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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

◎レーニンが死去、後継争い始まる

2022-02-22


Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1924(t13)年】
◎レーニンが死去、後継争い始まる
*1924.1.21/ レーニン死去、53歳。以後、トロツキー派対スターリン派の内部抗争が始まる。
 レーニンは、暗殺未遂の後遺症や革命後の国政処理の激務によって、次第に健康を害していった。1922年5月に脳発作を起こして右半身に麻痺が生じ、演説がうまくできなくなっていた。政局の指示を行うのが難しくなり、政治局に休養を命じられると、スターリンはレーニンの側近として、他の政治局員がレーニンと面会するのを制限し、その影響力を強化していった。
 レーニンに率いられた「ソ連共産党政治局」は、いわば内閣のようなもので、主要な政策の決定を担っていたが、政務が煩雑になると、レーニンは「書記局」を独立させ、自身の近くで直接補佐する「書記長」にヨシフ・スターリンを就任させた。スターリンは、いわば内閣官房長官のような役割で、レーニンの体力が衰えるにつれて、レーニンの意向を代表する立場に立って、その実権を掌握していった。
 レーニンは、話すことも出来ず、ほぼ廃人状態となり、1924年1月21日に最後の発作を起こして死去した。葬儀は1月27日に行われたが、スターリンが葬儀を仕切り、後継者の立場をアピールした。本来ナンバーツーの位置付けだったレフ・トロツキーは、スターリンが送った偽の葬儀日程のため、葬儀に参列さえできなかった。
 10月革命で最も活躍したのはトロツキーであり、トロツキーは赤軍の創始者として、革命後の内戦でも、これを勝利に導いた立役者だった。レーニン死後の党内闘争では、諸派はいずれもレーニンを神格化し、その忠実な後継者としてふるまい、スターリン派はマルクス・レーニン主義を体系化し、トロツキー派はボリシェヴィキ・レーニン主義を標榜した。
 やがて主流派をまとめ上げたスターリンは、党の「書記長」として書記局に権限を集中させ、対立するトロツキーを閑職に追いやり、やがて国外に追放する。スターリンは、「一国社会主義論」による国内体制の維持を優先する路線を示した。一方で、トロツキーは「世界同時革命論(永久革命論)」を展開したが、この理論対立に敗れ、スターリンによるトロツキー派大粛清の大義名分ともされた。
 日本での60年、70年安保闘争の時期を通じて、様々な派が独自路線を主張して抗争したが、互いに相手側を「トロツキスト!」と罵りあった。互いに分派抗争する各グループが、相手側を「トロツキスト(分派主義者)」となじり合うのは壮観でもあった(笑)
 追放されたトロツキーは、各地を転々としながら最終的にメキシコに居を定めた。この間、第4インターナショナルを結成し、国際社会主義運動を展開したが、スターリンは国内で大粛清を進めており、メキシコに逃れていたトロツキーにも刺客が派遣された。そしてトロツキーは、1940年8月、関係者に成りすまし、登山家を装った刺客により、ピッケルで後頭部を打ち砕かれ暗殺された。
 「グルジア問題」の処理にあたってスターリンと対立するに至ったレーニンは、粗暴で猜疑心の強いスターリンの性格を案じるにいたり、書記長職からの解任を提案する覚書を書いたりしたが、すぐ後の発作で表現能力を失い、死後もスターリンに握りつぶされた。
 支配権を握った「スターリン書記長」は、その後着々と「一国社会主義」を構築していった。ヒトラーをも圧倒する大粛清で、完全な独裁権力を掌握したスターリンは、第2次大戦では、敗戦国の日独をしのぐ、参戦国最大の国民の犠牲を出したにもかかわらず、戦後は米ソ対立の「冷戦構造」を作り出し、一方の雄として君臨した。
 スターリンに関しては当然ながら毀誉褒貶は多いが、ソビエト連邦という共産主義国家が、70年にも渡ってユーラシア大陸に存在し得たという事実は、スターリンの構築した「一党独裁体制」に負うところが多いであろう。
「国家と革命」 (講談社学術文庫/2011/レーニン 著・角田安正 訳)
(この年の出来事)
*1924.4.6/ イタリア総選挙で、ファシスタ党が絶対多数を獲得、ムッソリーニの独裁体制が完成。
*1924.5.23/ スターリンが、ソビエト共産党第13回大会で、トロツキーらの反対派をプチブル的と批判する。
*1924.6.11/ 憲政会加藤高明を首相に、第1次加藤内閣(護憲3派内閣)が成立する。

ウクライナの市民  ミャンマーの市民に  今、心を寄せて

2022-02-27

Facebook Syoukyou Odakeさん曰く

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【掲示版急遽貼り替え】
 殺すな 殺さすな
 武力で平和は作れない
  ウクライナの市民
  ミャンマーの市民に
  今、心を寄せて
 武力によって社会体制を変えるため、権力者の命令によって殺されていく多くの「いのち」。
昨年、軍のクーデター下のミャンマーで。そして今、ロシア軍の攻撃を受けるウクライナで。
 今、その渦中にある市民の人たちに心を寄せ、
「戦争反対」「暴力・殺戮反対」の声をあげる人々とともに、私も掲示版に一声。
 これらの声が世界中の大きなウネリとなり、
かの地に「真の平和」が一日も早く訪れることを切に願って。

歴代総理で人柄が一番いい人は? 田原総一朗が明かす

2022-02-24
一番は小渕総理・・・、次には・・・森総理・・・
この方については・・・。

価値観で立ち、価値観でぶつかり・・・。

2022-02-23
『讀賣新聞』2022.02.23朝刊

山本五十六 on 戦艦 長門 (昭和15年11月26日

2022-02-21
---- 日本国 - 日本海軍 ----
--- 山本五十六 - 戦艦 長門 (昭和15年11月26日) ---   
---- 山本五十六 (明治17年4月4日 - 昭和18年4月18日) ---- 
- 所属組織 : 日本海軍 (明治34年 - 昭和18年) 
- 最終階級 : 元帥海軍大将  
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