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家族のページ

思い出のページ【当代と家族が歩んだ時代】

『Get Back! 70's / 1976年(s51)』 当代、W大の4年になっていました。

2021-05-05
Facebook 佐々木 信雄さん曰く



 昨年から順調に進みだした営業マンとしての仕事も、市内大手百貨店の担当から、老舗ではあるが繁華街からはずれJR駅前に位置する百貨店に変わった。万年売上不振になやむ店であったが、店側の担当者にはローカルな人情味があり、楽しく付き合え、仕事も自由自在に進められた。
 秋のキャンペイン「ゆれる、まなざし」では、現役銀行マンでもあった小椋佳の曲が起用された。コーナー店頭にはCMを流すビデオが設置されていたが、たまたま美容部員が、うっかりNHKで放映された小椋佳の音楽番組の録画を流したため、匿名の客からチクられた。上司とともにNHK支局にあやまりに行ったのも、今となっては懐かしい記憶でしかない。
*小椋佳『ゆれる、まなざし』>https://www.youtube.com/watch?v=0nlgE9xXN10
○2月 [ワシントン] 米上院多国籍企業小委員会で、ロッキード社が航空機売り込みのための対日工作資金を不正に支払ってきた事実が公表される(ロッキード事件の発端) 
○7月 [東京] 東京地検がロッキード事件に関し、田中角栄前首相を外為法違反などで逮捕する 
 前総理 田中角栄をはじめとして政財界から多くの逮捕者を出した、この戦後最大の疑獄事件は、はるか海の彼方アメリカからもたらされた。この2月、アメリカ合衆国上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)における公聴会で、ロッキード社の政界工作が発覚した。軍用機では屈指の大手ロッキード社も、大型ジェット旅客機の分野では、マグダネル・ダグラス社やボーイング社に遅れをとり、新開発のトライスター機の売り込みに必死になっていた。
 米での証言などから、日本の政界と商社・航空業界も大きく関与している事実が判明してきた。まもなく日本側でも国会を中心として激しい追及が行われ、何人もの財界関与者が「証人喚問」されるシーンは全国にテレビ中継された。陰のフィクサーとして児玉誉士夫・小佐野賢治、全日空側からは若狭得治社長、仲介した商社丸紅から檜山廣会長や大久保利春専務などが次々と喚問される。
 ロッキード社からの売り込み工作資金は複雑な経路を経由して、田中角栄を筆頭とする政界にも注ぎ込まれ、とうとう前首相の逮捕・起訴という前代未聞の事件となった。追及の過程では、幾つもの隠語・流行語が登場した。「ピーナッツ」「三木おろし」「ロッキード隠し」「フィクサー」「記憶にございません」「灰色高官」「怪死」「蜂のひと刺し」・・・いくつ憶えてますか?(笑)
(付記)
 ロッキード事件が起こった頃、田中角栄がアメリカの利害にまで頭を突っ込んだため、ターゲットにされたという米国陰謀説が流された。しかし、最近の研究では、次のような偶然の結果でしかないと分かってきたようだ。
 米ではウォーターゲート事件が起こったため、関連周辺を徹底して洗いなおした。すると、ロッキード社の政界工作や不正経理が表面化してきた。ロッキードは米の主要な軍事産業なので、問題を調査するためにチャーチ委員会が上院に設けられた。
 その公聴会で、たまたまロッキード関係者の証言に田中角栄の名前が出てきた。当時のアメリカにとって、日本はただの金づるであって、軍事的には歯牙にもかからない存在でしかなかった。角栄を狙い撃ちなど、考えもしないことだった。
 日本での事件の解明は、商社丸紅ルートと全日空ルートに分けて進められた。前者はP3C哨戒機という軍用機の自衛隊導入問題、後者はトライスターという民間旅客機の売り込みだった。
