くは一杯のかけそばの「すみません」「ありがとう」より、お念仏の懺悔と報恩を味わい、ひとときの今を精いっぱい念仏の息をしながら、かけがいのない人生の旅を歩んでまいりたいと念じております。
お約束の原稿ようやく書きあげましたが、大変おそくなってごめんなさい。
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