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大谷派教団の動き

真宗大谷派宗政の動きについて

水平社創立100周年を迎えて― 西本願寺教団のこれまでとこれから 神戸修氏(1/2ページ)

2022-01-06
中外日報 (chugainippoh.co.jp) 2022年1月6日 09時35分

1922年3月3日、「人間を尊敬する事によって自らを解放せんとする者の集団運動」たる全国水平社が結成された。特に「決議」に掲げられた糾弾は、当時支配的だった「差別は差別される側に原因がある」という自己責任論の拒否と批判を意味し、人権侵害正当化論の定番たるこの自己責任論が現在でも格差や貧困の問題で主張される今日、その思想的意義は再評価されるべきであろう。

ちなみに、宗教的・仏教的自己責任論とでもいうべきものが「悪しき業論」である。また水平社の「同朋・同行としての御開山」という発想も重要である。曰く「念仏称名のうちに賤しいもの穢れたものと蔑まれていた沓造も非人もなんの差別もなく御同行御同朋と抱き合ってくださった」「この御開山が私共の御同行です。私共はこの御開山の御同朋です。」〈註1〉。水平社は活動の力の源泉を親鸞聖人に求めたのである〈註2〉。

一方、西本願寺教団は、水平社を「悪平等論」で批判。「悪平等」とは「御垂示」(大谷尊由〈註3〉管長事務取扱、1922年3月21日)に示され、「演達」(花田凌雲〈註4〉執行 同年同日)には、差別は波の形の違いのようなもので形の違う波は水という点では同じ、という例えの上に「貴賤上下賢愚貧富と様々に別れてあるけれど、みな因縁所生に由るので真如法性の道理より見れば平等の理は具わりている」と示されている〈註5〉。つまり水平社は、「本来の平等」を差別として批判して平等を損なう「悪平等」の間違いを犯している、という批判である〈註6〉。

この「本来の平等」「差別即平等」という発想は「本覚思想」とも呼ばれる。「本覚思想」とは「人間を含む一切合財が、本来清浄であるという証明なしの権威を前提に、ことごとく「一」なる根源的悟り(本覚)にすくい取られているという考え」であり〈註7〉、「社会的差別と自然的差異を無意識に(ときには意図的に)混同することによって、現実的社会的な差別はそのままで平等だという強弁」である〈註8〉。

また水平社の重要な思想に、「人間を尊敬する事」(以下「尊厳」)がある。差別の加害者も、差別により自己肯定するという精神的・人格的に荒廃した「尊厳の喪失」という状況にある。差別・被差別双方からの解放こそが「人類最高の完成」(「綱領」)である。これが「尊厳」の第一の意味である。

第二に、人間の「尊厳」は、現実の人間の生全体の尊厳という意味である。「現世を耐え忍び死後は浄土へ」という慰めは、人間を尊敬するようでありながら、むしろ人間を侮蔑する思想だ。そして宗教が、この「人間侮蔑の思想」に堕していることを「背後世界」「ルサンチマン」「デカダンス」「末人」などの概念装置で鋭く批判したのがニーチェであり〈註9〉、このニーチェを礼賛したのが中村甚哉〈註10〉であった(「或る人へ」、1922年)。

中村のニーチェ礼賛には、被差別者に「部落に生まれたのが因縁、悪いねん、あきらめるしかないんや」〈註11〉という諦めをもたらすような仏教への批判と、生きる力の源泉たる親鸞聖人の再生への願いが伏在していた。

西光万吉の「生の思想」もこの中村の批判と願いに重なるものである。曰く「吾々はあらゆる思想を、それが生命の思想であって死の思想でない限り、それが人間の活動力を増す限り吾々はそれを歓迎する」(「解放の原則」、1921年)。

この西光の「生の思想」と鋭く対立したのが『親鸞聖人の正しい見方』(大谷尊由著、興教書院、1922年)であった。曰く「聖人の同朋主義の価値は、之を法悦生活の上に体験せねばならない、社会改造の基調などに引き付けるには、余りに尊と過ぎる」。

これに対し西光は「業報に喘ぐ」(1922年10月・12月に『中外日報』紙上に連載)で「社会改造の基調を卑しむことは人間生活の半分を卑しむことだ」と反論した。ちなみに、当時中外日報社にあってジャーナリストの立場から水平社運動を援護したのが三浦参玄洞〈註12〉であった(詳細は『本願寺史』増補改訂版 第三巻 本願寺史料研究所、2019年)。

