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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

◎英豪華客船ルシタニア号を、ドイツUボートが撃沈する

2022-02-03
【20th Century Chronicle 1915(t4)年】-2
◎英豪華客船ルシタニア号を、ドイツUボートが撃沈する
*1915.5.7/ 英豪華客船「ルシタニア号」が、ドイツUボートにより撃沈される。
 第1次世界大戦のさなか、イギリスの豪華客船「ルシタニア号」が、米ニューヨークから大西洋を横断し、英リバプールに向かって航行中、1915年5月7日アイルランド沖で、ドイツの潜水艦Uボートによって無警告で撃沈され、1,198人が犠牲となった。ドイツ政府はこの年の2月に、英仏による海上封鎖に対抗して、イギリス周辺海域を「戦争区域」と指定し、区域内を航行する敵側商船は、予告なしに潜水艦が水雷攻撃をおこなうという「無制限潜水艦作戦」を宣言していた。
 ルシタニア号の犠牲者の中には128名のアメリカ人が含まれており、米国国民などから非難の声が大きくなった。イギリスも米に、ドイツに対して宣戦布告するように働きかけたが、モンロー主義で対外的に係わりを避ける政策を維持する米国大統領ウッドロー・ウィルソンは、強硬な抗議をするにとどめ、参戦は思い止まった。
 ドイツも、米や他の中立国などの国際的非難を受けて、無制限潜水艦作戦を一時中止した。しかしその後、陸上戦が膠着し長期化が必至となってくると、戦局を打開するため、1917年2月に無制限潜水艦作戦を再開した。
 同時期に、ドイツがメキシコを隣国アメリカに宣戦させる、という秘密工作が発覚した「ツィンメルマン電報事件」などもあり、この4月にやっとアメリカの本格参戦が成った。これを契機に、第1次大戦は名実ともに「世界大戦」となり、戦局も最終局面へと転回する。
 ルシタニア号撃沈の非難に対し、軍事目的の武器や弾薬を積んでいたとして、ドイツは攻撃の正当性を主張した。沈没時の大爆発が、積み荷の爆薬のせいだという説もあるが、その後の潜水調査では確たる証拠は得られていない。しかし、のちに英国政府が、船の残骸を爆雷で破壊し尽くそうとしたり、民間の潜水調査を法的に妨害しているという話もある。いずれにせよ、その真相はいまだ不明だと言う。
(この年の出来事)
*1915.4.22/ ドイツ軍、西部戦線で「毒ガス」使用。のどをかきむしり、バタバタ窒息死。
*1915.10.24/ 英国はメッカ太守フサインとの間で、「フサイン・マクマホン協定」を結ぶ。
*1915.11.10/ 大正天皇即位の礼、京都御所紫宸殿で行われる。

良きライバル三島由紀夫氏は、石原氏に苦言を呈しました。

2022-02-02

Facebook 中村信一さん曰く


石原慎太郎氏は、嘗て自民党にいながら自民党執行部を批判した事が有りました。良きライバル三島由紀夫氏は、石原氏に苦言を呈しました。
 ■三島由紀夫氏
「藩に属し、主君に仕えるサムライはどんなことがあろうが、自分のいる組織を批判などしなかったが、石原慎太郎にはそういった潔さがない」
 ■石原慎太郎氏
「江戸時代の藩と現代の政党はまったく機能も成り立ちも異なるし、政党などは政治を行うための手段に過ぎないのだから、理想的な政治を遂行するために政党を利用するのは政治家として当たり前のことだ」
三島由紀夫氏は、理想と志しは完璧主義者。
石原慎太郎氏は、現実に対応する柔軟性が有りました。
今頃、御二人は久方ぶりの酒を酌み交わしながら、お人好し自国を憂いていらしゃるでしょう。
Yoshio Kusaka

石原慎太郎氏が死去 89歳 東京都知事や運輸相など歴任 | 訃報

2022-02-01
【動画】石原慎太郎氏 これまでの歩みは | 訃報

●2021年全戦没者追弔法会 記念講演

2022-01-25
●講題 「日常に潜む戦争」

●講師 真城 義麿氏(四国教区東予組善照寺住職)

https://youtu.be/XCl-ckGBcv0

◎タイタニック号沈没

2022-01-28
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【20th Century Chronicle 1912(m45/t1)年】-2
◎タイタニック号沈没
*1912.4.14/ 豪華客船タイタニック号、死の処女航海。ニューファンドランド沖で氷山に激突、1513人が犠牲に。
 就航当時、不沈客船と言われた「タイタニック号」は、1912年4月10日、英サウサンプトンから米ニューヨークに向け、2224人の乗客・乗員を乗せて処女航海に出航した。当時も今も、北大西洋航路は世界最大の花形航路、イギリスのホワイト・スターライン社は、大きさも豪華さも世界最高峰のタイタニックを投入して、大西洋航路の女王となる筈であった。
 しかし、5日目の4月14日、北米大陸ニューファンドランドの沖合を航行中に氷山に接触し、事故が起きてから2時間40分後の翌4月15日の2時20分に沈没し、1,500人以上が亡くなった。これは1912年当時、死者数の最大の海難事故となった。
 タイタニック号は1,000人以上の乗客とクルーを乗せたまま沈み、氷点下の海に落ちたり飛び込んだりした人のほとんどが、数分後に低体温症により溺死したとされる。この災害は、救命ボートの不足、規則の緩さ、旅客等級による避難時の扱いの不平等さについて、事件後、多く批判を浴びた。
 タイタニックは、イギリスのホワイト・スター・ライン社が、ドル箱であった北大西洋航路用に3隻の同型豪華客船として計画され、第1番の「オリンピック号」に次ぐ2番目の姉妹船として就航した。トーマス・アンドリューズ設計で完成されたが、彼自身タイタニックの処女航海に同乗し、沈没時に運命を共にすることになる。
 最新の科学技術の粋を集めた新鋭豪華客船の大事故は、近代科学技術文明の進歩に楽観的だった当時の欧米社会に大きな衝撃を与えた。世界的な流れでも、帝国主義列強による植民地争奪戦に加えて、植民地での民族自立というナショナリズムの勃興期でもあり、それは第1次、第2次大戦を通じて、近代から現代への転換の時期に差し掛かっていた。その意味で、タイタニックの悲劇は、近代への疑問を象徴するパラダイム変換を示す事故でもあった。
 2,000人もが乗った船が2時間余りで沈没するという事故は、その中で起きるパニックと、それに直面した人間模様を絵描くには好適な対象であったため、その後、何度も映画やドラマやドキュメンタリーとして取上げられた。近年では、「タイタニック "Titanic"」(ジェームズ・キャメロン/米1997)が大ヒットした。
 これは、ドーソン(レオナルド・ディカプリオ)とローズ(ケイト・ウィンスレット)のラブロマンスが、タイタニック沈没のスぺクタクル・パニックを背景に描かれる。二人の世界は、ロミオとジュリエットの悲恋が下敷きにあるので、視聴者には無意識に受け容れられ、ヒットにつながったと思われる。
(この年の出来事)
*1912.1.17/ 英国スコット隊、南極点に到達するも、帰路に遭難。アムンゼン隊に先を越され、失意のうちの悲劇となった。
*1912.3.1/ 憲法学者美濃部達吉が「憲法講話」で、「天皇機関説」を発表。天皇機関説論争が始まる。
*1912.6.29/ 第5回オリンピック・ストックホルム大会開催、日本は初出場。
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