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あの人 この人

あの人

昼顔ではありません、朝顔です。

2021-01-12
© 日刊スポーツ新聞社 ドラマ「監察医 朝顔」の制作発表に出席した上野樹里(2020年10月24日撮影)

いいじゃないの幸せならば

2021-01-11
相良直美
Facebook戦後史の激動



今日は佐良直美さん(1945年1月10日~)の誕生日です。
おめでとうございます。
『いいじゃないの幸せならば』で第11回日本レコード大賞を受賞しました。
第9回大賞では新人賞も獲得しており、
新人賞・大賞と2つを受賞したのは当時の女性歌手としてはじめての快挙でした。
https://sengoshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-10

植木等VS加藤茶 良き昭和の象徴的BIG2共演

2021-01-10
Facebook小林知茂さんの投稿

松田トシ先生、一押しです!

2021-01-08
音域は、上下2オクターブ・・・。
夜のヒッスタジオ記念パーティにて、左端!
Facebook永井由紀夫より
――デビュー当時は歌唱力もクローズアップされていましたよね?
 そんなことなかったですよ。16歳でしたし、歌唱力がどうこうというのは、なかったと思います。ただ、音響スタッフさんに「声が大きいですね」と言われたことはありましたけれど(笑)。当時は、浅田美代子さんと同じ事務所だったので、美代子さんの前歌とか歌っていたんですけれど、美代子さんの声にマイクのレベルを合わせていたみたいで、私が歌ったらメーターが振り切ってしまったみたいなんです(笑)。
――もともと声量があったんですね。
 小学2年生から合唱団に入っていたので、そこで鍛えられたのかもしれないですね。
――岩崎さんは最初アイドルとしてデビューされたのでしょうか。
 どうなんだろう? 自覚はありませんが、アイドル全盛の時代だから、私もそうだったのかも知れないですね。森昌子さんを見て私も歌手になりたいと思いましたし、同期には太田裕美さんがいました。岡田奈々さんや伊藤咲子さんや、ちょうど私がデビューした時代から子どもたちが芸能界に増えた時期だったんです。それが昭和48年から50年ぐらいでした。
――そして、デビュー曲が筒美京平さんの「二重唱(デュエット)」なのですが、筒美京平さんの曲でデビューすることが決まった時は、どんなお気持ちだったのでしょうか。
 私は南沙織さんのファンだったので、歌本などで筒美先生のお名前は知っていました。レコード会社が決まった時に、スタッフから「君のデビュー曲は阿久悠、そして筒美京平だよ」と聞いた時は、本当に嬉しかったですね。
――たくさん作家さんがいる中で、岩崎さんが好きな南沙織さんの楽曲を手掛ける筒美京平さんにデビュー曲を書いてもらえたというのはすごいですね。
 私はなんて運が強いんだろう、と思いました。

大友柳太郎  Facebook小林知茂さんの投稿

2021-01-08
戦前は美剣士スター 戦後はしばらく脇役 昭和30年頃から豪快な美丈夫
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