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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

◎律令制の成立

2021-06-01
Facebook佐々木信雄さん曰く
「養老律令」
【8th Century Chronicle 701-720年】-1
◎律令制の成立
*701.8.3/ 「大宝律令」が完成する。
*717.-.-/藤原不比等らが「養老律令」10巻を編纂する。
*720.8.3/ 藤原不比等(63)が死去し、養老律令の編纂は一旦中断する(757年に施行)。
 大化の改新における4つの施策方針で、律令制への指針が示されたが、律令制導入の動きが本格化したのは、660年代に入ってからである。天智天皇は豪族を再編成し、大王(天皇)へ権力が集中する体制作りを進め、日本史上最初の戸籍とされる「庚午年籍」が作成され、班田収授制を確立しつつあった。
 その実在は不確かながら、この時期に先駆的な近江令が制定されたという説がある。そして壬申の乱後の天武朝681年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、天武没後の持統3(689)年6月に飛鳥浄御原令が制定された。
 ただし、浄御原令は律を伴っておらず、やがて大宝元(701)年8月、「大宝律令」が完成された。持統上皇・文武天皇の治下、律令選定には刑部親王・藤原不比等らが携わった。翌 大宝2(702)年10月には、文武天皇の命で大宝律令は諸国に頒布された。
 養老2(718)年、元正天皇が藤原不比等に大宝律令の再検を命じたが、720年の藤原不比等の死によりいったん中断され、その成果は757年に「養老律令」としてまとめられ、大宝律令に代わって施行された。
 大宝律令の原文は現存していないが、おおむね大宝律令を継承しているとされる養老律令を元にして、その復元が行われている。刑法にあたる「律」はほぼ唐律をそのまま踏襲し、行政法および民法などにあたる「令」は日本社会の実情に配慮して制定されている。
 この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立した。また地方官制については、国・郡・里などの単位が定められ(国郡里制)、中央政府から派遣される国司には多大な権限が与えられ、地方豪族を郡司などに任命し、地方の支配体制を再編成していった。そして、名実ともに律令体制の完成を示すためにも、かつてなかった広大な平城の地に新都の建設が進められた。
(この時期の出来事)
*708.8.10/ 銅銭「和同開珎」を発行する。
*711.10.23/ 「蓄銭叙位の法」が制定され、私鋳銭を禁止する。
*712.1.28/ 太安万侶が歴史書「古事記」を完成する。
*713.5.2/ 諸国に「風土記」の編纂を命じる。
*719.7.13/ 国司などの行政を監察する「按察吏」をおく。
*720.5.21/ 舎人親王らが「日本書紀」を完成する。

 

僕は、絶対に戦争には加担しない!

2021-05-31
やなせ先生の強い思いから、この方は生まれました。
やなせたかし【戦争そのものが悪】

正義の戦いそのももは存在しない。

アンパンマンの原点は戦争体験。

ひもじい思いをしている人に、
パンの一切れを差し出す行為を『正義』と呼ぶのです。

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アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。

“正義”は立場によって変わる。

でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても『正しいこと』には変わりません。
絶対的な正義なのです。

プロパガンダという世界

2021-05-31
右代表は、この方・・・か?
私、これらを観て、ディズニーファンの旗は終いました。

戦後復興の兆し

2021-05-30
Facebook永井由紀夫さん曰く
上野公園の場合です。
太平洋戦争でほとんどの動物がいなくなった上野動物園。
戦後最初の「猛獣」は昭和21(1946)年に来園したツキノワグマの子でした。
昭和25(1950)年7月には,待望のトラの子がタイからやってきます。
写真はそのトラの子と古賀園長(当時)

ネルー首相から日本の子どもたちへ贈る言葉

2021-05-30
ニューデリー日本人学校 学校だより 校長 岡林 保幸
191025-10月グルモール .pdf (ndjs.org)

戦争中、上野動物園では爆撃で檻が壊され、猛獣や大型動物が逃げ出して市民に危害を加えないよう 薬殺などの処分が行われました。
象が殺された悲劇は後に物語にもなりました。(童話「かわいそうなぞ う」土家由岐雄) では、戦後どうやって再び上野動物園に象が飼われるようになったのかご存知ですか?
実はインドの ネルー首相が、上野動物園がある台東区の子どもたちの熱望に応え、昭和24年に自分の娘の名前を付 けた「インディラ」を贈ってくれたことによるのです。
 それは、独立間もないインドが、イギリスの植民地から解放するために、命をかけて貢献してくれた日 本に対しての深い好意を持ち、「敗戦で打ちひしがれていた日本を元気づけたい」と思ったからでした。 
この時、ネルー首相から子どもたちに次のような文書が贈られました。

皆さん 私は皆さんの希望によって、インドの象を一頭皆さんへお贈りすることを大変嬉しく思います。 この象は見事な象で、大変にお行儀が良く、そして聞く所によりますと、体に縁起の良いしる しをしっかりそなえているとの事です。 皆さん、この象は、私からのではなく、インドの子どもたちから日本の子どもたちへの贈物で あるとご承知下さい。 世界中の子どもたちは多くの点で似かよっています。 ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。 私たちはこの様な大人たちの喧嘩を止めさせなければなりません。そして、私の願いはインド の子どもたちや日本の子どもたちが成長した時には、おのおの自分たちの立派な祖国のためばか りにではなく、アジアと世界全体の平和と協力のためにも尽くして欲しいということです。 ですから、このインディラという名を持った象を、インドの子どもたちからの愛情と好意の使 者として考えて下さい。インディラは東京でたったひとりぼっちで、あるいは少しさびしがって 遊び友だちを欲しがるかも知れません。 もし、皆さんが希望するならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい国で、幸 福になるように、お友だちの象をもう一頭送るようにすることもできます。 象というものは立派な動物で、インドでは大変に可愛がられ、しかもインドの特に代表的なも のです。象は賢くて、しんぼう強く、力が強く、しかも優しいものです。私たちも皆、象の持つ これらの良いところを、身につけるようにしてゆきたいものです。 おわりに、皆さんに私の愛情と好意とを贈ります。
           ジャワハルラル ネルー  1949年9月1日 ニューデリー

このインドの好意はその後も続いていて、四頭目の象には「スーリア」が 贈られました。
「スーリア」とはヒンズー語で「昇る太陽」という意味で、 これは「日出ずる国」である日本にちなんで命名されました。
10月22日には「ナマステ!INDIA☆DAY」が開催されました。
インド に関する様々な文化に触れる活動を通してインドへの関心を高め、現地理解 を深めると共に、日本と異なる文化を認め、国際社会の一員として生きてい こうとする姿勢を培うことができたらと思います。
ネルー首相と娘さん、そして象のインディラ (上野動物園にて)
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