真宗本廟の仏事
真宗本廟の仏事
石山本願寺と顕如上人
2021-02-02
顕如上人(1543〜1592)の時代はまさに戦国時代。
織田信長が猛威を振るい各地で戦が絶えませんでした。
織田信長が猛威を振るい各地で戦が絶えませんでした。
本願寺とていつ信長に襲われるか分からない緊迫した中で、顕如上人は布教活動をなさっておられました。
ついに本願寺にまでも信長の魔の手が伸びてきました。
信長は本願寺を見て、一方的に「ここに城を築くので本願寺を移転せよ」と顕如上人に伝えてきたのです。
当然のことながら顕如上人はこれを頑なに拒否されました。
蓮如上人が築かれた法城を再度失うことは思いもよらぬことです。
これに激怒した信長は本願寺を武力で攻めてきましたが、顕如上人は御門徒にこの事態を説明し、よくこれを防がれました。
これが歴史の教科書などでお馴染みの、十一年間の長きにわたり繰り広げられた『石山合戦』なのです。
あまりの長期にわたる戦に、時の天皇陛下が和議に立たれたので、長引けば犠牲者が多くでるばかりであると考えられた顕如上人は、信長に石山本願寺を明け渡し、紀州鷺森に移られる御決心をなさいました。
しかし、当時新門であられた長男教如上人(1558〜1614)は、信長の過去の行為から講和後の奇襲も予想されるとお考えになられて、徹底抗戦の構えを崩されませんでした。
が、再度朝廷より和議の命を受け鷺森に退かれました。
ついに蓮如上人御苦心の石山本願寺は信長の手に渡ってしまったのです。
ついに蓮如上人御苦心の石山本願寺は信長の手に渡ってしまったのです。
顕如上人が鷺森を本願寺とし再興なさろうとしていた矢先、教如上人の予見通り、信長は家臣の丹羽長秀に鷺森襲撃を命じました。
しかし命運が尽きたのは、信長の方だったのです。
そのときちょうど本能寺の変が起こり、顕如上人も鷺森本願寺も難を逃れました。
その後、顕如上人は貝塚、天満と移られ、その都度本願寺の寺基も移り変わりました。
そして豊臣秀吉から京都七条堀川の地に十万余坪の土地を寄進され、顕如上人はそこに移られ、本願寺の寺基もまたその地に移されたのでした。
戦国の世も終わりに近づき天下太平の槌音が聞こえて参りましたが、この直後に思いもよらぬ出来事が起こるのです。
NHK大河ドラマ2020も、明日が最終回となりました。
2021-02-06