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あの人 この人

あの人

正統派(?)は、こちら?

2020-12-02
ジャッキー吉川
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」は、すでにバックバンドとして活躍していたが、ボーカルの井上忠夫をむかえて再編成、メロディーやハーモニーを重視した歌唱グループとして大ヒットした。メンバーは短髪でスーツ姿でステージをつとめ、GS=長髪=不良というイメージから免れたため、NHK紅白に連続出場を許されたが、もともとのムード歌謡路線にシフトしていった。
ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトー」 https://www.youtube.com/watch?v=jzRphgmA4J8

元祖は、こちらです。

2020-12-02
寺内タケシ
ブルージーンズの1964年での初のコンサートでは、なんとベンチャーズが前座をつとめるほどのメジャーであった。
【20th Century Chronicle 1967年(s42)】
◎グループサウンズがブームの頂点に ザ・タイガースがデビュー
*1967.2.5/ グループサウンズのザ・タイガースが、この日発売のシングル「僕のマリー」でデビューする。
 それまで一般の若者が楽器をいじる機会は、プロのバンドに属したバンドボーイやハワイアンの素人バンドぐらいしかなかった。そこへ、ベンチャーズに続くビートルズの来日で、エレキギター・ブームが一気に爆発した。街中ではもちろん、田舎のにーちゃんまでもが、空き部屋や農家の納屋などでジャカジャカやりだした。
 当初はベンチャーズの影響が濃く、エレクトリック・ギターにドラムスなどのインスツルメンツ・バンドが主だったが、ビートルズブームが爆発すると、それにヴォーカルを加えたヴォーカル・アンド・インストルメンタル・グループが主流となった。それこそあちこちで、雨後のタケノコのように素人バンドが誕生した。自らが作詞作曲も手がけ、音楽事務所にも所属しない素人集団が、いきなりテレビに登場したりして、それらのバンドグループは、いつしか「グループサウンズ(GS)」と呼ばれるようになった。
 何よりもエレクトリック・ギター(略称エレキ)の登場が画期的で、一躍エレキギターのブームを引き起こしたベンチャーズの影響で、元祖GSの一角をになった「寺内タケシとブルージーンズ」が登場した。テレビ出演でベンチャーズのヒットナンバーを披露することが多く、そのコピーバンドかと思われていたが、ブルージーンズの1964年での初のコンサートでは、なんとベンチャーズが前座をつとめるほどのメジャーであった。
寺内タケシ&ブルージーンズ「ベンチャーズメドレー」 https://www.youtube.com/watch?v=KDqC6rEacrU

「お笑い三人組」

2020-12-02
江戸家猫八、一竜斉貞鳳、三遊亭小金馬の三人 が、東京の下町を舞台に活躍するコメディ
Facebook水沢芯さんより

お正月写真の必須アイテムといえば、羽子板です。

2020-12-02
名花たちの初詣、1957(昭和32)年…左から白川由美さん 司葉子さん 岡田茉莉子さん 八千草薫さん 青山京子さん
Facebook永井由紀夫さんより

噂の二人です。

2020-12-02
サルトルとボーボアール
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1966年(s41)】
◎サルトルとボーヴォワール 来日
*1966.9.18/ フランスの実存主義哲学者サルトルとボーボワールが来日する。
 この時期、戦後の実存主義ブームも下火になり、構造主義からの批判にもさらされていた。そしてサルトルは、「アンガージュマン」(政治・社会 積極参加)を唱えて左傾化していた。しかし来日時には、そういう事情にうとい日本のインテリ層には大歓迎された。
 同伴者として来日したボーヴォワールは、代表作『第二の性』で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言し、昨今のジェンダー論の先駆ともされる。サルトルとは「契約結婚」という前衛的な関係を結んだが、その後もサルトルの死までの50年間「同伴者」として歩むことになる。
 若きサルトルはサン=ジェルマン=デ=プレのカフェで、ボーヴォワールに「このコップ一杯の水からも哲学ができるんだよ」といって、彼女のナンパに成功したという話が、私の頭の中にでき上っている。実質、サルトルはボーヴォワールを「都合のよい愛人」として扱っていたのではないかという疑念がある。そしてボーヴォワールも、思想的にはフェミニズムの旗手であるにも関わらず、サルトルには「女」として従っていたのではないかと思われる。
(この年の出来事)
*1966.4.4/ NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の放映が開始され、平均視聴率50%を記録する。
*1966.4.20/ 日産自動車とプリンス自動車工業が合併、自動車業界の再編成が始まる。
*1966.9.3/ 荒船清十郎運輸相が、自分の選挙区に急行を停車させるように国鉄に指示したとして、国会で追及され辞任に追い込まれる。
*1966.11.13/ 全日空のYS11型機が、愛媛県松山空港への着陸に失敗して海上に墜落、50名が死亡する。(戦後初の国産機事故)
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