オリンピック
【 TOKYO2020の記録】
今夜の #パラリンピック 開会式に向けて行われた #ブルーインパルス による展示飛行の様子
パラリンピック展示飛行の予行が行われました!
翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が・・・・。
これを契機に、翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が毎年、全国各地で開かれるようになり、上皇ご夫妻はほぼ毎回出席。平成の初めに当時皇太子だった天皇陛下が引き継ぎ、令和になって秋篠宮ご夫妻が継承した。
上皇さまは退位前最後の記者会見(2018年12月)で「障害者自身がスポーツを楽しみ、それを見る人も楽しむスポーツとなることを願ってきました。パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います」と語った。
上皇さまの障害者への思いは天皇陛下にも継承されている。陛下は18年6月、赤坂御用地で、視覚障害者女子マラソンの道下美里選手(44)の伴走を行った。
リオデジャネイロ大会銀メダリストで、今大会にも出場する道下選手は、17年秋の園遊会に招かれた際、陛下に一緒に走ることを提案。陛下がパラリンピック競技について「私自身も理解するいい機会」と快諾し実現した。陛下は書物や動画を見て事前に準備し、約2.3キロにわたり声を掛けながら道下選手をリードした。
日比野教授は「皇室の支えもあり、障害者に対する国民の意識は変わってきている。今大会が、さらに広く国民のその意識を変化させるものになってほしい」と期待を寄せている。
1964年の東京大会が、日本の障害者スポーツの夜明けとも言える転換点だった。
天皇陛下が名誉総裁を務められる24日開幕の東京パラリンピック。歴史をひもとけば57年前、当時皇太子だった上皇さまが名誉総裁を務めた1964年の東京大会が、日本の障害者スポーツの夜明けとも言える転換点だった。
東京五輪・パラリンピック組織委の理事で、障害者スポーツの歴史に詳しい日比野暢子・桐蔭横浜大教授(スポーツ政策学)は、64年大会を「関係者の意識を変えた大会」と位置付ける。
64年11月8日に開幕した大会は、第1部の国際大会、第2部の国内大会で計7日間行われた。上皇さまは国内大会の開会式で「わが国ではなお不十分といわれる身体障害者に対する正しい理解を深め、関心を強めるため非常に良い機会であると思います」とあいさつ。大会後、関係者をねぎらった場で「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と述べた。
【 冬季オリンピックの巻】
北京パラリンピック開幕 「鳥の巣」で開会式
北京五輪閉幕直後にロシア軍がウクライナに侵攻。
戦時下で実施される雪と氷の障害者スポーツの祭典には、排除されたロシアとベラルーシを除いて46カ国・地域から約560選手が参加する。