オリンピック
【 TOKYO2020の記録】
道下美里「5年前の忘れ物をとりにいった」金メダル
144㎝の小さな体が、勝利を確信しながら躍動した。早朝から降りやまなかった雨は、道下美里(T12)がオリンピックスタジアムに入ってくると同時にやみ、そしてゴールテープを切る瞬間、厚い雲の隙間から射した光が彼女の笑顔を照らした。「5年前の忘れ物を絶対に取りに行くぞって強い気持ちでみんなで準備してきたので、すごくうれしいです」。そう言って笑顔を爆発させる。気づけば、うす寒かったはずのスタジアムに、夏の終わりを告げるようなくすぐったい湿気がたちこめていた。
「後半、坂の前から仕掛けるのは予想していた」
号砲が鳴ったのは、東京2020パラリンピックの最終日となる2021年9月5日(日)午前6時40分。道下は勢いよく飛び出し、首位でオリンピックスタジアムを後にした。15kmまでは4人の先頭集団がお互いを譲らない展開だったが、20km付近ではいったん先頭のエレーナ・パウトワ(RPC)から3秒ほど差が開いた。しかし道下はぐっとこらえて間隔を保っていた。
「序盤はペースを刻んで、後半の勝負だと思っていました」。勝負をかけようと戦略を練っていたのは、市ヶ谷から四谷、そしてオリンピックスタジアムまで続くラスト5kmの上り坂だ。ここを登り切れる体力を、夏合宿の坂道練習で培ってきていた。
25km過ぎからはトップのパウトワと並走状態になったが、焦りはなかった。勝負はこのあとにある。35kmから独走態勢に入ると、オリンピックスタジアムへの長い坂道を、まるで栄光への階段をのぼるかのように駆け上がっていった。
「坂の前から仕掛けるというのは予想していて、しっかりガイドランナー(の志田淳)が後ろを見てくれていたので、うまいリードをとれました。今までいろいろなレースで最後の2kmで失速することがあったので、絶対ゴールするまで油断しないでいこうと思っていました」。トラックに入ってからは、その場の空気を全身で感じ取るかのように笑顔で走った。「かなり離れていると分かったので、落ち着いて笑顔になって、ああ、これが夢に見た舞台だと思って。幸せだなという思いでゴールテープを切りました」。
世界ランク1位の里見紗李奈・山崎悠麻組が金メダルで初代女王に…里見は単複2冠
◆東京パラリンピック バドミントン女子ダブルス(5日、東京・国立代々木競技場)
今大会から採用されたバドミントンの女子ダブルス(車いすWH)決勝で里見紗李奈、山崎悠麻(ともにNTT都市開発)組は、中国ペアを2―1で破り、金メダルを獲得した。
里見は前日にシングルス(WH1)を制しており、2個目の金メダル。この日に向けては「ダブルスは悠麻さんが隣にいるだけで緊張より楽しいが勝つ。金を取らせてあげたいし、2人で金を取りたい。必ず初代女王になれるように頑張ります」と意気込んでいた。
山崎はシングルス(WH2)で銅メダルを獲得しており、2個目のメダルとなった。
車いすテニス、女子ダブルスで銅メダルを獲得した上地結衣選手・大谷桃子選手
東京2020パラリンピックの車いすテニス、女子ダブルスで銅メダルを獲得した上地結衣選手・大谷桃子選手。上地選手は女子シングルスの銀メダルに続いて今大会2個目のメダルとなりました。ダブルス決勝から一夜明けた9月5日(日)、2人がインタビューに応じ、戦いを終えた今の思いや今後への意気込みを語りました。
「あきらめない気持ち」
3度目のパラリンピックはどのようなものになりましたか。
上地 大変な状況での開催となった今大会は、誰もが開催など、あきらめかけたこともあったかもしれません。でも私たちが今日を迎えられたのは、みなさんのあきらめない気持ちがあったからだと思います。私たちもその声援に応えるためには、あきらめてはいけないと、1試合、1ポイントずつ戦いました。このあきらめない気持ちが、少しでもみなさんに伝わっていたら嬉しいです。
「練習は裏切らない」
大谷選手は初のパラリンピック出場。どんなことを大切に戦いましたか。
大谷 私は試合中にとても緊張してしまうタイプ。とにかく練習をして、練習は裏切らないという言葉を胸に試合へと挑んでいます。いつも勝てればいいですが、苦しいときもあります。そういう時期でもしっかりと練習をして、本番に向けて調整していくのは私のモットー。今大会も練習は裏切らないと思い試合に臨めました。上地選手とのダブルスでは前に出るプレーもしましたし、これまで練習してきたところなので、発揮できてうれしいです。
圧巻の内容で制した東京2020大会
圧巻の内容で制した東京2020大会
「重圧があるからこそ、あのパフォーマンスができたと思います」。国枝選手は圧巻の内容で制した東京2020パラリンピックの勝因について、こう表現しました。パラリンピックは5大会連続出場で、男子シングルスは北京2008大会、ロンドン2012大会と2大会連続の金メダル獲得。前回のリオデジャネイロ2016大会はベスト止まりと苦しい結果に終わりましたが、現在世界ランキング1位と車いすテニス界のトッププレイヤーです。
今大会、国枝選手は2回戦から登場し、シングルスの5試合すべてストレートで勝利しました。また4日のトム・エフベリンク選手(オランダ)との決勝はわずか1時間18分で決着をつける圧勝劇。強さを見せつけた一方、重圧ものしかかっていたそうです。
