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闘いの記録 (戦争と人間)

戦争に利用された五輪選手「決死隊で突撃死」(2021年8月15日)

2022-08-04
 終戦から15日で76年です。戦時中はたくさんのオリンピック選手が戦場に駆り出されました。その死は華々しく伝えられ、戦意高揚のために使われていました。
8月、戦争の記憶を語り継ぐための展示会が大阪で開かれました。  
その一角に、一足の革のスパイクがありました。
持ち主は、慶応大学競走部の鈴木聞多選手です。
1936年のベルリンオリンピックに出場した陸上短距離界のホープでした。
鈴木選手は、1939年に中国で戦死しました。  
埼玉県川島町に、鈴木選手の墓があります。
墓石にはこう刻まれています。
「皇国青年ノ士気ヲ昂揚ス」。  
鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「もともとオリンピック選手ということで、ほかの兵士たちに気力を与えるということでほかの兵隊に士気をあげるようなことも書いてある」  
鈴木選手の死は、国民にこう伝えられました。  
「陸上の鈴木選手 壮烈な戦死」  
「決死隊の先頭 身に数弾・折れた軍刀杖に突撃」  
軍は、鈴木選手の死すらも利用していたのです。  
鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「聞多がベルリンオリンピックで使用しています。若干縮んでいると思いますよ」
「(Q.日の丸がついてるんですね)そうですね、日本代表ですので、オリンピックは誰でも出られる競技でないので昔であれ現在であれ栄光なことで」  
大切なユニフォームは鈴木選手が生まれ育った家で80年以上もの間、保管されていました。  
鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「うんと駆けることが好きで、なによりも好きだったということで」「この集まりの写真には写っていないよ、なんで?と、練習に行っていたから親族の集まりには来なかったんだよと」  
鈴木選手は大学在学中に国際大会でも優勝し、頭角を現します。
100mで10秒6を記録し、当時の世界記録にあと0秒3に迫りました。  
「活躍した我が選手 来年のオリンピックに備へよ」  
「五カ国対抗陸上競技 百米では鈴木君が見事なスタートで他を引き離し堂々優勝した。
満場の観衆は鈴木君に拍手を送り応援の日本人は狂喜した」  
鈴木選手は国民の大きな期待を背負ってベルリンオリンピックに臨みます。
しかし・・・極度の緊張から100mは予選落ち。
400mリレーは自らのミスで失格となりました。
レース後、こう書き残しています。  
「惨めな敗者として終わってしまいました」  
「何を以て御詫び致すべきかその術さえ知らざるものであります」  
次のオリンピックは、東京で開かれる予定でした。
鈴木選手はそこでの雪辱を誓います。
しかし、その思いとは裏腹に、日中戦争が勃発し、東京大会は中止となりました。  
鈴木選手は雪辱を果たす舞台を奪われました。
失意の中で選んだ道は、軍に身を投じることでした。
なぜだったのでしょうか。  
鈴木選手の親族・鈴木隆之さん:「次のオリンピックで挽回しようとすごい意気込みがあったと思う」「でも後に東京オリンピックは開催されないことになったので、挽回先を戦争、国に捧げるというかたちで志願に近いのではないかなと」  
陸軍に入隊した鈴木選手はまず、北海道旭川市で訓練の日々を過ごします。
その後、満州と日本を行き来する間に家族に送った手紙が残されていました。
亡くなるまでの1年半の間に、30通を超えます。  
「きのう、入隊式が行われました。雪中の駆足は相当体にこたえますが如何なる事がありとも必ず立派な成績を得る為元気でやります」  そこには、若者の等身大の姿も記されていました。  
「ガーガーなる蓄音機でレコードを聞きながら二等兵の眼の中でアンパンを買って来て食べました。ビクビクしながらもこれが又唯一の楽しみです」  
「一寸(ちょっと)の暇に煙草をつけて雑談になれば直ぐに正月の休暇の話です。外出ができない我々ですから、四か月も先の休暇の話でせめてもの慰め(なぐさめ)にしているのは無理もありません」  
入隊から1年あまり後、鈴木選手は最前線の中国内陸部への出陣を命じられます。家族には、悲痛な決意を書き残していました。  
「再度逢えぬは覚悟して居ますので一寸でもお逢い出来る事を望んではおります」  
一方で、オリンピック選手の出征は国民に華々しく伝えられました。  
「部隊の誇り“快速”戦線の鈴木聞多選手」  
「これは誰あろう我が陸上界の名スプリンター」  
「鈴木君も今は時局の脚光を浴びて帝国の立派な干城となって颯爽と第一線に進撃している」  
「スポーツで鍛えたガッチリした体躯に伝家の宝刀を腰に吊り兵隊を指揮叱咤するあたりどうして堂々たるものだ」  
鈴木選手が練習していた慶応大学のグラウンドは、80年以上経った今も横浜市港北区の同じ場所にあります。  
慶応大学競走部2年・十種競技・斎藤恒さん(22):「名前があんまりピンと来なかったんですけど、競走部の合宿所で一度名前を賞状で見たような気がしてっていうくらいの認識でした」  
慶応大学競走部3年・マネージャー・原田莉々子さん(20):「自分がスポーツを通して成長したい」「けどさすがにお国のためにという考えには普通に生活しているとならないのが現状」  
慶応大学競走部4年・走り幅跳び・酒井由吾さん(22):「陸上が好きでやっていますし、自分の競技の結果が国の成果に利用されるというのは考える機会がなかったので、まさかそういう時代があったとも思わないのでここで走れることが当たり前ではないということに改めて気づかされた」  
戦場からも、鈴木選手と家族との手紙のやりとりは続きました。
 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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