かつて日本人をこのようにアメリカ人は蔑んでいました。
東日本大震災直後、アメリカ軍が日本の被災者救助のため行われた
2011年3月11日東日本大震災が発生、日本に甚大な被害が発生し、当時自衛隊・警察・消防が必死の救助活動を行っていました。
震災直後、同盟国のアメリカは直ちに、日本への復興支援活動を開始してくれました。
オペレーション・トモダチ「友達作戦」。
震災で孤立する、被災地に多くの救援物資を届けてくれましたが、実はこの裏には70年以上前の一つの物語があったから、こそ「トモダチ作戦」が成功したのでした。
それは大東亜戦争終結の5年後、1950年9月の出来事でした。
戦後の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ将校が来日しました。
アメリカ海軍提督「アーレイ・バーク大将」でした。
彼はかつての敵国、日本のラバウル方面海軍最高司令官の草鹿中将が公職追放により、鉄道工事現場でツルハシを持って働き「やっと食べて生きている」という話を耳にし、同じ立場にあった軍人とし居ても立ってもいられなくなり、匿名で食料を送ったのでした。
それだけ言って出て行った草鹿にバーク大将は、日本人の精神に敬意を払うとともに、バーグ自身も草鹿の立場だったら、同じ事をしたに違いと感じたのです。
朝鮮戦争時、日本の帝国ホテルに宿泊した時、ホテル従業員はバーグの荷物を直ぐに持ち、接待しようとしたのですが、これを拒否していました。
実はバークは筋金入りの日本人嫌いでした。
それは日米戦争によって、バークの親友や部下が命を奪われたからでした。
バークの心には、敵国日本への激しい憎悪感がありました。
そのバークが宿泊した帝国ホテルの部屋は、殺風景な部屋で何の飾りもないものでした。そこで、バークは一輪の花を買ってコップに差したのでした。
ところが、翌日バークが部屋に戻るとコップに差してあった花が、花瓶に移されていました。そこで、バークはホテルに
しかし、ホテル側は分からないという回答でした。
数日後には、その花瓶には新しい花が生けられていました。
花はその後も増え続けは部屋を華やかにしました。
この花を飾ったのは、部屋のメイク係の日本人女性でした。
彼女は乏しい給料の中から花を買いバークの部屋に活けていたのです。
その行為に対しバークがチップを払おうとしたのですが、メイク係は
「お金は受け取れません。私はただお客様に心地よく過ごしていただきたいと思っただけです」
このメイク係の身上を知ったはバークはさらに驚きました。
戦争未亡人でした。
夫を戦争で失った女性がメイク係としてがアメリカ人を嫌わずその花をいけていたのでした。
しかも、その女性の夫は駆逐艦艦長でした。
ソロモン海戦で戦死されたという話を聞いた、バークは
提督が何もしなかったら、提督が戦死していたでしょう。
提督は何も悪い事はしてはいません。
この時バークは「この違いは何なんだ」と考え、日本人の心意義と礼節を知り、バークは親切には親切に答える、という考えに至りました。
特筆すべきは、バーク氏は一刻も早く、アメリカの日本占領を終わらせ、日本独立をアメリカ政府に働きかけました。
加えて戦後5年には日本の平和を維持するため、日本海軍の再建を説いたのです。
アメリカ国内では当時反日感情高まる中、バークは日本の海上自衛隊の発足に尽力を尽くされ、日本海軍機の旭日旗の使用も認めました。
その後バーク氏はアメリカ海軍作戦部長に就任し、日本に対しアメリカ最新鋭機の哨戒機を提供してくれました。
そのバークの功労に日本は、日本最高位の勲章「勲一等旭日大綬章」を贈りました。
バーク氏は1991年96歳で亡くなりましたが、そのバークのご遺体の胸につけられた勲章は日本から送られた「勲一等旭日大綬章」の勲章だけでした。
それは、バークの遺書によるもので、その遺書には日本への感謝と尊敬が書かれいてたそうです。
そして時は流れ、東日本大震災発生当時たまたま、太平洋沖で演習中のアメリカ海軍部隊が日本支援のため駆けつけてくれたのでした。
アメリカ空母、ロナルド・レーガン艦長が指揮する、作戦には2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が直ちに日本震災の救助に向かったのです。
その時の空母、ロナルド・レーガン艦長はトム・バーク大佐でした。あの、日本海自を再建した。バークの孫だったのでした。
そのバーク大佐は何と、艦隊の指揮を副官に任せて、艦長自らが救援物積んだヘリを操縦し日本の避難所を飛びまわりました。
こんな中、救援物資積んだヘリが着陸しようとすると、世界中では、どんなことが起きるか知っていますか?
食料の奪い合いが起こり、もしかしたら、ヘリへの銃撃も起こります。
しかし、日本では食料の奪い合いは一切なくトム・バーク大佐の操縦するヘリはヘリが着陸しやすいその場所を確保しヘリが着陸すると、被災者が荷下ろしを手伝い、全員が飛び立つヘリにお礼をして見送りました。
正に先人のおかげです。
日本人の礼節によって東日本大震災のトモダチ作戦が成功したのでした。万が一にも、先の大戦で日本が卑怯な振る舞いや戦後、アメリカ軍人に無礼な振る舞いをしていたならば、トモダチ作戦は実現もされませんでした。