 丸紅ルートは巨額の軍事費の関わる主要問題であったが、キーを握るフィクサー児玉誉士夫の死去などで告発にまで至らなかった。一方、全日空への民間機トライスター売り込みは枝葉の問題であったが、検察はメンツにかけても、こちらだけは立件した。
 当時幹事長だった中曽根康弘は、前者への深い関わりが取りざさされたが、無事切り抜け、後者との関係が立証された田中角栄は逮捕されることになった。
○4月 [カンボジア] ポル・ポト政権が誕生する
 ポル・ポトはカンボジアでは中規模な自作農で育ち、宗主国フランスのグランゼコールに留学したことから超エリートとされることがあるが、グランゼコールは難関であってもあくまで職業技術学校であって、エリートインテリを養成する学校ではない。ポル・ポトも、それまでに高校入学に失敗したり、グランゼコールでも中途退学となっているように劣等生であった。結局ポル・ポトがフランス留学で学んだのは「共産主義」だけだったようである。
 現在のベトナム、ラオスとともにフランス領インドシナに属したカンボジアは、一時占領した日本軍が去ったあと、すでに国王であったノロドム・シハヌークは、戦後混乱のなか国民の支持を受け独立を達成した。シハヌークは「元首」を名乗り周辺諸国とバランス外交を展開した。「王制社会主義」と称せられたシハヌーク政権は、外交面では中立政策を守ったが、隣国ベトナムで苦戦するアメリカは「容共主義政権」とみなし、積極的な支援はしなかった。
 その最中に右派のロン・ノル将軍によるクーデターで、シハヌークは北京に追われた。アメリカはロン・ノル政権を支援ししたが、内乱のもとでジャングルに追込まれていたポル・ポト派(クメール・ルージュ)が勢力を回復し、かつて迫害したシハヌークまでもがポル・ポトと共闘するに至った。米はカンボジアに侵入したベトコン勢力を一掃するためカンボジア地域も爆撃したが、これで生じた多数の難民は、反米共産主義化し、かえってポル・ポト派に流入する結果となった。
 ベトナムと並びカンボジアでも、アメリカの失敗は明白であった。かくしてシハヌークの国民人気と、反ロン・ノル親米傀儡政権打倒を目指すクメール・ルージュは一体となり、ロン・ノル政権は駆逐された。シハヌークも名ばかりの元首に復帰したが、事実上の軟禁状態となり、ポル・ポト派による「民主カンプチア」が樹立された。
 この年のプノンペン入城直後から、ポル・ポトは「原始共産主義」に基づく異常な政策を展開し始めた。首都プノンペンの住民を一斉に地方へ移住させ、医師、教師など知識階級とみなされる者は徹底的に虐殺させた。眼鏡を掛けているというだけでインテリとみなされ虐殺されたという話もあり、挙句の果ては大人がみな殺されて、写真のような少年兵ばかりという状況も極端ではないぐらいであった。
 「すべてが平等で自給自足、格差の一切ない社会」、このような妄想された原始共産社会などは、歴史上のどのような原始社会にも実在しなかったというのがいまや定説である。たった一人の男の脳内で形成された「理想」が、実際の権力を荷って実行された時に何が起るか。それは、ヒットラーの教訓も空しく、繰り返されたのである。「独裁」とは、かくなる悪夢を惹き起こす。
(付記)
 「孤立化した集団は野蛮化する」といった定式を考えている。バトルロワイヤルみたいな孤島での実験小説では、閉鎖された孤島でお互いに殺戮しあうということ。外部性が少しでもあれば、それを仮想敵として集団を維持できるが、多様性を失い野蛮化する。
トランプの根源的支持層と言われる、ヒルビリーとかレッドネックと呼ばれる野蛮化した「負け犬白人」たちは、よそ者を敵視する。「イージーライダー」のラストで、バイクで疾走するデニス・ホッパーたちを、意味も無くライフルで射殺したようなオヤジたちみたいな奴らだ。http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20170203
