闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
立命館大学と溥儀
2021-05-20
【衣笠キャンパス】
1965年(昭和40年)から広小路キャンパスからの移転が始まり、1981年(昭和56年)に完全に移転が完了しました。
この衣笠キャンパスは、大清国第12代にして最後の皇帝愛新覚羅溥儀の寄付により作られたものです。
1939年、溥儀は立命館に50万円という大金を寄付する。
立命館は、寄付金のうち20万円で立命館日満高等工科学校の敷地として衣笠の土地を購入し、残りの30万円を学舎の建設費や設備費などに充てた。
50万円と言う額は、現在(平成23年)の貨幣価値で言えばいくらくらいに相当するのだろうか。
何を基準に比較するかにより評価は異なるが、例えば、主要な消費財の価格を元にした物価水準でみると、約2,000倍、給与水準で比較すると約5,000倍になる。この差は、当時のわが国の給与水準が極めて低かったことによるものである。いずれにせよ、寄付金の50万円は前者であれば10億円、後者であれば25億円に換算することができる。
現在、衣笠キャンパスの校地面積は約34万㎡(約10万坪)であるが、記録によると、このうち6万坪が溥儀の寄付により購入したものである。
【演説】犬養毅「新内閣の責務」 1932総選挙
2021-05-19
Japanese PM TSUYOSHI INUKAI
昭和7年総選挙に際しての演説レコードです(政友会)。
五一五事件直前のものであり犬養最晩年の肉声です。
字幕には語尾の間違いございます。
江戸時代生まれの人の肉声でもあります。
今日の選挙演説も余り変わっていませんねぇ。(犬養毅 安政2年~昭和7 1855~1932)
『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢』根本敬著 (岩波書店)1996年 を読む。
2021-05-13
本文最後のことば
『アウン・サン 封印された独立ビルマの夢』根本敬著 (岩波書店)1996年 を読む。
本文最後のことば。
「アウン・サンスー・チー、父アウン・サンガ「最大多数の最大幸福」という言葉で表現した独立ビルマの夢を、独立後40年たった1988年から、父に代わってじつげんしようとしているのかもしれない。そこには、社会主義もなければ、国家の発生論や革命論もないが、ビルマに住むすべての人々に対する「平等なまなざし」だけは、しっかりと時代を越えて引き継がれている。これこそが、封印された独立ビルマの夢であり、今、彼女はその封印を解こうとしているのである。軍事政権はしかし、その封印をけっして解かせようとはしない。彼女の闘いは、国民の希望に支えられながら、アウン・サンの夢と共に、果てしなく続くことになるのだろうか」
この文章から25年の2021年の今、75歳になるアウンサン・スー・チーと少数民族を含むビルマ国民は、アウン・サンから引き継いだ「独立ビルマの夢」をかけ、今回はもう次の機会はないという思いで軍と最後の闘いをつづけているということになろうか。
それを、彼・彼女らは「Spring Revolyution 春の革命」と命名した。
戦争まだ終わってない
2021-05-11
元特攻隊、97歳の裏千家前家元
孫達は戦争から逃げる話ばかり考えている、逃げるのではなくどうしたら戦争を防げるのか考えてほしい。
特攻隊に志願、生き残った、裏千家の元家元、千玄室さんの御言葉。
「孫達は戦争から逃げる話ばかり考えている、逃げるのではなくどうしたら戦争を防げるのか考えてほしい。」
「孫達は戦争から逃げる話ばかり考えている、逃げるのではなくどうしたら戦争を防げるのか考えてほしい。」