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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

投票まで一週間、総理の体は一つ、全国すべては周りおおせません.

2022-07-05
岸田文雄総理来県ダイジェスト 【党本部版】完成しました! ぜひご覧ください。
「政治は一寸先は闇」と仰ったのは、自民党副総裁を務めた川島正次郎氏でした。
台風4号が、当地に最接近の時刻と符合!!
「次の方々全員、当代と大学同窓生です。」といった繋がりが物をいいます。
岸田文雄(後輩/法学部)
この方を、参議院へ送り出すためにの遊説です。
古庄
先輩が、先導役です。
衛藤征士郎衆議院議員(先輩/政経学部)
総理とお友達のこの方も露払いいたします。
岩屋毅衆議院議員(後輩/政経学部)
7月11日が、栄光の朝になることを願うばかりです。

治安維持法下の選挙

2022-07-07
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
『Get Back! 20's / 1928年(s03)』-1
【普通選挙と治安維持法】
○2.20 普通選挙制による初の衆議院選挙が行われる。
 1925(大正14)年、加藤高明内閣は普通選挙法を制定、それまでの納税制限なしに25歳以上の成人男子に選挙権が与えられた。ただし女性が対象になるのは第二次大戦後の民主化を待たねばならず、普通選挙とは名ばかりだった。
 この1928(昭和3)年2月20日に、田中政友会政権のもとで初の普通選挙制衆議院選挙が行われた。その結果、466議席のうち、政友会217、民政党218、新たに無産政党系からは計8名が当選した。選挙中、政府は露骨に野党候補を妨害したが、結果的に与党政友会は過半数を得られず、しかもキャスティング・ボートは新参の無産政党に握られる形になった。
○3.15 共産党員が全国で一斉検挙される。(三・一五事件)
 第一次世界大戦末期ロシアで共産主義ソビエト政権が成立し、国際共産主義運動の機運が高まる中、普通選挙法下の衆議院選挙でも無産政党の進出が懸念された。そのような危惧のもとに、普通選挙法を成立させた加藤内閣は、同時に治安維持法をも成立させた。
 「国体を変革しおよび私有財産を否認せんとする」結社・運動を禁止する治安維持法では、共産主義者という疑いだけで個人を逮捕・投獄することが可能であった。最初の普通選挙後、社会主義的な政党(無産政党)の活動に危機感を抱いた田中義一内閣は、3月15日、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行い、非合法政党の日本共産党、労働農民党などの関係者約1600人が検挙された。
 プロレタリア文学の作家、小林多喜二は、この三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表するも、発売禁止とされる。さらに多喜二は、代表作『蟹工船』などを発表して、プロ文の旗手として注目を集めたが、その後特高に狙われ治安維持法で逮捕された。『一九二八年』では、特別高等警察による苛酷な拷問の描写が話題になったが、皮肉にも自身がその特高の拷問で殺されることになったのであった。
 4月になると、京都帝国大学の河上肇が、赤色教授として辞職を迫られ退職を余儀なくされる。さらに東京帝大の大森義太郎、九州帝大の石浜知行、向坂逸郎、佐々弘雄らの左翼系学者が、次々と大学を追われることになる。この種の思想弾圧は、軍国化が進むとさらに自由主義系思想にまで進んで行くことになる。
*この年
ダンスホールが人気/オカマ帽・ラッパズボン・ミニスカートが流行/天皇への直訴が6件を数え、奉書紙の購入には住所氏名の明示が義務となる
【事物】国産電気吹込式レコード/普通選挙
【流行語】弁士中止/人民の名において/モン・パリ/マネキンガール
【歌】波浮の港(佐藤千夜子)/アラビアの唄(二村貞一)
【映画】新版大岡政談(伊藤大輔)/十字路(衣笠貞之助)/暗黒街(米)
【本】「マルクス・エンゲルス全集」(改造社)/坪内逍遥訳「沙翁全集」/林芙美子「放浪記」(女人芸術)/川上肇「資本論入門」/講談社「講談全集」

