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田畑正久先生の話

お釈迦様の生涯と教え

釈 尊 の 誕 生 日 、花 祭 り を お 祝 い 致 し ま す

2022-04-03

Facebook 田畑 正久さん曰く


釈 尊 の 誕 生 日 、花 祭 り を お 祝 い 致 し ま す
    新型コロナウイルスのパンデミックはまさに想定外の事でしたが、またロシアのウクライナ侵略は、人間という存在の縁次第では如何なる振る舞いをするという煩悩性をまざまざと知らされました。人が地獄を出現させる、その愚かさを見抜かれての大悲でありでした。
     仏教に衆生世間という言葉があります。生まれてから今日までに出会った人や命ある存在によって私の精神活動は在るということで、決して当たり前、当然ではないということです。
     人生の最終章を迎え、師の教言「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずるということは、今までお育て頂いたことへの報恩行です」に照らされる歩みをしたいと思っています。
     身体的には、新たなほころびの症状に気づきながら、その現実は私に何を知らせようとしているかを考えるご縁にしております。
    「歎異抄に聞く会」(毎月第3月曜日)、延塚先生の「教行信証に学ぶ会」(隔月)の継続に努め。さらに仏の心に深く触れ思索する歩みを続けます。縁熟せば皆さま是非ご参加下さい、お待ちしています。
     大分合同新聞隔週掲載の「今を生きる」の記事は継続させていただき、日々の社会や病院での出来事に触れながら文章を書かせていただき思索の励みになっています。
     この一年は、国、大分県、宇佐中津のコロナ患者数を見ながら、まさにコロナ、コロナであっという間に過ぎました。
    夫婦で同じ職場の生活が19年目を迎えています。「余力を残して世間ごとは止めた」つもりでしたが……勤務を少し短縮しながら、与えられ、期待された役割をもう少し果たして行きたいと思っています。合掌, 南無阿弥陀仏 
仏暦2566年(2022年)4月 8日 田畑正久 
勤務先、宇佐市中原347 佐藤第二病院  電話;0978-32-2100



「経は鏡なり」(お経は鏡のようなもの)

2021-10-13
Facebook 田畑正久さん曰く
 仏教の智慧には転悪成善(悪を転じて善と成す)という働きがあります。智慧は全ての事象の中に無限の意味を見いだすのです。
 私の仏教の師は科学者でもありました。河川の水質調査に関する環境問題の研究に足跡を残されています。師の講義の中で、パルププラントは多くの産業廃棄物が出るという問題に触れたことがあります。パルプから有用な化学物質を抽出した後、恐ろしいほどの量の不要な廃棄物が出るというのです。多くの人が時間をかけて廃棄物の処理について研究したのですが、なかなか良い方法を見つけられなかったようです。
 そんな中で、ある人が思いがけない提案をしたそうです。それは廃棄物の中にミミズを大量に入れるということでした。ミミズを入れてみると廃棄物を食べて消化したのです。そしてその排泄物は有機肥料になったというのです。
 仏教の師は、これを転悪成善の一例として講義の中で紹介されたのですが、仏の智慧というのは、分別で思考すると不都合なものを有益なものに転じる働きがあります。そのためには迷っている自我意識が仏智で翻されるということが求められます。そのために仏教の学びをするのです。
 私たちは、学びとは学校で勉強して知識を増やし生きるために役立てると思っています。仏教の智慧の学びは、それとは方向が違うのです。
 法話を聞いて知識として覚えることを私有化ということができます。私有化して「その教えを私は知っている」となると、自分の身を照らす働きが鈍(にぶ)るのです。「私は知っている」と誇るような傾向がでると、教えによって身が照らされて、照らし破られて「驚く」ということがすくない傾向になります。
 知識的に学ぶのではなく、「経は鏡なり」(お経は鏡のようなもの)というように自分の姿が照らし出される鏡として受け取ることが大切です。そのためには本を読むだけでなく人を通して聞くということが要るでしょう。禅宗の道元禅師が「仏道を習うとは自己を習うなり」と言われているように、教えによって、鏡を見るように自分の相(すがた)を表面的、深層的に知らされることが大切です。「自分のことは自分が一番よく知っている」と考えるのは傲慢(ごうまん)だと仏教は教えてくれます。

「苦悩多きものよ教えを聞け」【住岡夜晃法語】

2022-08-03
生きることは苦悩である。苦悩すること以外に人生はない
しかし、苦悩あるがゆえに人生の意義が生まれる
苦悩の無いところに人生の意義は生まれない
宗教の意義もまたしかりである 
念仏によって苦悩を無くするものではない
苦悩の中に念仏して 苦悩を受け取れば 
苦悩こそ 如来本願大悲真実の功徳大荘厳を発せしめたる現実の根拠であるがゆえに 
苦悩こそ 誠こそ如来の真実大悲の大荘厳を 現実に具体的ならしめる契機(けいき)である
であるがゆえに 苦しみこそ幸(こう)なるかな 悩みこそ福なるかな
苦悩無きものに大悲なく 煩悩深きものに功徳多し
されば 罪悪深重にさめて念仏申す者は 永遠なる功徳荘厳を人生に顕現(けんげん)し
如来の大悲を生活の上に具現立証して世の光となるであろう
汝 苦悩多しとて悲しむなかれ
直ちに 苦悩を抱いて教えを聞け 苦悩のみが汝が汝となる汝のための契機であり
真実教のみが汝が汝となる汝のための生命である
「苦悩多きものよ教えを聞け」【住岡夜晃法語】
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