闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
「気がかりだったのでよかった」「お幸せに」…眞子さまゆかりの人々から驚きと祝福
秋篠宮家の長女眞子(まこ)さま(29)が婚約の内定している小室圭(こむろけい)さん(29)と年内に結婚される見通しとなった。婚約が内定して4年。眞子さまのゆかりの人たちからは驚きと祝福の声があがった。
■◆工芸品に造詣
「いろいろとニュースが続いて気がかりだったので、本当によかったです」。眞子さまが総裁を務める日本工芸会の林田英樹理事長(79)は1日、年内結婚の見通しとの報道を受け、安堵(あんど)した様子で語った。
小さな反乱・・・?
結婚が延期されていた秋篠宮家の長女眞子さま(29)が、婚約が内定している小室圭さん(29)と年内に結婚される方向で調整が進んでいることが宮内庁関係者への取材で明らかになった。婚姻届を自治体に提出するが、一般の結納にあたる「納采(のうさい)の儀」など結婚に向けた儀式は行われない見通し。小室さんは米国内で就職する方向で、眞子さまは結婚後、米国で新生活を始めるとみられる。
皇室を離れる際に支給される一時金(最高で約1億5000万円)については受け取りを辞退する可能性もある。
小室さんは今年5月に米ニューヨーク州のロースクールを卒業した。7月に同州の司法試験を受験し、合否は12月中旬までに判明する。宮内庁関係者によると、就職の道筋はすでについており、結婚後の生活基盤への懸念は一定程度解消したと判断されたとみられる。
一方、小室さんをめぐっては、小室さんの母親とその元婚約者との金銭トラブルが相次いで報じられた。小室さんは2019年1月と今年4月に経緯などを説明する文書を公表したが、秋篠宮さまが納采の儀を行う前提としていた「多くの人が(結婚を)納得し、喜んでくれる状況」には必ずしもなっておらず、儀式は見送られる見込みだ。新型コロナウイルスの感染状況に配慮し、結婚式も行わない。戦後、女性皇族が儀式を行わずに結婚して皇籍を離脱したケースはない。
国際基督教大(ICU)の同級生だった眞子さまと小室さんは17年9月3日、当時天皇だった上皇さまの裁可を得て婚約が内定した。宮内庁はその後、納采の儀を18年3月、結婚式は帝国ホテル(東京都千代田区)で同年11月に行うことなどを発表した。
17年12月ごろから、週刊誌などで金銭トラブルに関する報道が始まり、宮内庁は18年2月、結婚を20年に延期すると明らかにした。小室さんは18年8月に米ニューヨーク州のロースクールに留学した。
秋篠宮さまは同年11月の記者会見で、金銭トラブルを念頭に小室さん側に「相応の対応」を求め、「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ納采の儀を行うことはできない」と述べた。
一方、眞子さまは20年11月、文書で小室さんとの結婚を「生きていくために必要な選択」と表現するなど強い意志を改めて表明。秋篠宮さまは同月の会見で「結婚を認める」と明言し、結婚は両性の合意のみに基づくとする憲法の規定を引き合いに「本人たちがそういう気持ちであれば尊重すべきものだ」と述べていた。
小室さんは19年1月の文書で「元婚約者の方から理解を得るよう努めたい」などと記した。今年4月の文書は28ページに及び、金銭トラブルの経緯を詳細に説明した。代理人弁護士は取材に、小室さんが元婚約者に「解決金」を渡す意向があることも明らかにした。
眞子さまが結婚すれば上皇ご夫妻の4人の孫で初めて。内親王(天皇の子や孫にあたる女性皇族)の結婚はご夫妻の長女黒田清子さん(52)以来となる。【和田武士】
バイデン氏、イスラエル新首相と会談 対イラン政策協議
バイデン米大統領とイスラエルのベネット首相が27日、ホワイトハウスで会談した。米国が復帰を目指すイランとの核合意について、バイデン氏は「外交を第一に取り組んでいるが、うまくいかなければ他の選択肢を準備する」と発言。イランへの強硬姿勢を取るイスラエル側に配慮をみせた。
会談はベネット首相が6月に就任して以来初めて。26日に予定されていたが、アフガニスタンの首都カブールでの爆破テロの影響で1日延期されていた。
バイデン氏は会談の合間、記者団に「私たちは親しい友人になった。イランに核兵器を開発させないようにするための取り組みについて話し合う」と述べた。ベネット氏は「イランは絶対に核兵器を保有することはできないという明確な言葉を、(バイデン氏から)聞けてうれしい」と話した。
バイデン氏はトランプ前政権が離脱した核合意に復帰する意向を示している一方、ベネット氏はネタニヤフ前政権に続いてイランへの強硬姿勢を取り、米国の核合意への復帰に反対している。
パレスチナ問題でもベネット氏は強硬派として知られる。バイデン氏と立場が異なるが、バイデン氏はイスラエルによる入植地の問題には直接言及しなかった。元駐米イスラエル大使のダニエル・アヤロン氏は「バイデン氏は、共和党と近かったネタニヤフ氏の復活ではなくベネット政権の存続を望んでいて、ベネット氏を困らせる発言はしなかった」と分析する。(ワシントン=合田禄、エルサレム=清宮涼)
北朝鮮独裁の恐怖 酔って金正恩からの電話に出られなかった長官が処刑
北朝鮮最高指導者の私生活は、これまでずっと秘密にされてきた。 韓国のメディア「East Asia Daily」は、北朝鮮軍の秘密部門である「総合政治局(GPB)38」は金正日の時代から存在し、金家の邸宅や指導者の接待、宴会の開催などを管理していることに加え、2014年にその組織の担当者が金正恩からの電話を逃し怒りを買ってしまい、処刑された事を明らかにした。
東亜日報によると、北朝鮮には少なくとも30もの金一族の別荘があるという。 外部に公開されているものもあるが、ほとんどは原地の者にも知られていない秘密の施設である。
総合政治局38部が行なっている任務は旧王朝の宦官の責務に該当する。 組織責任者は中将で、金正恩氏が何か宴会を開きたいと言えば、総合政治局38部が関連事項をすべて担当する。 しかし、2014年4月、部長が突然処刑されてしまった。
事情に詳しい脱北者の証言が「東亜日報」に掲載されている。2014年4月のある夜、金正恩氏と妻の李雪主(イ・ソルジュン)氏は、お酒を飲むためにゲストハウスに行き、22時半から23時の間に家を出たという。
金正恩氏が去った直後、宴会場に集まったスタッフは、残った料理を食べた。 宴会を仕切る38部長は、「うまくいった」「失敗があったら見直そう」とスタッフを励ました。 その夜、上司は上機嫌で部下と一緒に酔っ払ってしまった。 翌朝、ゲストハウスのスタッフは、38部長が連行されて処刑されたことを知らされた。
実は、その日の明け方、金正恩氏が38部長に電話をかけたが出なかったので、無視されたと思い激怒した。そこで 彼は人を送って38部長を処刑したのだ。
38部の部長の死は、北朝鮮ではほとんど知られていない。 38部長と同じように、何も言わずに消えていった人はどの位いるのだろうか。北朝鮮ではその数を正確に数えられる者はいないだろう。
(翻訳 井田)