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◎黒沢明監督「羅生門」 ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞

2022-04-20

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1951(s26)年】-5
◎黒沢明監督「羅生門」 ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞
*1951.9.10/ 第12回ベネチア国際映画祭で、黒沢明監督の「羅生門」がグランプリを獲得する。
 黒沢明は戦前に東宝に入社し、すでに新進監督として頭角を顕していたが、戦後GHQによる民主化政策のなかで、連合国軍も乗り出すほどの東宝労働争議が勃発、映画が撮れなくなった黒沢らは組合から離脱して他社で映画製作を行っていた。脚本家橋本忍が、芥川龍之介の短編小説「藪の中」を脚色した作品を温めており、その脚本を入手した黒沢は、当時大映のワンマン社長として知られた永田ラッパこと永田雅一に直接掛け合い、撮影にこぎつけた。
 撮影は大映京都撮影所で行われ、冒頭シーンには、撮影所前に原寸大の巨大な「羅生門」のオープンセットが建設されたが、これ以外の森の中での出来事シーンはほとんどがロケで行われた。1950年8月に完成、試写会が行われたが、永田社長は「こんな映画、訳分からん」と言って途中で席を立ったという。その難解なストーリー仕立てから、国内公開での評価は不評で興行収入も芳しくなかった。
 ベネチア国際映画祭とカンヌ国際映画祭から日本に出品招請状が送られてきていたが、当時の映画会社には出展費用を捻出する余裕さえなかった。カンヌ国際映画祭に出展応募する作品はなく、ベネチア国際映画祭にも、出展作を探す依頼を受けていたイタリア映画会社の社長が、たまたま「羅生門」を観て感激、自費で出展させるという状況であったという。
 翌年9月、ベネチア国際映画祭で上映されるや否や大絶賛を受け、金獅子賞を獲得した。しかし日本の製作関係者は一人も映画祭に参加しておらず、たまたま街にいたベトナム人男性に代わりにトロフィーを授与、この人物が黒沢本人だと誤解される一幕もあったらしい。
 黒沢自身は、作品が映画祭に送られたこと自体も知らず、受賞のことは妻の報告で知った。永田ワンマン社長は、受賞の報を聞き「グランプリって何や?」と言ったが、その後手のひらを返したように芸術大作路線に転じ、大映作品は次々と海外映画祭で受賞することになる。
 映画は「羅生門」というタイトルではあるが、芥川龍之介の「羅生門」は冒頭シーンで追加されただけで、同じ芥川の「藪の中」に沿って物語は展開される。森の中で起こる殺人事件について、様々な関係者が登場してそれぞれ食い違う証言をするという展開で、真実は明らかにならない。「真実は藪の中」という言い回しは、この芥川の小説から来ている。
 当時まだ米軍占領下にあり、政治経済のみならず、文化・スポーツなど社会面でも敗戦によって打ちひしがれていた日本人には、競泳で世界最高記録を樹立した古橋広之進、日本人最初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とならんで、黒沢「羅生門」のグランプリ受賞は、大きな自信と希望を与える出来事であった。
 なお平安京の朱雀大路南端、都の出入り口に築かれた門は「羅城門(らじょうもん)」と表記されるが、「羅生門(らせいもん/らしょうもん)」の表記も併用される。現在はその跡地にある小公園に、石碑が一本建てられているのみである。
(この年の出来事)
*1951.6.20/ 政府は公職追放されていた石橋湛山など、7万人の第1次追放解除を発表、8.6には、鳩山一郎・岸信介など1万4千人が第2次追放解除となる。
*1951.10.16/ 共産党第5回全国協議会が開催され、「51年テーゼ」が採択される。これにより、主流派主張の武装闘争を打ち出し、極左冒険主義路線を歩む。
*1951.10.24/ 社会党が第8回臨時党大会で、講和・安保両条約をめぐって左派と右派に分裂する。

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喜びも悲しみも幾歳月 

2022-04-18

喜びも悲しみも幾年月 / カバー:美空ひばり (オリジナル:若山彰)

歌唱:若山彰 (1957)  作詞:木下忠司  作曲:木下忠司


喜びも悲しみも幾歳月 - Wikipedia
灯台守夫婦を演じる高峰秀子、佐田啓二
喜びも悲しみも幾歳月 - Wikipedia

喜びも悲しみも幾歳月
(よろこびもかなしみもいくとしつき)は、1957年松竹が制作・公開した木下惠介監督の映画作品である。

中井貴恵 女優

2022-04-17
父は俳優の佐田啓二
Facebook 岡田 律  さん曰く

中井貴恵         女優
57年      東京都 田園調布出身
中井貴一の姉として知られますが77年の東宝 『女王蜂』のヒロインとして先にデビューしてます。
やはり気品がありますね、そのイメージを払拭するためか東映の人生劇場でヌードに、驚きました。
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