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スケート・スキー
大卒時に救いの手を差し伸べてくれた縁…
小平さんは「Nao story Chapter 2 今日からまた新たに相澤病院で、ストーリーの続きを描けることになりました。これまで沢山の声援を送ってくださった職員の皆さんと同じフィールドで活動すること、患者さんや地域の皆さんとふれAiを持った活動ができること、地域の中の身近な存在として幅広く活躍できるように、これから色とりどりのアクションを起こしていきます。さっそく今日は、会うだけで涙ぐんでくださったり、相澤病院で働こうと決めた理由を話してくれる職員の方に出会ったり、診察帰りのおばあちゃんと写真を撮ったり、子どもとハイタッチしたり…たくさんの想いを感じました。私は、病気を診ることはできませんが、人と想いを重ねることや、人の想いをつなぐことができると思っています。院内に温かみを持った爽やかなそよ風が吹かせられるよう、新たな挑戦を愉しんで進みます」とつづり、病院前で笑顔の写真を掲載した。
平昌五輪で金メダリストの所属先として注目が集まった相沢病院は、小平を13年にわたって支援してきた。小平が信州大を卒業する09年3月になっても就職先が見つからず、結城匡啓コーチが相沢病院の相沢孝夫理事長に相談。「スポーツ障害予防治療科」の職員として採用を決めた。当時22歳だった小平さんの「長野を拠点に結城コーチの指導を受けたい」という思いを応援しようと始まった縁だった。
小平さんが引退を表明した22年4月には、相沢理事長も談話を発表。「私たちは小平さんを仲間だと思い、付き合ってきました。その仲間が、これから地域の人と共に歩みを進めていきたいということであれば、スケート選手である時と同じように仲間として支援をし、歩んでいくことはごく自然のこと。ラストレースは人生の一つの通過点でしかありません。小平さんがこれからやりたいと思っている事に対して、共に歩んでいきたいと思います」と、今後も継続してサポートしていくとの考えを明かしていた。
小平さんは、22年10月22日の全日本距離別選手権(長野市エムウェーブ)女子500メートルを最後に現役を引退。今後の活動について、母校・信州大の特任教授に就任することを報告。大学側からはキャリア形成や健康科学に関連した講義の一部を担当するとしていた。
「夢にまで見た会場で最高の滑り」 小平奈緒、ラストレースで優勝
有終の美――。2018年平昌五輪スピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒(36=相沢病院)が22日、引退レースに臨んだ。
この日、長野市のエムウェーブで行われた全日本距離別選手権の女子500メートルを37秒49で見事に優勝し、現役最後のレースを終えた。
小平の最後の姿を見届けようと、会場は異例の満員の観客。小平は「夢にまで見た、この(満員の)会場で最高の滑りができて幸せです」と瞳を潤ませて語った。
長野県茅野市出身の小平は、信州大から相沢病院(長野県松本市)へ。五輪は10年バンクーバー大会から4大会連続出場。平昌五輪は日本選手団の主将も務め、1000メートル銀メダル。500メートルで日本の女子スピードスケート選手として初となる金メダルを獲得した。
五輪3連覇を狙った親友でライバルの李相花(韓国)を破った。レース後、涙する李を抱きしめてウィニングランをするシーンは話題となった。
今年2月の北京五輪は直前に右足首を捻挫し、500メートル17位、1000メートル10位。4月に記者会見を開き、今大会を最後に一線を退くことを発表していた。
レース後、「(スケート人生は)どのシーンも置き換えることのできない幸せな時間でした。この時間を皆さんと共有できたことが私にとって財産になる」と振り返った。
小平「自分なりにやり遂げることできた」
そして、連覇が期待されたここまでの道のりについて「年が明けてから一度、絶望的な状況に陥ってしまい、この大会に間に合うか心配だったが、少しでも希望を見ることができた。痛みとかやるせなさとか、じわじわと体からにじみ出てくるようなことも、そのつど飲み込んで自分なりに乗り越えてきた。前に進むために多くの皆さんに支えてもらい、感謝の気持ちを持って滑ることができた」と時折、ことばを詰まらせながら話していました。