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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

革命の犠牲者

2020-12-02

ここが始まりでした。

2020-12-02

土門拳の『ヒロシマ』

2020-09-20
昭和32(1957)年、原爆投下から12年を経て初めて広島に行った土門拳は、その実態をまのあたりにし、あらためて原爆被害の深刻さに衝撃を受けました。
報道写真家としての使命感に強く駆られ、広島に通い詰めた土門は、原爆病院の患者たちをはじめ、被爆者たちの悲惨な日々、「魔の爪跡」を約7,800コマのフィルムに記録しています。
写真集『ヒロシマ』(研光社)は、昭和33(1958)年刊行され、日本はもとより、広く海外でも反響を呼びました。
また、さらに10年後、広島を再訪し、後遺症に苦しむ被爆者を追った『憎悪と失意の日日−ヒロシマはつづいている』を発表。土門拳のドキュメントの傑作となっています。

終わらない物語の主役は、JFKです。

2020-05-05
 

選手会の乱

2020-04-27
 日本プロ野球の再編問題は、戦後、大きく分けて3度数えられる。

【21th Century / 2004(h16)年】-4
  

◎プロ野球界の再編
*2004.9.18/ プロ野球選手会が12球団の維持などを求めストライキ
*2004.11.2/ プロ野球 パ・リーグに楽天が新規参入
*2004.12.1/ オリックスと近鉄が合併した新球団「オリックス・バファローズ」が発足
*2004.12.24/ ソフトバンクのダイエー球団買収を承認
  

 日本プロ野球の再編問題は、戦後、大きく分けて3度数えられる。戦後最初の再編は、1949(s24)年の二リーグ分裂問題であった。戦前は学生野球が人気でイロモノ扱いだった職業野球が、敗戦後のGHQの奨励もあり、一気に人気が盛り上がった。
  

 急激に人気興業化したプロ野球には加盟申請が殺到し、一方、未成熟な既存プロ野球球団側も対応が分裂し、結果、セ・パの2リーグに分裂することになった。セ・リーグとパ・リーグの間での熾烈な引き抜き合戦など、大きな混乱を生みながら、やがて2リーグ12球団体制に落ち着いていった。
  

 1973年のプロ野球再編問題は、1リーグ制移行を視野とした日拓ホームフライヤーズとロッテオリオンズとの合併問題が契機となったが、その背景には、パ・リーグの長年の観客動員不振とオーナー企業の経営不安定があった。そんな中で、1969年から1971年にかけて、西鉄ライオンズを中心に、いわゆる「黒い霧事件」で球界は大揺れとなる。
  

 西鉄ライオンズは身売りして「太平洋クラブライオンズ」→「クラウンライターライオンズ」と次々と名称が変わっていったし、東映フライヤーズも身売りして「日拓ホームフライヤーズ」に改称していた。結局、日拓が日本ハム株式会社に球団買収されることにより、1リーグ構想は破綻し 2 リーグ制は維持されたが、その後もパ・リーグの球団経営問題は続いた。
  

 パ・リーグでは観客動員策として、指名打者制・予告先発制・プレーオフ制度導入など幾つもの工夫をしたが、セ・リーグとの格差は縮まらず、2004年6月、近鉄バッファローズは、経営不振からオリックス・ブルーウェーブとの合併を発表した。
  

 この合併構想には、1リーグ制移行を前提にした球団数の削減が含意されていたため、選手数の削減を憂慮したプロ野球選手会は、この合併に強く反発し、ストライキも辞さない決議を含めて、プロ野球全体の改善策を提言した。
  

 一方ではサッカー界でJリーグが誕生し、強力なライバルのプロスポーツに育ちつつあったため、危機を感じたプロ野球界でも、多すぎる球団を再編成して、8チームでの1リーグ制に凝縮しようという動きがあり、球界のリーダーを自負する読売ジャイアンツのオーナー渡邉恒雄を筆頭に、一部球団オーナーたちが強引にこの構想を進めようと画策し、反対するする他のオーナーや選手会との軋轢が高まった。
  

 選手会側がオーナーたちとの対話を求めている、という情報を耳にした読売オーナーの渡邉が、「たかが選手が、無礼な」などという高圧的な発言をして、選手やファンの声を無視するオーナー側に対して猛反発する感情が強まった。
  

 水面下では第2の合併構想も進められており、さらにライブドアや楽天が新規参入を表明したりする流動的な状況下で、オリックスと近鉄との合併は一方的に決定された。選手会は「2リーグ12球団維持」を求め、プロ野球機構(NPB)との交渉を持ったもののまとまらず、選手会はついに9月18・19日の2日間にわたって日本プロ野球史上初のストライキを決行した。
  

 その後の交渉によって、新規参入の確約など12球団維持の合意を得ることとなり、やっとストライキは停止された。一方で新規参入問題も右往左往して、先行して手を上げていたライブドアと、その行き詰まり状況をみてから名乗り出た楽天とが競う形となり、混迷するプロ野球界の突破口を開く形を作ったライブドアが、世論の支持を受けていたにも関わらず、オーナー同士の人間関係など目に見えない繋がりから楽天が選ばれるなど、プロ野球界の旧来の体質は温存されたままであった。
  

(この年の出来事)
*2004.2.27/ オウム真理教 松本智津夫元死刑囚 死刑判決
*2004.5.22/ 小泉首相2度目の訪朝 拉致被害の子どもたち5人が帰国
*2004.8.13/ 米海兵隊ヘリ 沖縄国際大学に墜落
*2004.10.3/ 大リーグ マリナーズ イチローがシーズン最多安打
*2004.10.23/ 新潟県中越地震
*2004.11.17/ 奈良 小1女児誘拐殺人事件
 *2004.12.26/ インドネシア・スマトラ沖地震

 

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