ちょい話【親鸞編】
仰せを蒙りて【文字データ編】
まあ、こんなことを、今度の火事で学びました。
2020-05-12
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- 「焼かれた」のでもない、「焼いた」のでもない。
- ただ「焼けた」と。
- そうすると事実を事実のまま淡々と受けていけるのではないかね
- 自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で学びました。
- ( 安田理深 )
名古屋の亀井先生が書かれたもので拝見したのですが、安田先生のお宅が隣家の火事で類焼して、蔵書やノート類など、全て燃えてしまわれた時のことだそうです。その直後の学習会で亀井先生は次のような安田先生のお話を聞かれたと書かれておられました。 |
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”ああされた”でもない、”こうした”でもない。”こうなった”。
”なくされた”でもない、”なくした”でもない。”なくなった”。
因位ということ
2021-05-01
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
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迷いのないところに覚りもない。
限界をおさえないといけないでしょう。
だから捜し回って、捜すことを必要としない境地といいますか、そこに覚りが出現したのです。
法が出てきた。
法が証明されたのです。
捜したり求めたりする必要のない法が証明された。
求めあぐねて、その極限をおさえて、覚ることを通して法が証明された。
もがくのを因位というのです。
仏を仏たらしめた法というものは
2021-04-21
釈迦仏が発明したのではない。
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
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仏を仏たらしめた法というものは
釈迦仏が発明したのではない。
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です