百済vs新羅、歴史は繰り返す・・・。

2022-07-07

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1980(s55)年】-2
◎韓国 光州事件
*1980.5.21/ 戒厳令下の韓国光州市で、武装した学生・市民が全市を制圧する。27日、軍が市内に突入して鎮圧、多数の死者を出す。(光州事件)
 朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが一時的におとずれたが、間もなく「粛軍クーデター(12・12軍事クーデター)」と呼ばれる軍部内の主導権争いで、全斗煥(チョン・ドゥファン)陸軍少将が実権を掌握する。軍事政権の復活を懸念して全国で民主化要求のデモが頻発するなか、全斗煥は戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三・金大中(両者とものち大統領)らを逮捕、騒動は全羅南道光州市(現 光州直轄市)に飛び火した。
 学生や市民たちは鎮圧に派遣された戒厳軍と戦い、やがて全羅南道道庁を占領をするに至り、もはや内乱の様相を呈した。光州鎮圧に投入された総兵力数は2万5千人にも上り、市街戦の末、市民軍は徹底的に鎮圧された。光州事件の模様は徹底的に報道管制され、その実態はなかなか明らかにならなかったが、のちに設立された「5.18記念財団」によると、認定された死者は154人、行方不明者70人、負傷者1628人に上るという。
 金大中は、光州市を含む全羅南道の出身で、当地域に地盤をもつ野党のリーダーであった。全羅道は、古代三国時代の百済、後三国時代の後百済が位置した地域で、それぞれ新羅、高麗の統一によって滅ぼされた歴史をもつ。一方、軍事政権を展開した朴正煕・全斗煥・盧泰愚らは、新羅・高麗が歴代支配した慶尚道の出身で、そちらに地盤を置いていた。
 朴政権以来、慶尚道地域がインフラ整備・経済開発・官公庁人事などで優遇され、全羅道地域が冷遇され、経済的にも後発地域となった。つまり勝ち組に不満をつのらせた負け組の鬱憤の高まりが、その心理的な背景にあったと言える。その我らが地域のエース金大中が、逮捕され死刑に処せられかけていたのである。
(この年の出来事)
*1980.7.19/ 第22回オリンピック・モスクワ大会が開催されるが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、日本を含む西側諸国の多くがボイコット。
*1980.3.6/ ロッキード事件の公判に関連して、自民党浜口幸一衆議院議員のラスベガス賭博で負った借金が、小佐野賢治を通じた金で返済されていたことが判明、浜田は議員を辞職する。
*1980.5.23/ 黒沢明監督の「影武者」が、フランスのカンヌ映画祭でグランプリを受賞する。

六代目山口組・司忍組長が若頭らを引き連れて新横浜駅に現れた理由

2022-07-06
お見舞いでした。
© FRIDAYデジタル 新横浜駅を歩く司組長(中央)と高山若頭(右から3人目)、竹内若頭補佐(同4人目)。通行人も足を止めていた
「報道陣が来ているなか、司忍組長が清田次郎総裁と握手をしたり、談笑もしていた。当代の司組長が若頭、さらに若頭補佐まで従えてお見舞いに来たのです。それだけ、稲川会と友好関係にあることをアピールしたいという狙いがあるのでしょう」(暴力団事情に詳しい、ノンフィクションライターの鈴木智彦氏)
FRIDAYデジタル - 8 時間前

6月17日朝10時頃、JR新横浜駅の周辺は異様な厳戒態勢だった。上空には神奈川県警のヘリが飛び、十数名の私服警官が周囲を警戒していた。そんななか新幹線の改札口から出てきたのは、六代目山口組の司忍組長。竹内照明若頭補佐が先導し、迎えの車の前には高山清司若頭の姿まである。

「この日、一行は稲川会の中核組織である山川一家の本部に向かいました。この少し前から稲川会の総裁・清田次郎氏が体調不良で静養していた。その『お見舞い』にやってきたのです」(全国紙記者)

司組長は1時間ほど本部に滞在し、昼食をともにしたという。出て来る際、司組長と清田氏はガッチリ握手を交わした。

大統領射殺!!

