本文へ移動

闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

日本武道館です。

2022-07-27

Facebook 時事通信社さん曰く


参院選の遊説中に銃撃され、亡くなった故安倍晋三元首相の国葬まで27日であと2カ月となりました。
銃撃事件は警備体制に問題があったとされ、警察当局による検証・見直しが進みます。国葬には内外の大勢の要人参列が見込まれており、総力を挙げて警備に臨む警視庁の幹部は「注目度も高い。失敗は許されない」と気を引き締めます。

統一教会の“広告塔”となったが… 家族の説得で脱会を果たした芸能人たち

2022-07-24

 容疑者が明かした犯行動機は統一教会への「恨み」、そして安倍晋三元首相と教団の「つながり」だった。銃撃事件を機に政治家と宗教団体の不適切な関係が問題視されているが、芸能界では30年以上前から芸能人が“広告塔”に利用されることが社会問題化していた。

 連日のように続報が伝えられる安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件。殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41才)の供述が明らかになるにつれ、ある宗教団体との関連に注目が集まった。統一教会(2015年に世界平和統一家庭連合に改称。本稿では統一教会と記述する)である。

 統一教会の名が広く一般に知られるようになったのは1992年頃。有名女優やスポーツ選手が相次いで入信を表明し、ワイドショーや週刊誌がこぞって教会の問題を取り上げた。とりわけ日本中を驚かせたのは、女優として一線で活躍していた桜田淳子(64才)の告白だ。韓国で行われる“合同結婚式”への参加を会見で表明し、見ず知らずの男性と結婚することも『価値観が一緒で人生の目的が同じ人が集まるのだから、不安はありません』と言い切った。桜田桜田は現在も脱会しておらず、夫婦仲も変わっていないという。

 桜田と同じく1992年の合同結婚式に参加したのが元新体操選手の山崎浩子(62才)。鹿児島県出身の山崎は高校時代に新体操を始め1984年にロス五輪に出場。個人総合8位に入賞し、選手引退後は指導者、タレントとして活動していた。

「1988年のソウル五輪ではリポーターとしても活躍していましたが翌年、友人のすすめで教会のビデオ学習を受けたのを機に入信。交際相手と別れ、たびたび韓国を訪れるようになり、1992年に合同結婚式が行われることを知ると自ら参加を望んだといいます」(前出・芸能関係者)

 心配した姉や、キリスト教の牧師による説得は46日間にもおよび、山崎は脱会を決意した。2004年から指導者として現場に復帰して、昨年の東京五輪でも新体操チームを率いた。現在は東京とモスクワを拠点に指導を続ける山崎の心の支えは“推し活”だという。

「アイドルが好きで特にKis-My-Ft2の大ファン。ツイッターでも頻繁に“推し活”について、楽しそうに綴っています」(新体操関係者)

 山崎が代表を務める会社を訪ねたが、マネジャーらしき女性が「ここには来ません」、「(統一教会の)取材は受けません」と繰り返すばかりだった。

広告塔芸能人には被害の実態が見えない

 キャスターとしても活動するタレントの飯星景子(59才)は、脱会を巡って父で作家の故・飯干晃一さんと壮絶なバトルを繰り広げたことで知られる。入信のきっかけは、統一教会のイベントで司会を務めたこと。友人のすすめで統一教会の勉強会に参加した飯星は、教義より信者の人間関係に魅力を感じたといい、後にワイドショーでこう語っている。

「神様を通じてわかり合えるような、普通の友人関係とは違う、強烈で独特なものがあった」

 霊感商法に関する悪い噂も耳にしたが、「見たくないと思って目をつぶっていた」という飯星。その目を必死に開かせたのが父だった。もともと統一教会に疑念を抱いていた飯干氏は娘が教会のスタッフと共にニューヨークに渡ったことを知ると「絶対に取り戻す」と宣言。統一教会に“宣戦布告”した。

「教会側から『お父さんをなんとかしてほしい』と言われた飯星さんは、新約・旧約聖書を読んで理論武装した父との対話に臨んだそうです。当初は頑なな姿勢を崩さなかった飯星さんですが、いままで見たことのない父親の『弱々しい姿』に心を動かされ、深入りする前に立ち止まることができたといいます」(ワイドショー関係者)

 以来、統一教会とは縁を切り、当時のことを振り返る機会もほとんどなくなった。


『TIME〛誌の表紙

2022-07-23

Facebook 西村 幸祐さん曰く

現在、アマゾンで品切れ、ベストセラー1位になっている最新号の米誌「TIME」。
イアン・ブレマーの記事の見出しは《安倍晋三の遺産は日本を超えて》。
右ページのアミー・グミアの記事の見出しは《安倍の死は、彼が果たせなかった変化の実現につながるかもしれない》となっている。日本のメディアより遥かに事実を捉えているのだが、日本メディアは〈見えない東京の壁〉の東側からの情報統制下にあるか、朝日のウイルスで脳がやられているのだろう。

