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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

横超と云ふもの

2022-01-28

Facebook 菊池進さん曰く


「如何なる宗教にも、自己否定的努力を要せないものはない。
   一旦真に宗教的意識に目覚めたものは、何人も頭燃を救ふが如くでなければならない。
   但、その努力は如何なる立場に於て、如何なる方向に於てかである。
  神とか仏とか云ふものを対象的に何処までも達することのできない理想地に置いて、
  之によって自己が否定即肯定的に努力すると云ふのでは、典型的な自力である。
  それは宗教と云ふ ものではない。
  そこには全然親鸞聖人の横超と云ふものはない。
  最も非真宗的である。」 西田幾多郎

宗教心

2022-01-28

Facebook 菊池進さん曰く


「宗教心と云ふものは、
   多くの人の考へる様に、
   有限と無限とか、相対と絶対とか云ふ如き
過程的関係に於て生ずるのではなくして、
   我々の自己自身の存在が問はれる時、
   自己自身が問題となる時、 
はじめて意識せられるのである。」 西田幾多郎

西田幾多郎

2022-01-27
Facebook 菊池進さん曰く



「他力といわず、
   
     自力といわず、

      一切の宗教は

    この愚禿の二字を味うに外ならぬのである。」

西田幾多郎

異安心として大谷派から誤解された人です。

2022-01-24
親鸞の精神を現代に生かした人が清沢満之です。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1255
清沢満之という人が出られて、現代とか近代に親鸞の精神が復活したのです。
これは大谷派に出られたので大谷派が自慢するようだけれどもそうではないのです。
親鸞の精神を現代に生かした人が清沢満之です。
その意義を大谷派が自慢するというようなことを言うから間違ってくるのです。
むしろ異安心として大谷派から誤解された人です。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1256
その清沢満之の教団変革というものはいまだに完成しない。
今のような騒動が起こるのもまだ清沢精神が徹底していないからです。
今でもまだ混乱しているのは、それほど教団変革というものが困難ということです。
清沢満之は落在ということを言ったのです。
解脱が脱落になり脱落が落在になった。
これはもう本当に落ち切ったのではないかね。

人間の範疇

2022-01-21

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1251
現前に、おいてある問題が解決できないのなら、人は解決をやめるより仕方がない。
やめられないなら行き詰るよりほか仕方がない。
そのように、問題がもつれる場合は、やめるか、あるいは行き詰ってしまうかです。
人間の範疇には、その2つしかないでしょう。
けれども、問題が解けないというなら、その問いをもつ立場を変えなければならないのです。
超越ということ

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1253
自分を変えなければならない。つまり立場を変えるのです。
こういうところに超越ということがあるのでしょう。
いま立っている立場を変える。
問題を変えるのではない。
問題は変えるわけにはいかないでしょう。
立場を変えれば、解けない問題がおのずと解けてくる。
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