2022-07-05
*1979.10.26/ 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、KCIA部長 金載圭(キム・ジェキュ)に射殺される。

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1979(s54)年】-4
◎朴正煕大統領暗殺
*1979.10.26/ 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、KCIA部長 金載圭(キム・ジェキュ)に射殺される。
 ソウル市内にある中央情報部(KCIA)の施設内で、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領を接待する晩餐会中、金載圭(キム・ジェギュ)KCIA部長によって、朴大統領及び車智茢(チャ・ジチョル)警護室長らが射殺さる事件が起きた。この事件は、韓国では「10・26事件」と呼ばれる。
 この事件は大統領の最側近であったKCIA部長による犯行で、何人もの同席者の面前で実行され、金載圭自身逮捕され尋問を受けたにも関わらず、その動機が明瞭でないことなど謎が残る。大統領による処遇に不満を持ったからという説が有力だが、自らの地位が失われるほどの窮地にあったわけではない。
 朴独裁体制を倒して民主化するためのクーデターという本人の主張も、その行きあたりばったりの犯行では説得力に欠ける。米のCIAによるお膳立て説も、その後継の準備もなく、強力な反共親米政策を進めてきた朴政権を倒す根拠には乏しい。そして、金載圭の精神的情緒不安定による偶発的な凶行説まである。
 さらに分りにくいのは、韓国での朴正煕大統領および朴政権への評価が両極端に大きくぶれることである。戦後の大韓民国を、米軍の背景のもと独裁的に支配してきた李承晩(イ・スンマン)大統領が「四月革命」によって追放されたあと、混乱した政情下で軍事クーデターを起した「朴正煕少将」が実権を握った。
 朴正煕は「国家再建最高会議」という一元化された独裁機関を通じ、治安維持と経済改革を徹底して追及した。軍事政権としての力を背景に、李承晩長期政権下で腐敗しきった政治・経済界の浄化を押しすすめる。一方でKCIAを創設し、野党勢力・政敵・報道陣・抗議デモなどを徹底的に弾圧した。この独裁政治は、朴政権の負の側面を形成し、当時弾圧を受けた報道関係者が韓国マスコミの中枢をしめる現在では、根強い朴正煕批判勢力を維持している。
 一方で朴正煕は、「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済発展を為し遂げた立役者とも評価される。政権奪取時、北朝鮮より低い最貧国とされた韓国経済を、一躍先進国の一員にまで押し上げたヒーローである。朴大統領の政治・経済政策は「開発独裁」とも呼ばれる。強力な一元的権力の下、経済資源を集中的に投下して産業立国を進める。そしてその経済的利益を民間に分配還元する事によって支持を集め、さらに権力集中を進めるという手法である。
 多くの新興国では、開発独裁を進める権力者が登場する。しかしその多くが、政権者自身や取巻き・近親者などが、蜜に群がる虫のごとく国の資源を食いつぶすことで、ことごとく失敗に終る。朴正煕個人としては比較的清廉であったとされ、政権関係者にも綱紀引締めを徹底したとされる。これが周辺事情の幸運とともに、漢江の奇跡の一因となったとも考えられる。
 朴正煕という人物は、明治維新の元勲 大久保利通と重なるところがある。朴は「漢江の奇跡」を為し遂げ、大久保は明治維新の大改革を中心となって仕切った。にもかかわらず両者共に、国民的な人気がない。目的達成のためには、冷酷に政敵や反対者を消してゆく、一種のテクノクラート的冷徹さが不人気の理由だろう。そして二人とも、私腹を肥さない清廉さが仇となり、世の中が見えない暗愚な小物に暗殺される原因になった。
(この年の出来事)
*1979.1.8/ 米グラマン社前副社長が、早期警戒機E2の対日売り込みに介在した政府高官は、岸信介・福田赳夫・松野頼三・中曽根康弘と証言する。(ダグラス・グラマン事件)
*1979.2.11/ ホメイニの指導のもとに、イラン革命が成立する。
*1979.3.28/ アメリカのペンシルベニア州スリーマイル島原子力発電所で、大量の放射能漏れ事故が発生する。
*1979.12.27/ アフガニスタンで、親ソ派勢力によるクーデターが発生し、ソ連が軍事介入する。
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