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ちょっと気になる逸品の世界

小磯良平(1903年7月25日-1988年12月16日) 昭和期に活躍した洋画家。

2023-07-25
facebook 井上直哉さん曰く
小磯良平(1903年7月25日-1988年12月16日)
昭和期に活躍した洋画家。
肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られます。
旧三田藩の旧家で貿易に携わっていた岸上家の8人兄弟姉妹の次男として、
神戸市神戸(現在の中央区)の中山手通に生誕。
東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)西洋画科に進み、
在学中の1925年(大正14年)に親戚の小磯吉人の養子となり改姓し、
同年「兄妹」が帝展入選、
1926年(大正15年)「T嬢の像」が帝展特選を果たします。
首席で卒業後の1928年(昭和3年)、
フランスに留学。
ルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼ「カナの婚礼」に衝撃を受け、
群像表現を極めることを生涯のテーマとします。
帰国後の1936年(昭和11年)、
「新制作派協会」(現・新制作協会)の結成に加わり、
1938年(昭和13年)から1年間藤田嗣治らとともに
陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、
帰国後戦争画を製作。
1941年(昭和16年)に
群像画の傑作「娘子関を征く」と「斉唱」(第4回新文展に出品)を相次いで発表。
良平自身は群像を書くため精力的に戦争画に取り組みましたが、
戦後は画集に収録せず。
戦後は
東京藝術大学教授などを務めて後進の指導にあたり、
定年退官後も迎賓館(赤坂)大広間の壁画「絵画」「音楽」を制作するなど
長きにわたり日本の洋画界に大きく貢献し、
同大学名誉教授の号を授与されました。
1992年(平成4年)に創設された「小磯良平大賞展」は
国内最高賞金の公募展として知られています。
1933年(昭和8年)に
神戸でキリスト教(組合教会系)の洗礼を受けており、
1970年(昭和45年)には日本聖書協会の依頼により
32点の聖書の挿絵を完成させました。
その他、
1941年(昭和16年)出版の『東京八景』(太宰治)の装丁や
1947年(昭和22年)に制定された「兵庫県民歌」楽譜の表紙画を手がけています。
1988年12月16日、
肺炎のため神戸市東灘区の甲南病院で死去。
享年85。
(小磯良平)
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