今、願正寺では?
今、願正寺では・・・?
またお一方・・・
2018-09-16
四男で宇佐市長洲の妙満寺住職の文章です。
お浄土で
9月14日の夕方、四時半を過ぎていました。
隣市での用事が終わり帰宅する前に、母が入っている施設を訪ねました。
三女と一緒に部屋へ行ったのですが、不在。
夕食のため食堂に集まっていました。
母を見つけ声をかけました。
大きな目を開け、こちらを見続けます。
そこに拙寺ご門徒の介護士さんがやってこられました。
「あら。部屋へお連れしましょうか?」と。
「いえいえ、ちょっと寄っただけです。もう帰らねばなりませんから」
娘に「おばあちゃん、元気になっただろう」と声をかけ、「又来るね」と母の頬をなで自宅に戻りました。
「元気になってたぞ。百歳まで行くかも」と話しながら着替えを済ませた頃でした。
兄嫁から電話が。「おばあちゃんの具合が良くないと連絡が、、、」
「そんなことないですよ!三十分ほど前に会ってきましたよ」
施設に向かっているとのことなので、私も再度、車を走らせました。
向かってる途中に電話が。「間に合わなかった。着いたときには、、、」
信じられない思いで施設に。母はひとりベッドに。
一時間半ほど前は、目を開け、私を見つめてくれた母。もう声をかけても、頬をなでても目を開けてくれません。
20分ほど、二人きりになりました。いろんな思い出がよみがえってきました。
父が48歳で往生。その倍以上生きてくれた母。しかし、大変な苦労があっただろうし、私は末っ子であったので、大変迷惑をかけたと思います。
四人の息子の「母子手帳」を大事に持ち続けてくれていた母。
「ごめんね。でも、長くそばに居てくれてありがとう。」
「長い施設での生活、疲れたかな。。。ゆっくりしてね」
「また、お浄土でね」
佐々木春子 満98歳
9月17日(月) 午後七時 通夜
9月18日(火) 午後一時 葬儀
隣市での用事が終わり帰宅する前に、母が入っている施設を訪ねました。
三女と一緒に部屋へ行ったのですが、不在。
夕食のため食堂に集まっていました。
母を見つけ声をかけました。
大きな目を開け、こちらを見続けます。
そこに拙寺ご門徒の介護士さんがやってこられました。
「あら。部屋へお連れしましょうか?」と。
「いえいえ、ちょっと寄っただけです。もう帰らねばなりませんから」
娘に「おばあちゃん、元気になっただろう」と声をかけ、「又来るね」と母の頬をなで自宅に戻りました。
「元気になってたぞ。百歳まで行くかも」と話しながら着替えを済ませた頃でした。
兄嫁から電話が。「おばあちゃんの具合が良くないと連絡が、、、」
「そんなことないですよ!三十分ほど前に会ってきましたよ」
施設に向かっているとのことなので、私も再度、車を走らせました。
向かってる途中に電話が。「間に合わなかった。着いたときには、、、」
信じられない思いで施設に。母はひとりベッドに。
一時間半ほど前は、目を開け、私を見つめてくれた母。もう声をかけても、頬をなでても目を開けてくれません。
20分ほど、二人きりになりました。いろんな思い出がよみがえってきました。
父が48歳で往生。その倍以上生きてくれた母。しかし、大変な苦労があっただろうし、私は末っ子であったので、大変迷惑をかけたと思います。
四人の息子の「母子手帳」を大事に持ち続けてくれていた母。
「ごめんね。でも、長くそばに居てくれてありがとう。」
「長い施設での生活、疲れたかな。。。ゆっくりしてね」
「また、お浄土でね」
佐々木春子 満98歳
9月17日(月) 午後七時 通夜
9月18日(火) 午後一時 葬儀