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オリンピック

【 TOKYO2020の記録】

今夜の #パラリンピック 開会式に向けて行われた #ブルーインパルス による展示飛行の様子

2021-08-25
Facebook ホテルニューオータニ さん曰く
今夜の #パラリンピック 開会式に向けて行われた #ブルーインパルス による展示飛行の様子をホテルからお届けいたします。
オリンピックに引き続き素晴らしい大会となりますように。
2枚目は、パラリンピックのシンボル「スリーアギトス」を描いた様子です。

パラリンピック展示飛行の予行が行われました!

2021-08-24
Facebook ホテルニューオータニ Hotel New Otani Tokyoさん曰く
本日 #ブルーインパルス によるパラリンピック展示飛行の予行が行われました!
本番飛行は8月24日(火)の予定となっております
Facebook 毎日新聞映像グループさん曰く
航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が22日午後、東京パラリンピック開会式の24日の予行として、東京都心を飛んだ。白いスモークでラインを引きながら、都内を周回した。ブルーインパルスは、埼玉県の入間基地を出発。午後2時ごろから都心をフライトした。本番ではカラースモークを使い、パラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」に使われる赤、青、緑の線を引く予定だ。【撮影・岩下幸一郎、渡部直樹、写真は宮武祐希、手塚耕一郎、記事は共同】2021年8月22日公開  

隅田川上空を通過する青い衝撃。咄嗟のiPhone撮影でギリギリゲットでした。

2021-08-23
Facebook いのまた 一大さん曰く

翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が・・・・。

2021-08-23
リオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害者女子マラソン銀メダリスト、道下美里選手(左)の伴走をされる天皇陛下
© 時事通信 提供=2018年6月、東京都港区の赤坂御用地(宮内庁提供)

これを契機に、翌65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が毎年、全国各地で開かれるようになり、上皇ご夫妻はほぼ毎回出席。平成の初めに当時皇太子だった天皇陛下が引き継ぎ、令和になって秋篠宮ご夫妻が継承した。

 上皇さまは退位前最後の記者会見(2018年12月)で「障害者自身がスポーツを楽しみ、それを見る人も楽しむスポーツとなることを願ってきました。パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います」と語った。

 上皇さまの障害者への思いは天皇陛下にも継承されている。陛下は18年6月、赤坂御用地で、視覚障害者女子マラソンの道下美里選手(44)の伴走を行った。

 リオデジャネイロ大会銀メダリストで、今大会にも出場する道下選手は、17年秋の園遊会に招かれた際、陛下に一緒に走ることを提案。陛下がパラリンピック競技について「私自身も理解するいい機会」と快諾し実現した。陛下は書物や動画を見て事前に準備し、約2.3キロにわたり声を掛けながら道下選手をリードした。

 日比野教授は「皇室の支えもあり、障害者に対する国民の意識は変わってきている。今大会が、さらに広く国民のその意識を変化させるものになってほしい」と期待を寄せている。

1964年の東京大会が、日本の障害者スポーツの夜明けとも言える転換点だった。

2021-08-23
東京パラリンピックの開会式に出席された上皇ご夫妻。当時皇太子だった上皇さまは大会の名誉総裁を務めた
© 時事通信 提供 =1964年11月、東京・代々木

天皇陛下が名誉総裁を務められる24日開幕の東京パラリンピック。歴史をひもとけば57年前、当時皇太子だった上皇さまが名誉総裁を務めた1964年の東京大会が、日本の障害者スポーツの夜明けとも言える転換点だった。

 東京五輪・パラリンピック組織委の理事で、障害者スポーツの歴史に詳しい日比野暢子・桐蔭横浜大教授(スポーツ政策学)は、64年大会を「関係者の意識を変えた大会」と位置付ける。

 64年11月8日に開幕した大会は、第1部の国際大会、第2部の国内大会で計7日間行われた。上皇さまは国内大会の開会式で「わが国ではなお不十分といわれる身体障害者に対する正しい理解を深め、関心を強めるため非常に良い機会であると思います」とあいさつ。大会後、関係者をねぎらった場で「このような大会を国内でも毎年行ってもらいたい」と述べた。

【 冬季オリンピックの巻】

北京2020

2022-02-06

#Beijing2022 #TEAMJAPAN HIGHLIGHTS 今回は1/29(土)〜2/4(金)の間に行われた競技などの様子を振り返ります
やったぜ!!
“世界の教科書”は、ついに頂上を極めました。
夢は実現しました!
悔しさ残る銀メダルとなりました。

本当にありがとうございました

2022-02-21
日本選手団は、スピードスケート女子の郷亜里砂が開会式に続いて旗手を務めた。

Facebook Team JAPANさん曰く


 
先ほど行われた閉会式をもって #Beijing2022 は閉幕
大会期間中 日本から #TEAMJAPAN を応援してくださったみなさん、
本当にありがとうございました

北京五輪閉幕に際しての談話

2022-02-21
ノルディックスキー・ジャンプ混合団体の1回目が失格となり、涙を見せる高梨沙羅(中央)=7日、中国・張家口

Facebook 時事通信社さん曰く


ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅が20日、北京五輪閉幕に際しての談話を日本オリンピック委員会を通じて発表しました。
高梨「前進したい」 五輪閉幕でコメント〔五輪・スキージャンプ〕

