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ちょい話【et cetera】

ちょっといい話

雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子

2024-03-24
NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。主人公・常子のモデルとなったのが、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子。敗戦の翌年、人並み外れた好奇心と度胸を武器に、‘女の人をしあわせにする雑誌をつくりたい’と出版社を立ち上げ、人々の生活に大きな影響を与えた。また、その豊かな感性から生まれる柔らかなエッセイを数多く記し、多くの女性の‘社会を見る目’を育む一端を担った。大正9年、東京の麹町生まれ。2人の妹も生まれ、家族5人でつつましくも幸せに暮らす。しかし昭和5年、父の結核が悪化、他界。父の最期の言葉「鎭子は一番大きいのだから、母を助けて妹たちの面倒をみてあげなさい」を受け、「とと姉ちゃん=父親代わりの姉として生きていく」と決意する。当時10歳。‘女だけの大橋家がどうやって生き抜くか’が最大課題となる。高女時代から類い希なる行動力と観察眼を発揮し、歯磨き粉を発売するなど、豊かな発想力を具現化する。昭和21年26歳の時に、天才と謳われた名編集者・花森安治とともに、後に『暮しの手帖』となる雑誌『スタイルブック』を創刊。「自分の暮らしを大切にすれば戦争は起きない??」という花森の信念に寄り添い、「つつましくも、おしゃれな生活」を提唱する雑誌を育てる一方で、編集者としての直感も持ち続けた。「自分の知らないことを調べて出版したら、女性が読んでくれるんじゃないか?」‘普通の人々’の視点を忘れることなく、‘等身大に生きる喜び’を伝え続けた大橋鎭子。「女の人を幸せにしたい」と願い続けた。
Archived by NHK
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