闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
東京・下町を焼野原にした「東京大空襲」
2021-03-10
1945年(昭和20年)3月10日未明。東京・下町の上空を飛ぶ、約300機の米軍超大型爆撃機「B29」から無数の焼夷弾が降り注いだ。それ以後も100回以上も火の雨にさらされて、東京の市街地の6割が焼失した。実は、東京・下町は、その22年前の関東大震災時にも火災で焼野原になっていたのだ。
爆撃は、まず、一ヶ所に焼夷弾を投下、その火の海になった地域を目印にして絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)が行われたと伝えられている。しかし、実際には避難民でごった返す大通りに大量に焼夷弾を投下、子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部から背中などに焼夷弾の子弾であるM69が突き刺さり即死、そのまま燃え上がるというような凄まじい状況も数多く起きていたそうだ。
爆撃は、まず、一ヶ所に焼夷弾を投下、その火の海になった地域を目印にして絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)が行われたと伝えられている。しかし、実際には避難民でごった返す大通りに大量に焼夷弾を投下、子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部から背中などに焼夷弾の子弾であるM69が突き刺さり即死、そのまま燃え上がるというような凄まじい状況も数多く起きていたそうだ。
帝国にとって、3月10日は、最低・最悪の日となりました。
2021-03-10
東京大空襲 & 陸軍記念日
東京大空襲記念日
1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B29爆撃機344機による焼夷弾爆撃がありました。 死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出しました。
陸軍記念日
1906(明治39)年~1945(昭和20)年 1905(明治38)年、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領した。翌年からこれを記念して「陸軍記念日」とした。
太平洋の闘い
2021-03-06
工藤美代子『ジミーと呼ばれた天皇陛下』
2021-03-06
工藤美代子『ジミーと呼ばれた天皇陛下』
若き日の明仁天皇の愛と苦悩の素顔。
「あなたの名前はジミーです」戦勝国アメリカから赴任した英語教師・ヴァイニング夫人は、最初の授業で若きプリンスにそう告げた……。天皇家から絶大な る信頼を得、12歳から15歳の多感な明仁親王に多大な影響を与えた夫人が遺した天皇家との手紙や資料を手がかりに、今上天皇の素顔に迫る、渾身のノンフィクション文庫増補版。