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「月という遠いところに着陸できるのに、地球上の問題を解決できない…」

2024-02-01
「月という遠いところに着陸できるのに、地球上の問題を解決できない…」久子さま声を震わせ平和への思い述べられる (msn.com)

おことばの中で久子さまは、無人探査機「SLIM」による月面ピンポイント着陸の成功の一方、紛争や戦争や、環境問題などがあることを挙げ、「月という遠いところに着陸できるのに、地球上の問題を解決できないのはとても悲しいことだというふうに感じました」と、声を震わせながら日本語と英語でスピーチされた。
【高円宮妃久子さま】記念植樹の場で能登半島地震の復興願う

KOBAN

2024-01-24
讀賣新聞、2024.01.24朝刊です。

横綱

2024-01-20
1940-2013 命日1月19日
facebook NHKアーカイブスさん曰く
第48代横綱・大鵬幸喜。幕内優勝32回、6場所連続優勝2回、全勝優勝8回。端正な顔立ちと圧倒的な強さで、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語も生まれ、経済成長の道を歩み始めた日本に夢と希望を与え続けた昭和の大横綱である。大鵬は太平洋戦争の際に父と生き別れ、北海道を転々としながら貧しい少年時代をすごした。「腹いっぱい飯が食えるなら」と相撲界に入ったのは16歳の時。角界一の荒稽古で知られる二所ノ関部屋の猛稽古に耐え、その素質はすぐに開花。初土俵から僅か2年8か月で十両に昇進。将来の大関・横綱候補と目された。その前に立ちはだかったのは、立ち合い一気の寄りで知られる柏戸剛だった。両者はライバルとして競い合い、昭和36年秋場所終了後、共に横綱に推挙される。「剛の柏戸、柔の大鵬」柏鵬時代の幕開けである。大鵬は以後10年間に渡り綱の権威を守り通し、前人未到の記録を残した。16歳で上京し、右も左も分からない角界にあって、「忍」の一字をモットーに「夢」を追い続けた人生が語られる。

贈ることぱ

2024-01-20
プロサッカー選手 本田圭佑氏 卒業式スピーチ「欲望を解放しろ、環境にこだわれ」|令和4年度近畿大学卒業式
ピース又吉卒業スピーチ 「バッドエンドはない、僕達は途中だ」 平成29年度近畿大学卒業式
iPS細胞研究所 山中伸弥教授 卒業スピーチ「塞翁が馬…だから人生は楽しい」平成27年度近畿大学卒業式
第26回京都賞 高校生特別授業「人間万事塞翁が馬」京都大学iPS細胞研究所所長 山中 伸弥 教授 2010

なかにし礼|人物|NHKアーカイブス

2023-12-25
あの人に会いたいFile No. 624
なかにし礼|人物|NHKアーカイブス

令和2年12月に亡くなったなかにし礼さん。恋する女性の心情を大胆な言葉で表現し昭和歌謡の黄金時代を築いた。50歳を過ぎると小説に転じ「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞した。なかにしさんは昭和13年、旧満州・現在の中国東北部生まれ。終戦後、命からがら日本に引き揚げる。20歳の時シャンソンの訳詞で評判をとり、石原裕次郎の勧めで作詞家に。次々とヒットを飛ばし、昭和45年にはレコード売り上げ上位100曲中34曲を自作が占めた。時代が平成へ移ると小説に転じ、度重なる病と闘いながら創作活動を続けた。わき上がる感情を鮮烈な言葉に置き換え、多彩な作品を残した82年の生涯だった。
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