闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
NHK大河ドラマですべては描かれない…3代将軍・源実朝を殺害した犯人のヤバすぎる動機
2022-09-12
後白河法皇寿像
濱田 浩一郎 - 昨日 18:15
歴史学者が考える実朝殺害事件の黒幕
幕府の3代将軍・実朝が鎌倉の鶴岡八幡宮で殺害されたのは、建保7年1月27日(1219年2月13日)の夜ことであった。享年28。
実朝を殺害したのは、鶴岡八幡宮寺別当の公暁。2代将軍・頼家の子であり、実朝(頼家の弟)とは甥・叔父の関係にあたる。
公暁の父・頼家は、実朝を擁する鎌倉北条氏の手によって、権力の座から引きずり下ろされ、最後には殺害された。これを恨みに思っていた公暁が、実朝を親の仇として殺害したとされている。
鎌倉時代初期の史論書『愚管抄』には殺害の際に「親の仇はこのように討つのだ」、『吾妻鏡』(鎌倉時代後期編纂の歴史書)には「父の敵を討つ」との公暁の「肉声」が記されている。
私は公暁には親の仇を討つ以外にも目的があったと思っているが、それについては後述するとして、実朝暗殺には黒幕、つまり「真犯人」がいるとこれまで主張されてきた。
歴史学者から最も疑われてきたのが、北条義時だ。北条氏が実権を握りたいがために、公暁を操って実朝を殺害させたという。