「僕自身が日本選手団の主将、最初にこけるわけにはいかないと、結果で貢献できてほっとしています」。リオのリベンジ、世界トップランカー、そして日本選手団の顔など、様々なプレッシャーを乗り越えてつかんだ頂点。決勝の第2セット、相手の返球がネットにかかり決着がつくと、涙を流して、喜びをあらわにしました。
「負けられない、負けたくないは重圧ですし、また期待に応えたいも重圧です。でもそれが強ければ強いほど、乗り越えたときの喜びは何倍にも膨れあがりますし、そうでないと勝って涙することはありません。金メダル獲得の瞬間は、ぼくの人生の中で幸せでした」
里見紗李奈が金メダル 新種目・車いすバドミントンの初代女王に
【写真特集】里見紗李奈、初代女王の座をつかんだ決勝の熱闘
里見は同種目で初代女王に輝いた。千葉県八街市出身。高校3年時の2016年に交通事故に遭い、下半身不随となった。17年に競技を始め、19年世界選手権優勝。世界ランキングは単複ともに1位。
【 冬季オリンピックの巻】
北京2020
本当にありがとうございました
Facebook Team JAPANさん曰く
北京五輪閉幕に際しての談話
Facebook 時事通信社さん曰く
ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅(クラレ)が20日、北京五輪閉幕に際しての談話を日本オリンピック委員会(JOC)を通じて発表し、「応援してくださる全ての方々を失望させる結果になったが、選手やチーム同士、関係者、たくさんの方々が純粋に喜び合えるスキージャンプという素晴らしい競技の場に立つために、現状を鑑みて前進していきたい」と前向きにコメントした。
高梨は5日の個人ノーマルヒルで4位。7日の混合団体は1回目にスーツの規定違反で失格し、日本は4位となった。謝罪のコメントを記したインスタグラムの投稿には、多くの励ましの返信が寄せられた。
高梨は「最後の最後まで支え続けてくれたチームメートとスタッフの方々、温かく優しい言葉で励ましてくれた各国・地域の選手・スタッフ、皆さんに本当に助けられた」と感謝の意を示した。
ジャンプ女子のワールドカップ(W杯)は25日にオーストリアで再開する。 (時事)
こうした話が美談として語る必要のない“環境整備”が必要だ!!
昨夜閉幕した北京オリンピック。日本は金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル9個と冬季オリンピック史上最多となる18個ものメダルを獲得した。2大会連続での記録更新となった。
ただ、夏のオリンピック競技に比べて、冬季競技は厳しい競技環境にある。用具や練習、遠征にかかる費用も高額だ。選手たちの活躍は、家族の支えがあってこそだった。日本女子史上最多となるメダル7個を獲得した高木美帆、その姉で今回、銀メダルを獲得した菜那の姉妹も例外ではない。平昌五輪の際、高木姉妹の家族たちのサポートを報じた記事を再公開する。(初出:週刊文春 2018年3月8日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)
高木姉妹を支え続けた「両親の献身」
活躍は両親の献身なしには考えられないと、一家の知人は語る。
「父の愛徳(よしのり)さんは会社勤め、母の美佐子さんも美帆ちゃんが幼稚園の頃に新聞販売店の託児所に預けて、新聞配達を始めました。スーパーのレジ打ちと掛け持ちしている時期も長かった。お兄さんも含めて子ども三人がスケートをやっていましたから、走るように歩く、いつもそんな感じで忙しそうでした。でも笑顔を絶やさない素敵な人なんです」
子供たちも中学に上がると母の新聞配達を手伝った。
「早朝に新聞を配って、それからトレーニングを兼ねて高校まで自転車で通っていました。お正月はお父さんも一緒になって配っていましたよ」(近所の人)
妹の美帆は中学生でバンクーバー五輪出場を果たし、注目を集めたが、決して天狗になることはなかった。姉妹が小学生の頃から通った「高橋まんじゅう屋」の高橋美哉さんが語る。
「美帆ちゃんが高校三年生の夏休みですね。私が体調悪くしていたら、『三日間オフがあるから、何かお手伝いできることありますか?』って。お金ほしいとかそういうことじゃなくてね。働いていても、常に目が動いてて、他の人の動きを見て判断してる。美帆ちゃんの場合は一個言ったら十わかる。普通の子なら一カ月かかるような仕事を三日ですぐ覚えて。計算も一度も間違えなかった」
姉の菜那は高校卒業後、スピードスケートの名門・日本電産サンキョーに就職した。帰省した際、家族ぐるみで交流のあった「竹葉寿司」に一家で出かけた。
「もう胸いっぱいという感じで、お鮨も喉通らない(笑)」
「菜那ちゃんが食べる前に『今日は私が払うから』って言ったもんだから、お父さんはもう胸いっぱいという感じで、お鮨も喉通らないみたいだったね(笑)」(店主の杉山雪男さん)
姉妹がスケートを始めるきっかけを作った兄の大輔さんは語る。
「スケートってすごくお金かかる競技なので、両親は大変な思いをしたと思います。前々から両親にメダルをかけたい、いろんな方に恩返ししたいって言っていました」
娘たちの快挙達成を、母の美佐子さんは笑顔でこう振り返る。
「お金の苦労はですね、確かにありました(笑)。でもそれを苦労だと思ったことは、一度もないんです」
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2018年3月8日号)