西本願寺教団の対応としては一如会があった。一如会では、糾弾を肯定的に評価し、差別の原因を被差別者の側ではなく加害者の側においてとらえ、加害者の「懺悔」こそが重要であると宣言した梅原真隆〈註13〉が注目される。

水平社創立100周年を迎えて― 西本願寺教団のこれまでとこれから 神戸修氏(2/2ページ)

しかしこの運動は、社会構造や教団の在り方が問われず、差別解消への有効な運動とはなりえなかった(詳細は拙論「一如会は何ゆえに挫折したか」『同和教育論究』33号、同和教育振興会、2013年)。

戦後、一如会的な融和主義的発想への批判を踏まえて起こったのが同朋運動であった。同朋運動の特徴は「差別の現実からの出発」「事件の背景の追求」「加害者の責任の明確化」「被害者の人権救済の重視」である。

1970年の「『大乗』臨時増刊号差別事件」をきっかけに同朋運動は教団全体の運動となり、さらに第24代即如門主より「部落差別は封建制身分社会より引き継がれ、市民的権利と自由を侵害する深刻な社会問題であり、その解決は国民的課題であるとともに、宗門にとって法義上、歴史上、避けて通ることのできない重要課題」とされた『「基幹運動推進 御同朋の社会をめざす法要」に際しての消息』(1997年3月20日)が発布され、「差別法名・過去帳調査」(1983年・97年)などの実績に結び付いた。

「自己責任論の克服」「人間の尊厳」という水平社の問題提起に対する現在の教団の状況では、前者に関しては「悪しき業論」へのさらなる批判と問題意識の共有、後者に関しては、『親鸞聖人の正しい見方』と「業報に喘ぐ」との対決が先取りした、真宗思想と差別、戦争責任などの問題を含めた、宗教と現実社会との関係に関するさらなる議論が重要である。同朋運動から基幹運動への流れを確認し、2012年に始まった現行の「実践運動」において「基幹運動の成果」をさらに生かすことが必要であろう。

2016年12月9日に「部落差別の解消の推進に関する法律」が成立。「部落差別が厳然として存在する」という前提から、特に近年の悪質で確信犯的な差別への対応の必要性を謳ったこの法律の制定は画期的だ。

宗門においても、この法律の精神を受けとめ差別の克服へ一層の努力を傾けることが、宗教教団としての公共性を担保し、その社会的存在意義をより確実にすることになるのである(詳細は拙論「『部落差別の解消の推進に関する法律』の意義について」『宗報』597号、2017年6月号)。

水平社の問題提起には、若い世代の応答が求められる。いつの時代でも若者は希望である。教区や組での研修はもちろん、宗門の大学教育、特に教学を学ぶ場において、こういった水平社の運動や一如会の活動、「業報に喘ぐ」と『親鸞聖人の正しい見方』との論争など、多くの学生に宗教と社会との関係や、差別事件を含んだ近現代の真宗教団史・思想史を深く学ぶ場所が提供されることも重要であろう。