 あれは、ドロップアウトして自由な生活を求めるヒッピーと、孤立化して野蛮化した負け犬白人という、対照的なグループを象徴するシーンだ。ポルポトも、ジャングルで孤立してゲリラ化した時に、そういう原始性をはらんだのだろう。そして、カンボジア・シュメール人のすべてを原始化しようとした。この時点で、狂人だ。
 「地獄の黙示録」のカーツ大佐なども、この原始化という延長線上で理解できるのではないか。
○5月 [北極圏] 植村直己が北極圏単独走破に成功する
 世界初のエベレスト登頂をめざしたジョージ・マロリーは、なぜエベレストに登るのかと問われて "Because it's there." とこたえた。これは「そこに山があるから」と訳されて、登山一般に該当する名句として一人歩きした。
 ゲーテの最後の有名な言葉「もっと光を!」もそんなもので、いまわの際に、そこのカーテンを開けてくれと言っただけだとも言われる。
 世界初の五大陸最高峰登頂者 植村直己が、アラスカの最高峰マッキンリーで行方不明になったというニュースに接するときも、凡人としては、そのような問いを発したい衝動に駆られる。「君は何故そんなに冒険をおかすのか?」
 植村の五大陸制覇以上にその偉業を示すものが、この時の人類史上初北極点単独行であろう。その後も植村は、エベレストの厳冬期登頂や南極点単独犬ぞり探検などを企てたが、偶発的な事故や事件により事前に断念を余儀なくされる。
 そして'84年、世界初のマッキンリー冬期単独登頂を目指したが、その下山途上で行方不明となる。山頂付近には間違いなく植村が立てた日の丸があったが、その後の捜索によってもいまだ植村の遺体は発見されていない。
○9月 [北海道] ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に強制着陸する 
 9月6日、ソ連軍所属のMiG-25戦闘機が、いきなり函館空港に近付いてきた。超低空飛行で進入してきたため、当時のレーダーでは補足できず、そのまま強制着陸した。航空管制から警察と自衛隊に通報、両者が駆けつけたが、「領空侵犯は自衛隊だが、空港に着陸した場合は警察の管轄」という理由により、封鎖された現場から自衛隊員は締め出された。このように、日本の防空体制の現実的な不備・不整合が明らかになった。
 MiG-25は当時ソ連の最新鋭機で、マッハ3の超音速で飛ぶとされその機能はベールにつつまれており、その機体機密保持のためにソ連特殊部隊が奪回に来るという噂が流れた。自衛隊にも緊張が流れたが、有事宣言のないまま函館空港に待機する訳にも行かず、周辺基地などで臨戦に備えた。
 ベレンコ中尉は米国への亡命を希望し、米国も受け入れを表明。軍事スパイなどが関わる緊迫事件かと思われたが、ベレンコさんの亡命理由は、ソ連軍での待遇の不満と妻との不和という、なんとも脱力的な理由だった。
 米軍にとっては「濡れ手に粟」で、ベールにつつまれていた敵新鋭機を調査できることになった。調査の結果、機体はステンレス鋼板でマッハ3の飛行には耐えられないこと、内部電子システムは真空管が多用されているなど、これも脱力的な事実が判明した。
7月[東京] 東京地検がロッキード事件に関し、田中角栄前首相を外為法違反などで逮捕する 
*この年
ジョギングがブームに/洋凧流行/スナック・パブが急増/ポルノ雑誌の自動販売機が問題化/戦後生まれが総人口の半数
を超える
【事物】ロングライフミルク/コインランドリー/婦人用ミニバイク「ラッタッタ」/ファンシー商品
【流行語】記憶にございません/はしゃぎすぎ/ピーナッツ/灰色高官
【歌】およげ!たいやきくん(子門真人)/北の宿から(都はるみ)
【映画】愛のコリーダ(大島渚)/タクシー・ドライバー(米)
【本】村上龍「限りなく透明に近いブルー」/司馬遼太郎「翔ぶが如く」

