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ちょい話【掲示板】

ちょっと気になる言葉(お寺の掲示板等より)

雨ニモマケズ

2020-05-14
宮沢賢治です。

「”ありがとう”と言ってくれてありがとう」

2020-05-12
何度もいろんな方にこの大ちゃんのお話しをさせていただいているので、今回は、大ちゃん10才のお話しです。
今回の話しは、この本の内容ではありませんが
  • 「”ありがとう”と言ってくれてありがとう」
      
      
      
                   ( 大ちゃん10才 ) 

 


 

何度もいろんな方にこの大ちゃんのお話しをさせていただいているので、「またか~」と思われる方も多いかと思いますし、その度に大ちゃんが9才になったり10才になったりしているかも知れませんが、どうぞお許しいただいて、今月もこの大ちゃんの言葉にお付き合い下さい。

  

何のお礼を言ってもらってるのか分からない私は、どうしてありがとうと言ってくれるのかと大ちゃんに聞き返しました。 その時の彼の返事が「”ありがとう”と言ってくれてありがとう」という言葉でした。その日、大ちゃんに対して私が「優しくしてくれて、ありがとう」と言ったのだそうです、その言葉に対してのお礼を10才の大ちゃんは言ってくれたのでした。 


   
先月、「苦悩は何一つない自殺志願者です」と仰有る方から「幸せな顔で死んでいく自信があります」とのメイルをいただきました。救われたくてメイルを書いたのではなく、「 ただ、貴方に知っておいて欲しかったのです。 私のような思いで死に向かう者もいるということを。 」と書かれてありました。そして「貴方はとても心の優しい方です。貴方がこれからもたくさんの方の救いになりますように。 」と結ばれていました。
  
この方のこのお言葉に、私は自分の傲慢さを指し示され、「ただただ恥ずかしさと申し訳なさに、うなだれるばかりです。」とお返事させていただいきました。
  
ところが、その方から思いもよらず早速のお返事が届いたのです。

 


 

批判するつもりも、何かを指摘するつもり もありませんでした。は、ただ純粋に貴方は素晴らしい方だと、 そうお伝えしたかったんです。私のメールから自分の傲慢さ に気づいたなどと言われても、私には納得がいかないのです。 そのままで受け取っては頂けなかったのでしょうか?

彼女はこう仰有います。

「人間に人間の生死を左右することなど出来ない」とおっしゃってい ましたね?仏教ではそう説いていると。 でも、貴方の言葉で救われた方は必ずいると思うのです。 貴方の言葉で、死ぬことを思い留まった方がいると思うのです。 それは、貴方の事実ではないのですか?

私はそんな貴方だからメールを出そうという気になったのです。 仏教がそう説いているというのは関係ないのではないですか? 仏教の教えの元にいらっしゃる貴方には失礼かもしれませんが、 何もかもを仏教で片付けてしまうのは、何か違うと思います。 教えとは違う事実でも、真実であることもあるのではないで しょうか? 」

 


 

これに対して、お返事で「弁解」するわけです(^^ゞ 

「私を優しいと仰有って下さるあなたのお言葉を皮肉や批判と受け取ったのではなく、とても嬉しかったのです。」と

「けれども、自分を優しい人だと言っていただいて有頂天になってる私に、仏法が、そう仰有って下さる相手の方の優しさを教えてくれるのです。 私が優しいのではなく、わたしを優しいと仰有って下さるあなたこそ優しい・・それが 仏法に知らせていただける事実というものです。」

 


 

「たとえ、あなたの仰有るように私の言葉でで死ぬことを思い留まったと仰有って下さる方がおられとしても”事実”というのはそうものをいうのでしょうか、そうではなく、私の言葉などは無数の縁の中のほんの一つにしかないというのが”事実”なのではありませんか。」

「それなのに、私は自分の力で生きていると思っているから、その無数の縁が見えない・・私の言葉を運んだメイル・・そしてメイルソフト・・コンピュータ ・・web・・それにホストコンピュータ、それぞれが縁です。私のメイラーが壊れて いたら、言葉は届かなかった・・

それよりも何よりも、相手の方がメイルを読んで、私の言葉を聞く耳を持たなか ったら、「私の言葉」は相手を殺す縁になっていたかもしれない。」

 


 

ということで、今度は、事実とは真実とはの「演説」が始まる(^^ゞ(^^ゞ

「わたしにとって仏教の教えというのは、理論じゃない、無数のご縁によって生かされて生きていることをを忘れて、また”自分が、自分が」”と飛び出す、その時に、”おいおいまた飛び出してるぞ、自分が自分がと自分の力で生きてるつもり になってるぞ、ご縁を忘れるなよ、おかげさまを思い出せよ”とイエローカードを出してくれるのが、わたしにとっての仏教です。」

「”生かされて生きてるのに 自分が自分がと自分の思いを追いかけてる”という事実だけ・・そういう私が照らし出されているという事実以外に 「真実」というものを私は知りません。」

 


 

でもって、さもしい弁解とわけの分からない演説に、それでもほんの少しの羞恥心というものを感じるとそろそろメイルを締めます。

「わたしのことをそれでも優しいと言って下さるあなたの優しさをちゃんといただきました。 そのことのみをお伝えします。」といいつつ、「あなたのような優しい人が、死にあたって、残る人のことを考えない なんてことありえません」とまたまた自分の言いたいことしか言わない・・そんな情けないメイルを送りつけたわけです。

 


 

彼女の2度目のメイルもこの同じ言葉で締めくくられてました。

最後に、敢えてもう一度言います。貴方はとても心の優しい方です。 貴方がこれからもたくさんの方の救いになりますように。

 


 

「優しいと言ってくれてありがとう、あなたの優しさが嬉しかったです」と言うだけで良かったのに・・弁解に演説、主張。大ちゃんのように「ありがとうと言ってくれてありがとう」と言えないわたし。
 
理屈を捏ねなくても、「ありがとう」の本当の意味を感覚で「感じている」大ちゃん。

 


 

「生かされていきている」という言葉を敗者の言い訳だと仰有った方がおられますが、それは、たとえば私の言葉に代表されるように頭の回線を通した言葉だからではないかと思います。

大ちゃんは「生かされて生きている」ことを身で感じている。

 


 

「生かされて生きている」という受け身の感動と、「生かされて生きている」と頭で知ることとは
全く違うんだと、大ちゃんの言葉は今も教え続けてくれています。

 


 

真知は無智なり。無智の故に

能く知らざるなし。      

        『浄土論註』

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