伊藤野枝という生き方

2022-07-22
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
【文学】09.伊藤野枝という破天荒な女
 幸徳秋水の大逆事件を調べていたら、関東大震災直後のどさくさに、アナーキスト「大杉栄」らが虐殺された甘粕事件につながって、その時いっしょに謀殺された妻の「伊藤野枝」の名が出てきた。さらに、野枝に大杉を寝取られた前妻「神近市子」が、日陰茶屋事件で大杉を刺す事件とか、野枝が捨てた前夫がダダイスト詩人「辻潤」であったとか、訳の分からぬ人脈が連なってきた。
 その辻潤が一緒になったウワバミのキヨこと「小島キヨ」が入り浸った、「南天堂書房」二階のレストランがアナーキスト、ダダイストの溜まり場で、「林芙美子」、「平林たい子」、伊藤野枝、そして小島キヨら「自由恋愛主義」の女らが出入り、林芙美子など、テーブルの上にひっくり返って「さぁ、どうともしてくれ」と啖呵を切るとかで、「ハレンチ南天堂時代」だったとか。
 ともあれ、男遍歴を肥やしに作家となった林芙美子や瀬戸内晴美(現寂聴)なども、足元にも及ばないほどぶっ飛んだ女が「伊藤野枝」だった。野枝は「平塚らいてう」の「青鞜社」に通い始め、当時の錚々たる「新しい女」達、与謝野晶子・長谷川時雨・岡本かの子・神近市子らと親交を深めて強い刺激を受けた。
 平塚は、雑誌「青鞜」を発刊し、女性解放運動の嚆矢となったが、母性保護を国家に求めるなど、女性の自立を主張する与謝野晶子らから批判を浴びた。後年、伊藤野枝が「青鞜」の編集・発行を受けつぐと「無主義、無規則、無方針」をモットーにエリート女性だけでなく一般女性にも誌面を解放。情熱的に創作・評論・編集に活躍し、「青鞜」を文芸雑誌から女性評論誌、あるいは女性論争誌と呼ぶべきものに変えていった。
 必然的に平塚と伊藤の間に確執が発生し、伊藤が大杉栄の下に去ると「青鞜」は休刊となった。平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に、野枝は「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と謳っている。伊藤野枝の個人主義を平塚らいてうは終生受け入れられず、伊藤を、思想面よりも、その人格や行動に対する情緒的な批判しかできなかった。
 平塚は伊藤を全否定するかのように、「人格的の訓練を欠いた一種の自然人」と書いている。これは、ある意味、的を得ているともいえる。ただし、平塚はやんわり「自然人」と書いているが、むしろ「野人」ないし「野獣」と書きたかったのではないか。
 野枝は「わがまま。学ぶことに、食べることに、恋に、性に、生きることすべてに、わがままであった」とされる。女に対してだらしのなかったアナーキスト、ダダの詩人で前夫の辻潤も、甘粕事件で共に扼殺される大杉栄も、その「わがままさ」というより凶暴さには、さすがにビビっていた気配がうかがえる(笑)
 伊藤野枝は、生涯7人の子をもうけ、28歳で逝った。その思想は、アナーキスト、ダダイストの極北を行き、女権思想の最先端を行っていたともいえる。しかし、残念ながらそれを思想的に深めるだけの余地はなく、その後継者も現われなかった。若くして逝ったゆえか、それとも女性固有の情緒性ゆえなのかは、誰にも分らない。
 伊藤野枝伝としては「村に火をつけ,白痴になれ」(2016/栗原康著)が刊行されている。https://www.iwanami.co.jp/book/b263941.html
 「読みたい、書きたい、食べたい、セックスがしたい、子どもがほしい。ふつう、ひとはなにかをやるためには、なにかをあきらめなくてはいけないとおもいこまされている。生きるためにとかいって、まずカネのことを考えさせられるからだ。たとえば、家庭をもつようになったら、カネにもならないのに夢をおいかけたら、わがままだといわれてしまう。でも、伊藤野枝はちがっていた。やりたいことがあったら。なにがなんでもやってしまう。ひとつじゃない、全部だ」(著者からのメッセージ)
 なお、映画では『エロス+虐殺』や『華の乱』などで、大杉栄と伊藤野枝が描かれている。
(追記)
 瀬戸内晴美は、伊藤野枝をモデルに「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」という前後編を書いている。これは、「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」という大杉栄の言葉から採ったという。
 伊藤野枝のほかにも、大逆事件に連座した菅野須賀子、第二の大逆事件で縊死した金子文子、平塚らいてう、高群逸枝、田村俊子、岡本かの子等々、錚々たる女権拡張論者かつスキャンダラス女人達の伝記ないしモデル小説を書いている。
 スキャンダラス女の生涯をモデルに、数多くの男を肥やしに、女として世界を味わいつくした後、今や頭を丸

安倍元総理の暗殺者は誰か?

2022-07-20
Facebook 村山 和夫さん曰く、首に被弾し心臓に入った弾は山上の銃ではない。 どこかビルの屋上からの銃としか考えられない。
TOPへ戻る