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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

高僧和讃講義(四) -源信・源空-…延塚知道著

2021-11-08
『中外日報』 2021年11月5日 10時59分

親鸞聖人は、釈尊出世の本懐は阿弥陀仏の本願=「浄土真実」にあるとし、教えを伝承したインド、中国、日本の7人の高僧の恩徳を讃えて多くの和讃を作った。本書は七高僧の最後の2人、日本の源信と源空(法然)の和讃についての講義録である。

親鸞聖人が浄土教の真実義を明らかにした『教行信証』には、如来の本願である浄土真実に遇い難くして遇えた喜びと如来の恩徳を讃嘆する言葉がつづられている。その中でも「行」巻の末尾に示した「正信念仏偈」は「道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべし」とあって重要な意味を持つ。

七高僧は、阿弥陀仏の本願が伝えられた道筋が、インドの龍樹、天親、さらに中国の曇鸞、道綽、善導、そして日本の源信、源空へとつながることを明らかにしたもので、いわば親鸞聖人の教相判釈に基づく選択本願の道筋と言ってよい。

著者は、七高僧一人一人の教えと恩徳を讃えた「高僧和讃」の4年半にわたる講義録を全面的に書き直し、出版してきた。最終巻となる本書は、源信、源空の伝記と教え、和讃の意味をこれまでと同様、丁寧に解きほぐしている。真宗教学の解説にありがちな難解さはなく、初心者にも真宗の教えの肝要なところに手が届く。

定価2090円、方丈堂出版(電話075・572・7508)刊。

2021-11-03


本願他力の伝統

【原文】
天 親 菩 薩 論 註 解  
報 土 因 果 顕 誓 願    

【読み方】
天親てんじん菩薩の論、ちゅうして、
ほういん誓願せいがんあらわす。

 曇鸞大どんらんだいは、長寿の秘訣を学ばれ、意気揚揚と自信にあふれておられました。しかし、インドから中国に来ておられた三蔵法さんぞうほうだい流支るしとの劇的な出遇いによって、身体的な寿命にこだわるご自分の愚かさに気づかれたのでした。そして、心を大きくひるがえされて、無量寿(長さとは関係のないいのち)を教える浄土の教えに深く帰依されたのでした。
 その菩提流支三蔵は、インドの天親てんじん菩薩が書かれた『浄土論』を中国語に翻訳されました。そして曇鸞大師が、その注釈をお作りになったのです。
 『浄土論』というのは、実は『仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』を註釈したものです。以前に見ていただきましたように(第40回)、天親菩薩は、自らの力によって悟りを得ようとするのは誤りであって、阿弥陀仏がすべての人を浄土に迎えいれたいと願われた、「本願」に率直に身をゆだねることこそが真実であることに気づかれたのでした。そのために、釈尊が阿弥陀仏の本願のことをお説きになった『仏説無量寿経』に対して註釈を施されたのでした。
 その『浄土論』に対して、今度は、曇鸞大師が註釈をお作りになりました。これが『浄土論註』です。つまりそれは、『仏説無量寿経』の註釈の註釈ということになります。これについて、親鸞聖人は「天親菩薩の論、註解して」(天親てんじんさつ論註ろんちゅう)と述べておられるわけです。
 かつてりゅう樹大じゅだいが、仏道には難行道なんぎょうどう(難しい方法)と行道ぎょうどう(やさしい方法)とがあると教えられましたが、天親菩薩の『浄土論』こそが、誰もが浄土に往生することができるとする、易行道を勧めたものと、曇鸞大師は讃えておられるのです。そして、阿弥陀仏の本願に随順する他力の信心しんじんを明らかにされたのが天親菩薩であると説いておられるのです。
 人は、自らが起こす煩悩によって、自らを悩ませ、苦しめています。しかも、悩み苦しみの原因が、自らが起こす煩悩にあることすらわかっていないのです。さらにまた、自分が現にそれほどにまで悩み苦しむ状態にあることにも気づいていないのです。目先の快楽に眼を奪われているからです。
 釈尊は、このような私たちを哀れんで『仏説無量寿経』をお説きになられました。そのような者こそを助けようとされているのが阿弥陀仏の本願であることを教えられたのです。
 釈尊がお説きになられた阿弥陀仏の本願他力の教えをさらに明らかにされたのが天親菩薩でありました。そして本願についての天親菩薩の教えをさらに明確にされたのが、曇鸞大師だったのです。
 親鸞聖人は、尊と天菩薩と曇大師とが説き示された本願の伝統に、ご自分の位置を見定められて、自ら「釈親鸞」と名乗られたのです。
 さて、親鸞聖人は、曇鸞大師のことを「報土の因果、誓願に顕す」(ほういん顕誓願けんせいがん)と讃えておられます。報土の因も果も、どちらも阿弥陀仏の誓願によることであることを、曇鸞大師が顕かにされた、といわれるのです。
 報土とは、阿弥陀仏の浄土のことです。阿弥陀仏の浄土は、阿弥陀仏の本願が成就した世界です。願いが報いられた国土なのです。
 阿弥陀仏の浄土が開設されることになった原因も、すでに開設されているという結果も、また、私たちが浄土に往生することになる原因も、また往生するという結果も、すべて阿弥陀仏の誓願によることなのです。
 阿弥陀仏が仏になられる前は、法蔵ほうぞうという名の菩薩であられました。そのとき、法蔵菩薩は、自分の力では往生できるはずのない人が往生できる浄土を建立したいと願われました。そして、もしその願いが実現しないのであれば、自分は仏にはならないという誓いを立てられたのです。その法蔵菩薩が阿弥陀仏になられたのです。ということは、願いと誓いがすべて報いられていることを意味しています。
 ぼんの往生は、他の理由によるのではなく、ひとえに阿弥陀仏の大慈悲心である誓願によることなのです。その本願のはたらきを「他力」として顕かにして下さったのが曇鸞大師なのです。

