本文へ移動

闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

暁に祈る事件

2020-10-03
Facebook佐々木信雄さんの投稿
『Get Back! 40's / 1949年(s24)』
(暁に祈る事件)
○3.15 [ウランバートル] モンゴルのウランバートルにある日本人捕虜収容所で、ソ連人に迎合した自称吉村隊長(池田重喜)が同胞を酷使・虐殺したリンチ事件が、朝日新聞で報道される。
 第二次大戦終結後、ソ連軍のモンゴル・ウランバートルの収容所において、抑留されていた日本人捕虜の間で引き起こされた組織的リンチ事件。ソ連軍から日本人捕虜の隊長に任じられた池田重善元曹長は、労働ノルマを果たせなかった隊員などにリンチを加え、多数の隊員を死亡させていたとされる。暴行のあと裸にして一晩中木に縛り付けておくと、明け方には失神したり息が絶えたりして、首をうなだれている姿が祈りを捧げているように見え、仲間の隊員たちは「暁に祈る」と呼んだという。池田は収容所内で吉村久佳の変名を名乗っていたため、「吉村隊事件」とも呼ばれる。
 この事件は抑留から帰国後の1949年3月に、朝日新聞がスクープしたことから世間に知られることになり、池田元曹長は逮捕起訴され、懲役3年の有罪となった。物証など無く元捕虜の証言だけに基づき下された判決のため、池田は無罪だとして再審の申し立てを行ったが、請求は棄却されたまま1988年に亡くなった。
 各地の収容所では、多かれ少なかれ似たような事件があったようである。ソ連軍の収容所では、指示に従わせるために赤化(共産主義化)教育して、思想に忠実な者を日本人捕虜のリーダーに抜擢する。リーダーになったり帰還を早めたいため、積極的に思想を学んだり、それに染まった振りをしてリーダーの立場を得ようとする者もいたようだ。そのような者にかぎって、同胞の抑留者に対しては権力を振るうことになる。
 抑留から帰還の船の中では、抑留中のリーダーに対して、仕返しの逆リンチなどもあったと言われる。戦争の悲惨に加えて、その後にも多くの悲惨を生んだということである。
*この年
アメリカンファッション全盛/ビアホール復活
【事物】成人学校/香料入り広告/お年玉付年賀ハガキ/JISマーク
【流行語】厳粛な事実(労農党代議士松谷天光光と民主党代議士園田直の結婚)/ノルマ/ワンマン
【歌】銀座カンカン娘(高峰秀子)/悲しき口笛(美空ひばり)
【映画】晩春(小津安二郎)/野良犬(黒沢明)/戦火のかなた(伊)
【本】日本戦没学生手記編纂委員会「きけわだつみのこえ」/三島由紀夫「仮面の告白」/チャーチル「第2次大戦回顧録」
TOPへ戻る