『Get Back! 70's / 1975年(s50)』、当代、W大3年の頃でした。

2021-05-04
Facebook佐々木信雄さん曰く
新米営業マンにもやっと春が訪れるかと思われた時期、この春のキャンペーンCFが流れていた。この曲を聴くたびに、当時の心境がよみがえる。
 曲は、のちにオリジナル・リリースされるりりィの「春早朝」。CM音楽が単独でヒットするのはこの曲からで、やがて当初からCMとのタイアップ曲が企画され、必ずヒットするという流れができる。そのあたりの状況は、糸井重里も述べている。
*CF「彼女はフレッシュジュース」
○4月 [東京] 寺山修司主催の劇団『天井桟敷』が、杉並で30時間連続の市街劇「ノック」を上演。警官が出動する騒ぎとなる。
 「多芸の鬼才」「サブ・カルチャーの旗手」などの異名をとった寺山修司は、『書を捨てよ、街へ出よう』などの著作で、若者たちが家・学校・会社などからドロップアウトして街中で自己表現することを煽動した。またアングラ劇団『天井桟敷』を主催、その募集広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったり、唐十郎主催のライバル劇団『状況劇場』と、劇団員同士の乱闘騒ぎを起したりと、話題には事欠かなかった。
 アングラ劇は大道芸などと関連が深く、観客席に乱入したり、観衆を劇中に巻き込んだりと、観客と一体化した演劇を目指していた。その延長線上に市中劇・市街劇が構想された。詳細はリンク先に任せるが、当然警察当局の許可など得られないし、ゲリラ的な上演となるのは間違いない。もし偶然、市街劇の場面に紛れ込んだら、人はどんな振る舞いをするのか、なども興味深い。
○4月 [ベトナム] 解放勢力軍がサイゴンに無血入城する(ベトナム戦争終結)
 '73年に「パリ和平協定」が結ばれたが、これはアメリカ軍の「名誉ある撤退」のための一時停戦に過ぎず、ニクソンの跡をついだフォード政権は南ベトナムを防御する何の方法ももち得なかった。南ベトナムは、いわば関が原の合戦後の大阪城のようなもので、最終決着のタイミングを待つばかりであった。
 北ベトナム軍および南ベトナム解放勢力は一気に、南の首都サイゴン(現ホーチミン市)に迫り、ほとんど抵抗もなくサイゴンは陥落した。ここにおいてベトナム戦争は、北ベトナムの南解放という形で統一され、完全終結した。
 写真は、解放勢力のサイゴン入城を歓迎するサイゴン市民の様子と、一方、最後の米軍の救出ヘリコプターにわれ先と乗り込もうとする人々。歓迎する人々の心中も様々であろうし、逃げようとする市民たちは、米軍・南ベトナム関係の仕事をしてたり、南支持をしていて、残れば殺されるような人とその家族たちであったと思われる。この二枚の写真の中にも、当時の南ベトナム住人たちの複雑な状況がうかがえる。
 このジョン・レノンの手になる曲は、ジョンとヨーコそれぞれの子供たちのためのクリスマスを祝うために作られた。"War Is Over" と歌われているが、実際にはベトナム戦争の泥沼化の最中の'71年に発表されている。ベトナム戦争が念頭にあるのは間違いないが、ジョンやヨーコが、("Kyoko"と"Julian" だけでなく)世界中の娘・息子たちの世代が戦争のない平和な社会を生きられるようにと願ったもので、普遍的な平和ソングとして残るものであろう。
*John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)
○7月 [東京] 新橋駅で中核・革マル両派が乱闘。321人が逮捕され、1人が死亡する。(内ゲバによるこの年の死者は19人) 
 浅間山荘事件で一連の連合赤軍事件が一応の終結をみたあと、民心は過激派集団から完全に離れた。しかしその後も、各派閥セクト間での「内ゲバ」事件は頻発した。これは暴力闘争の過激化の結果、幹部が地下に潜り、相互にその首を取りあうという、暴力団間と同じような構図になった結果である。