九州大谷短期大学長 古田和弘

大学の正門北側には、曇鸞大師『浄土論註』より採られた「知進守退」と刻まれた石碑があります。 1901年、東京・巣鴨に開学して以来、この石碑は、時代を超えて「進むを知りて退くを守る」と、本学に往き交う人々に対してそれぞれの響きで常に語りかけています。

因縁の力

2021-10-03
Facebook Yasuda Rizinさん曰く、
1158
皆そうなのです。
憎しみながらも離婚せずにいるのは因縁の力があるからなのです。
夫に感謝する妻なんていうものは一人も居りはしないでしょう。
皆、不平不満をいだいている。
仕方がないと言って続いているのは、因縁の力があるからです。
外国では因縁というものを考えない。
他力ということも分からなかった。
他力の力というのは何を力というのか。
大願業力、増上縁の縁でしょう。

仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

2021-10-03
Facebook Yasuda Rizinさん曰く、
1153
釈尊は我々に「仁者(あなた)」と言う。
そこに、教える人と教えを受ける人の区別があるでしょう。
区別はあるけれども、同じ「人」に生まれてきている。
人と人の関係です。
しかし、ただ人と人というだけでは人間主義でしょう。
仏教は人間主義ではない。
仏教は、人間を大事にするけれども、人間主義ではありません。

(T23) 『教行信証』講義

2021-09-08
投稿者: 東方学院 事務局

東方学院設立の経緯と意義

 東方学院は、創立者中村元の東京大学退官とともに、昭和45年11月に文部省より財団設立の認可を受けた財団法人東方研究会(現、公益財団法人中村元東方研究所)を母胎として、昭和48年に設立されました。

 その大きな動機は、当時、大学に吹き荒れた学園紛争にともない、学術的には減退傾向にあり、また精神的な砂漠化のさなかにあって、学術的精神的な拠点となりうる、小さくともしっかりした学院をつくることにありました。そして学問の自由を制約することになる縄張り意識の強いセクショナリズムを廃して、真理探究を目的とする学問本来の姿を回復するためでありました。

大学の外につくることでセクショナリズムを脱し、またカルチャー・センターとも異なる一種の私塾、つまり現代の「寺子屋」として出発しました。真に教えたい一人と真に学びたい一人が集まれば学院は成り立つ―これが創立者・中村元の信念であり、まさに東方学院の原点といえます。
 幸いにも、このような考えに同調し、協力を申し出る人々が集まり、学院は開講されました。狭いビルの一角を間借りし手弁当を持ち寄って、文字どおりの「寺子屋」が始まったのです。

 しかし、財団の基盤を強固にし、学院を発展させていくためには、しっかりとした学問研究の場所を確保する必要がありました。そこで、創立者の私財をもとに、財団設立に協力して下さった篤志家の方々が、昭和57年「財団法人東方研究会強化募金運動」を開始されました。一高時代の同窓生(「昭8文乙クラス会」のメンバー)である中村敏夫弁護士をはじめとして、同じく星埜保雄、宇佐見鉄雄、倉知善一、新井正明氏らが発起人となり、その資金集めから場所の確保にいたるまで実に並々ならぬご尽力を下さいました。そのおかげで、諸方面から多数の賛同者・協力者を得ることができ、現在のこの場所を入手するにいたりました。東方学院は、これらの人々によって築かれた土台の上に、今日成り立っております。

 以来、当学院は、優れた数多くの講師を迎え、多くの方々の善意と学問への熱意によって支えられ発展して参りました。

 今後も創立者の遺志を継承し、初心を忘れることなく、ますます発展していきますことを心より念願しております。

 

公益財団法人中村元東方研究所
故名誉理事長 中村洛子
(1919 ~ 2010)

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院

(T23) 『教行信証』講義

本多 弘之(ほんだ ひろゆき)

親鸞仏教センター所長

レベル 初級
◆第1・3木曜 10:30〜12:00
◆初講2021年4月15日(木) 全14回
◆東京本校 402号室〈オンライン可〉
◆受講料 ¥20,000

親鸞の主著『教行信証』を読みつつ、親鸞の思想信念を明らかにしていく。本年度も、「行巻」をしっかり読みといて行きたい。浄土教はいうまでもなく、大乗の仏教であるが、その浄土のすくいを、煩悩具足の身を生きながら、大悲の本願を聞けば、十分に味得できる道であることを明らかにしたのが、親鸞による革命的な了解であろう。この機会に『教行信証』の言葉を味読してそのことを明らかにしたいと思う。

【テキスト】
・『真宗聖典』東本願寺出版、1978

【参考書】
・講義の中で触れます。


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