〈註1〉「募財拒否の決議通告」(1922年、『水平』近代文芸資料複刻叢書第7集、世界文庫、1979年)。文中の「決議」「宣言」「綱領」「或る人に」「解放の原理」はこの叢書。
〈註2〉1872(明治5)年の歴史上初の西本願寺教団の部落差別に関する公式文書たる「乙達三七号」では、差別禁止の根拠が前年8月に出された「賤称廃止令」に求められ、差別事件の責任が事件の行為者個人に帰されている。
〈註3〉大谷尊由(1886~1939)。管長事務取扱、拓務大臣などを務めた。
〈註4〉花田凌雲(1873~1952)。執行、勧学、龍谷大学学長などを務めた。
〈註5〉「悪平等」は「単に差異を無くす事を平等と考える事」が本来の意味。
〈註6〉『教海一瀾』(670号1922年4月26日付)。
〈註7〉袴谷憲昭『批判仏教』(大蔵出版、1990年)。
〈註8〉菱木政晴『解放の宗教へ』(緑風出版、1998年)。
〈註9〉『ツァラトゥストラ』(『ニーチェ全集』9巻、吉澤傳三郎訳、理想社、1969年)、『遺稿』(同13巻)など。
〈註10〉中村甚哉(1903~45)。本願寺派僧侶。全国水平社創立大会に参加、全国水平社青年同盟中央委員などを務めた。詳細は「中村甚哉と真宗信仰」(奥本武裕『同和教育論究』35号 同和教育振興会、2014年)。
〈註11〉西岡映子「米びつの底たたいて」(1950年代後半の大阪の「住宅要求期成同盟」の闘いの回想手記)、『部落史をどう教えるか』(寺木伸明他、解放出版社、1993年)所収。
〈註12〉三浦参玄洞(1884~1945)。本願寺派僧侶。西光万吉、駒井喜作などと親交。詳細は『三浦参玄洞論説集』(浅尾篤哉編、解放出版社、2006年)及び「『三浦参玄洞論説集』刊行によせて 上・下」(藤本信隆『同和教育論究』27号・28号、2006年・08年)。
〈註13〉梅原真隆(1885~1966)。執行、一如会協議会議長、参議院議員、富山大学学長などを務め、同和教育振興会設立に大きな役割を果たした。
浄土真宗本願寺派宗会議員・同和教育振興会事業運営委員 神戸修氏
こうべ・おさむ氏=1960年、大阪府生まれ。龍谷大卒。同大大学院文学研究科博士課程(真宗学)単位取得退学。大阪芸術大付属大阪美術専門学校講師(倫理学)、同大短期大学部講師(人権学)などを歴任。堺市北区・浄土真宗本願寺派西教寺住職。現在、同和教育振興会事業運営委員や本願寺派宗会議員を務める。著書に『戦時教学と浄土真宗』『人権理解の視座』『人権侵害と戦争正当化論』『十五年戦争下の西本願寺教団』。

宗務総長に木越渉氏 行財政改革、内局案具現化に意欲 真宗大谷派

2021-10-20
記者会見で改革のキーワードを「シンプルだが効果的に」と語る木越氏
2021年10月20日 13時20分 「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)

真宗大谷派は14、15日の宗会臨時会で新宗務総長に石川県かほく市・光專寺住職の木越渉氏(64)を選出した。

木越氏は15日夕の記者会見で、但馬前総長の遺志を継いで内局案を実施計画に仕上げることが自身の役目と語り、改革の内容について「キーワードは『simple but effective』(シンプルだが効果的に)。シンプルでないと公平性や透明性は生まれないと思う。そういう改革をスピード感を持って目指したい」と説明した。(詳細は2021年10月20日号をご覧ください。中外日報購読申し込み

宗務総長に木越渉氏 真宗大谷派

2021-10-15
宗務総長に就任する木越渉氏
京都新聞 2021年10月15日 17:23

真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の事務トップとなる宗務総長に15日、元参務の木越渉氏(64)が就任した。

 木越氏は大谷大院修了。自坊は石川県かほく市の光専寺。2006年から宗議会議員を務め、現在5期目。閣僚に当たる参務も2012~17年に3度務めた。

 15日に宗会が開かれ、僧侶で構成する宗議会と、門徒で組織する参議会で投票を行った。両議会で木越氏が指名され、大谷暢裕門首が認証した。宗会では9月23日に急逝した但馬弘・前宗務総長の追悼演説も行われた。

 木越氏は会見で、行財政改革など但馬前内局の方針を引き継ぐ考えを示し「みんなの声を大切に聞き、まとめ、仕事をする内局を編成したい。シンプルだけど効果的な改革を進めていきたい」と抱負を語った。

真宗大谷派真宗興法議員団 新代表に木越渉氏選出

2021-09-30
2021年9月30日 10時23分

真宗大谷派宗議会の与党会派・真宗興法議員団は29日の代表選挙で新代表に木越渉議員(64)を選出した。同議員は10月中旬招集の宗会臨時会で宗務総長に指名される見通しだ。

木越氏は議員歴5期。里雄前内局と但馬内局で計5年間参務を務め、現在は興法議員団の政策調査会会長として会派内の政策議論の取りまとめに当たっている。自坊は石川県かほく市の光專寺。

今でこそホームページを開設されるご住職は珍しくありませんが、

2021-09-24
Facebook 柳衛 悠平さん曰く、ごく早い時期に手掛けられたお一人が但馬さんでありました。
今でこそホームページを開設されるご住職は珍しくありませんが、ごく早い時期に手掛けられたお一人が但馬さんでありました。
趣味の写真のことなど含めて、色々とお話を伺う機会もあればと思っておりましたが、残念です。
南無阿弥陀仏
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