 この7月、皇太子ご夫妻の沖縄訪問に反対して集まった革マル派と中核派の約800名が、国鉄新橋駅周辺で激突した。内ゲバの中でも革マル派と中核派の確執は激しく、お互いの幹部クラスを殺しあうという死闘を演じていた。
 この3月には中核派書記長、最高幹部で思想的指導者でもあった本多延嘉(41歳)が、川口市のアジトを革マル派に襲撃され鉄パイプなどで撲殺された。革マル派に対する無差別報復を宣言した中核派は、この年だけで15人の革マル活動家を殺害するなど、お互いの内ゲバはこの年ピークに達した。
○8月 [マレーシア] 日本赤軍がクアラルンプールの米・スウェーデン両大使館を占拠、赤軍派など7人の釈放を日本大使館に要求する。5日、政府は超法規的措置として出獄を承知した5人を釈放する。
 マレーシアの首都のクアラルンプールのアメリカ大使館などを占拠した5人の武装赤軍派は、人質と交換で拘束されている赤軍派メンバー等の釈放を要求した。当時の三木内閣は「超法規的措置」として、浅間山荘事件の坂東國男など5名を釈放した。
 この事件で仲間の奪回に成功した赤軍派は、さらにダッカ日航機ハイジャック事件などの事件をひき起こす。クアラルンプール事件犯行グループの一員だった奥平純三は、後に逮捕されるも、'77年のダッカ事件で人質との交換で釈放され、釈放後さらに海外で何度もテロ事件をひき起こし、現在も国際手配中となっている。このような日本政府の弱腰は、かえってテロリストのターゲットにされ易く、批判の対象ともなった。
 写真1は、人質にした現地関係者などを拳銃で脅している犯人の一人だが、よれよれジャケットに裾折りラッパズボン、上げ底靴に黒眼鏡黒覆面のチビ男、なんともカッコ悪くないか?(笑) 写真2は交換釈放される坂東国男ら。この男の分りやすいボサボサ髪型といかつい顔、浅間山荘の時から一発で顔を憶えられたが、これはテロリストとして有利なのか不利なのかと、どうでも良いことを考えた(笑)
3月には中核派書記長、最高幹部で思想的指導者でもあった本多延嘉(41歳)が、川口市のアジトを革マル派に襲撃され鉄パイプなどで撲殺された。
*この年
企業倒産1万2606件で2年続きの過去最高/トヨタ車が米国輸入車のトップに/紅茶キノコ流行/映画の配給収入で洋画が邦画を上回る/パンクファッション、ニュートラ流行
【事物】ストロボ内蔵カメラ「ピッカリコニカ」/プッシュボタン式公衆電話/家庭用カセットVTR
【流行語】ツッパリ/赤ヘル/乱塾
【歌】シクラメンのかほり(布施明)
【映画】ジョーズ(米)
【本】有吉佐和子「複合汚染」/ソルジェニーツィン「収容場群島」/毎日新聞社「一億人の昭和史」

⛄ってこんなに降るもんなんだ・・・。 上越線 越後湯沢~石打

2021-02-15
国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。 45年前、ここに至りて、至極感激したものでした。 住職談
Facebook栗田 繁喜さんより  1982年(昭和57年)2月14日

当代、学生時代の思い出の乗り物です。

2021-03-13
Facebook山梨賀之さん曰く 湘南モノレールの初代300型。
学生時代の楽しみといえば、鎌倉付近散策でした。
湘南モノレールの初代300型。
当時は唯一無二の現役懸垂式モノレールだったがあまり注目されることは無かった地味な路線だったがモノレールの下を走る生活道路が京浜急行所有の有料道路で深夜には料金所が無人になるので有名だった。
地元の人は料金所を迂回するルートを知っており 有料道路の意味あるのか? と当時は疑問に思っていた(^_^;)

稲門祭グランドフィナーレ 『紺碧の空』『ひかる青雲』『早稲田の栄光』『早稲田大学 校歌』

2020-05-18
https://youtu.be/bMVTjW-Oko0
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