ノルディックスキー・ジャンプ女子の高梨沙羅(クラレ)が20日、北京五輪閉幕に際しての談話を日本オリンピック委員会(JOC)を通じて発表し、「応援してくださる全ての方々を失望させる結果になったが、選手やチーム同士、関係者、たくさんの方々が純粋に喜び合えるスキージャンプという素晴らしい競技の場に立つために、現状を鑑みて前進していきたい」と前向きにコメントした。

〔写真特集〕スキー女子ジャンプ 高梨沙羅

 高梨は5日の個人ノーマルヒルで4位。7日の混合団体は1回目にスーツの規定違反で失格し、日本は4位となった。謝罪のコメントを記したインスタグラムの投稿には、多くの励ましの返信が寄せられた。
 高梨は「最後の最後まで支え続けてくれたチームメートとスタッフの方々、温かく優しい言葉で励ましてくれた各国・地域の選手・スタッフ、皆さんに本当に助けられた」と感謝の意を示した。
 ジャンプ女子のワールドカップ(W杯)は25日にオーストリアで再開する。 (時事)

北京五輪のジャンプ混合団体2回目の飛躍後、日本チームを見守る高梨沙羅=中国・張家口(2022年02月07日) 【時事通信社】

こうした話が美談として語る必要のない“環境整備”が必要だ!!

2022-02-22
高木姉妹、スケートの場合・・・。 「週刊文春」編集部 2022/02/21 11:55
© 文春オンライン 北京五輪での高木美帆 ©JMPA
高木菜那・美帆姉妹を新聞配達、レジ打ちで支えた母「お金の苦労は確かにあったけど…」笑顔で続けた“さすがの一言”

 昨夜閉幕した北京オリンピック。日本は金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル9個と冬季オリンピック史上最多となる18個ものメダルを獲得した。2大会連続での記録更新となった。

 ただ、夏のオリンピック競技に比べて、冬季競技は厳しい競技環境にある。用具や練習、遠征にかかる費用も高額だ。選手たちの活躍は、家族の支えがあってこそだった。日本女子史上最多となるメダル7個を獲得した高木美帆、その姉で今回、銀メダルを獲得した菜那の姉妹も例外ではない。平昌五輪の際、高木姉妹の家族たちのサポートを報じた記事を再公開する。(初出:週刊文春 2018年3月8日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)

高木姉妹を支え続けた「両親の献身」

 活躍は両親の献身なしには考えられないと、一家の知人は語る。

「父の愛徳(よしのり)さんは会社勤め、母の美佐子さんも美帆ちゃんが幼稚園の頃に新聞販売店の託児所に預けて、新聞配達を始めました。スーパーのレジ打ちと掛け持ちしている時期も長かった。お兄さんも含めて子ども三人がスケートをやっていましたから、走るように歩く、いつもそんな感じで忙しそうでした。でも笑顔を絶やさない素敵な人なんです」

「お金の苦労はですね、確かにありました(笑)。でもそれを苦労だと思ったことは、一度もないんです」

子供たちも中学に上がると母の新聞配達を手伝った。

「早朝に新聞を配って、それからトレーニングを兼ねて高校まで自転車で通っていました。お正月はお父さんも一緒になって配っていましたよ」(近所の人)

 妹の美帆は中学生でバンクーバー五輪出場を果たし、注目を集めたが、決して天狗になることはなかった。姉妹が小学生の頃から通った「高橋まんじゅう屋」の高橋美哉さんが語る。

「美帆ちゃんが高校三年生の夏休みですね。私が体調悪くしていたら、『三日間オフがあるから、何かお手伝いできることありますか?』って。お金ほしいとかそういうことじゃなくてね。働いていても、常に目が動いてて、他の人の動きを見て判断してる。美帆ちゃんの場合は一個言ったら十わかる。普通の子なら一カ月かかるような仕事を三日ですぐ覚えて。計算も一度も間違えなかった」

 姉の菜那は高校卒業後、スピードスケートの名門・日本電産サンキョーに就職した。帰省した際、家族ぐるみで交流のあった「竹葉寿司」に一家で出かけた。

「もう胸いっぱいという感じで、お鮨も喉通らない(笑)」

「菜那ちゃんが食べる前に『今日は私が払うから』って言ったもんだから、お父さんはもう胸いっぱいという感じで、お鮨も喉通らないみたいだったね(笑)」(店主の杉山雪男さん)

 姉妹がスケートを始めるきっかけを作った兄の大輔さんは語る。

「スケートってすごくお金かかる競技なので、両親は大変な思いをしたと思います。前々から両親にメダルをかけたい、いろんな方に恩返ししたいって言っていました」

 娘たちの快挙達成を、母の美佐子さんは笑顔でこう振り返る。

「お金の苦労はですね、確かにありました(笑)。でもそれを苦労だと思ったことは、一度もないんです」

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2018年3月8日号)

NHK | 【閉会式・総集編】17日間に渡った冬のスポーツの祭典が閉幕。

2022-02-21
チャン・イーモウさんが演出の総監督。日本の旗手は郷亜里砂選手 | 北京オリンピック
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